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ブログタイトル
VIAGGIO IN ITALIA
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https://viaggioinitalia2020.blogspot.com/
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自然・歴史・文化や芸術など、魅力溢れるイタリアをご紹介!
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45回 / 107日(平均2.9回/週)

ブログ村参加:2020/08/16

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Tetsuyaさんの新着記事

1件〜30件

  • サン・ジョヴァンニ洗礼堂 Battistero di San Giovanni

    サン・ジョヴァンニ洗礼堂の起源は4世紀から5世紀までさかのぼり、ローマ人たちが軍神マルスに捧げた神殿であったと思われます。 11世紀になると、そこにはフィレンツェの守護聖人である洗礼者聖ヨハネ(San Giovanni Battista)に捧げるべく、八角形プランの大聖堂(司教座...

  • オンニッサンティ教会 Chiesa di Ognissanti

    オンニッサンティ教会は、13世紀にロンバルディア地方からやってきた、ウミリアーティ会の修道士によって創設された教会ですが、16世紀には修道会が解散したため、メディチ家やヴェスプッチ家の保護を受けていたフランチェスコ会士たちに譲り渡されました。 1627年には堂内が全面的に改築され...

  • ストロッツィ宮殿 Palazzo Strozzi

    ストロッツィ宮殿は、その他の宮殿よりも遅れて着工されているだけに、建築様式としての完成度は高く、ルネサンス様式の宮殿建築の頂点といわれています。(イタリア語のPalazzo(パラッツォ)という言葉は通常「宮殿」と訳されますが、それは大きな公共建造物や個人の邸宅のことで王宮ではあり...

  • ルチェッライ宮殿 Palazzo Rucellai

    ジョヴァンニ・ルチェッライは、メディチ派でありながら、メディチ家と運命をともにするほど密着もせずに、巧みに15世紀を生き抜いた商人で、1466年にはコジモ・ディ・メディチの孫娘ルクレツィアを息子ベルナルドと結婚させ、姻戚関係を結びました。ルクレツィアは、ピエロ・ディ・メディチの娘...

  • 《ウルビーノ公夫妻の二連肖像画》ピエロ・デッラ・フランチェスカ 《Doppio ritratto dei duchi di Urbino》Piero della Francesca

    フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロはビエロ・デッラ・フランチェスカに、古代ローマのコインの伝統にならって、彼と妻を記念する二連肖像画を注文しました。 この二連肖像画はまさにメダルのように構成され、表側には肖像画、裏側には寓意画が描かれています。二つのパネルは、もともとは蝶番で結ば...

  • 《キリストの洗礼》アンドレア・デル・ヴェロッキオとレオナルド・ダ・ヴィンチ 《Battesimo di Cristo》Andrea del Verrocchio e Leonardo da Vinci

    この作品の注文の経緯は不明ですが、フィレンツェのサン・サルヴィ教会付属のヴァッロンブローザ修道院のために、ヴェロッキオ工房によって制作されました。 この作品は10年近くヴェロッキオの工房に置かれていました。彼は成功した芸術家だったので、多数の共働者や弟子に制作を委託するのは普通の...

  • 《サン・ロマーノの戦い》パオロ・ウッチェッロ 《Battaglia di San Romano》Paolo Uccello

    この絵は、歴史的なエピソード、1432年6月2日にサン・ローマノで起きたフィレンツェとシエナの戦争を描いています。 2年前からニッコロ・ダ・トレンティーノとミケレット・ダ・コティニョーラに率いられたフィレンツェ軍と、フィレンツェの傭兵でしたが今では敵方についたベルナルディーノ・デ...

  • 《ヘラクレスとヒュドラ》アントニオ・デル・ポッライオーロ 《Ercole e l'idra》Antonio del Pollaiolo

    1460年頃、アントーニオ・デル・ポッライオーロは弟のピエロといっしょにメディチ邸のために3点の大型カンヴァス画を制作しました。1492年のメディチ家の遺産目録によると、これらの絵は高さ6ブラッチャ(19世紀まで用いられていた長さの単位で1ブラッチョ(braccio 腕)は約60...

  • 《ウルビーノのヴィーナス》ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 《Venere di Urbino》Tiziano Vecellio

    ティツィアーノの作品のうち最も有名で、広く模倣された裸体画が、この《ウルビーノのヴィーナス》です。この作品は、後のウルビーノ公となるグイドバルド2世・デッラ・ローヴェレによって注文され、1538年までに完成しました。 1534年、グイドバルドは政治的理由からわずか10歳の少女ジュ...

  • 《パンチャーティキの聖家族》アーニョロ・ブロンズィーノ 《Sacra Famiglia Panciatichi》Agnolo Bronzino

    アーニョロ・ブロンズィーノは、1540年頃、裕福な商人バルトロメオ・パンチャーティキとその妻ルクレティアのために、対幅肖像画を描きました。同時にまた、夫妻のため、この、聖ヨハネを伴う、聖母子と聖ヨセフ(聖家族)を描いた礼拝画を制作しました。洗礼者聖ヨハネの存在はおそらく注文主の要...

