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  • 生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争)第三回

    長らく開けてしまいましたが、生産性運動前に行われたEL・DL一人乗務反対闘争のお話をさせていただきます。 此処で参考にしたのは、当局が編纂した国有鉄道と呼ばれる雑誌を参考に、一部国労・鉄労・動労の資料等を参照しながら記してみます。 当時の動労は、主流派と呼ばれるグループと反主流派が常に激しく対立しており、組合内でのその勢力は徐々に反主流派が力を付けていく、そんな時代でした。 今回は昭和40年の動労大会に関する様子を中心に、動労の様子を「国有鉄道」という冊子から引用してみたいと思います。 当時の動労は主流派と呼ばれた(機関車同志会)と呼ばれる穏健派と、反主流派(政研派)が争っていたようで、徐々に…

  • 生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争)第二回

    2ヶ月ほど放置状態になっていました。 申し訳ありません、今回も国鉄の生産性運動前後の国労、動労の動きと言うことでお話をさせていただこうと思います。 動労の松崎委員長とは 動労と言う組合は、国鉄末期には革マル派という答えが返ってくるかも知れませんが、委員長の松崎明が、革マルの幹部であったことからとも言われました。 更には、鉄労と協調して労使協調宣言すり寄っていくイメージを持たれる方も多いかと思いますが。 動労が過激な方向に走り、革マル派が増えた背景には、当時の動労の委員長松崎明の存在が大きかったと言われています。 動労を過激な運動組織にしていった背景には松崎の存在が大きいと言えそうです。 「国鉄…

  • 生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争)

    動労と生産再運動と言うことを検討する前に、もう少し時代を遡って、動労による機関助士反対闘争についてもう少し掘り下げて考えてみたいと思います。 動労の行った機関助士反対闘争とはどのようなものだったのか? 動労による機関助士反対闘争は、昭和42年3月に国鉄当局が5万人合理化の一環で打ち出したもので、 国鉄各組合に五万人の合理化案を発表 3/31 国鉄当局、三労組に対し第三次長期計画のための近代化・合理化案を提示。国労・動労、「合理化」案に対し断固撤回を求めると抗議声明 3/31 ということで、特に機関車乗務員を多く擁する動労では、EL及びDLにおける機関助士の反対運動を強く打ち出していました。 そ…

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日本国有鉄道 労働運動史(別館)
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