  • 《ヒワの聖母》ラッファエッロ・サンツィオ 《Madonna del Cardellino》Raffaello Sanzio

    この作品はフィレンツェでフランドル製の毛織物を扱う裕福な商人ロレンツォ・ナージが、富裕階級の娘サンドラ・ディ・マッテオ・ディ・ジョヴァンニ・カニジャーニとの結婚の祝いのためにラッファエッロに注文したものです。結婚式は1505年末から1506年初頭の間に執り行われました。 ヴァザー...

  • 《バッコス》ミケランジェロ・メリージ(カラヴァッジョ) 《Bacco》Michelangelo Merisi (Caravaggio)

    《バッコス》はデル・モンテ枢機卿がトスカーナ大公フェルディナンド・デ・メディチに寄贈した作品で、その制作年代はカラヴァッジョが枢機卿の保護下にあった1598年頃とされます。 1608年にフェルディナンドの息子、コジモ2世の結婚式を祝う際に、デル・モンテ枢機卿からフェルディナンド・...

  • 《エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニの肖像》アーニョロ・ブロンズィーノ 《Ritratto di Eleonora di Toledo col figlio Giovanni》Agnolo Bronzino

    18歳の若さで権力掌握したメディチ家のコジモ1世は、フィレンツェに専制的統治を敷き、やがて1569年にはトスカーナ大公の称号を獲得しました。1539年6月29日、コジモは壮麗な祝祭の中、ナポリ副王ドン・ペドロの第二子、17歳のエレオノーラ・ディ・トレドと結婚しました。やがて夫妻は...

  • 《聖家族》ミケランジェロ・ブオナッローティ 《Tondo Doni》Michelangelo Buonarroti

    アーニョロ・ドーニが、1504年1月に行われたマッダレーナ・ストロッツィとの結婚式の際に注文したもので、ヴァザーリによれば、この作品に額縁を含めて140スクーディを支払い、金箔貼りの額縁にはストロッツィ家の紋章を示す3つの半月を彫り込ませるつもりだったといいます。 ミケランジェロ...

  • 《東方三博士の礼拝》レオナルド・ダ・ヴィンチ 《Adorazione dei Magi》Leonardo da Vinci

    1481年3月、フィレンツェ、スコペートのサン・ドナート教会のアウグスチノ会派参事会員たちは、レオナルドに《東方三博士の礼拝》を表す祭壇画を依頼しました。この注文はおそらく画家の父で、修道院の代理人だったセル・ピエロ・ダ・ヴィンチが手配したものでしょう。しかし、この仕事は未完のま...

  • 《受胎告知》レオナルド・ダ・ヴィンチ 《Annunciazione》Leonardo da Vinci

    この作品はフィレンツェ郊外のモンテ・オリヴェートにあるサン・バルトロメオ教会から来たものですが、しかし注文については、一切分かっていません。 この絵はさまざまな画家に帰されてきました。現在では、レオナルド説をとる学者が大多数ですが、否定する者もいます。それは、当時の工房の共同作業...

  • 《ヴィーナスの誕生》サンドロ・ボッティチェッリ 《Nascita di Venere》Sandro Botticelli

    サンドロ・ボッティチェッリのもっとも有名な作品のひとつは、キリスト教の伝説ではなく、古代神話を描いた、この《ヴィーナスの誕生》です。この作品は、《春》同様に、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチが所有していたカステッロの別荘を飾るために描かれた、と考えられています...

  • 《春》サンドロ・ボッティチェッリ 《Primavera》Sandro Botticelli

    『美術家列伝』でヴァザーリは、ボッティチェッリの《春》は《ヴィーナスの誕生》とともに、カステッロの別荘にあると伝えています。 しかし、この絵のもともとの設置場所は、ピエルフランチェスコの息子に当たるロレンツォとジョヴァンニの兄弟が1476年に購入した、ラルガ通りの(コジモ・イル・...

  • 《聖母子と二天使》フィリッポ・リッピ 《Lippina》Filippo Lippi

    この《聖母子と二天使》は、初期ルネサンスを代表するフィレンツェ派の画家フィリッポ・リッピが晩年に手がけた聖母子像の最高傑作であり、最も良く知られる作品のひとつです。 フィリッポの作品の中でも珍しく、彼の工房において製作されなかった絵画のひとつです。この作品は後世において、サンドロ...

  • 《聖母子と聖アンナ》マザッチョとマゾリーノ 《Sant'Anna Metterza》Masaccio e Masolino da Panicale

    この板絵は1424年から1425年にかけて作成したテンペラ画で、フィレンツェにあるサンタンブロージョ教会のベネディクト女子修道会の注文により制作されました。 マゾリーノとマザッチョの密接な協力関係のもとで制作され、老いた聖アンナはマゾリーノ、聖母子と、背景のダマスコ織の布地を広げ...

  • 《東方三博士の礼拝》ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ 《Adorazione dei Magi》Gentile da Fabriano

    この祭壇画は、1423年に織物商パッラ・ディ・ノフリ・ストロッツィによって、フィレンツェのサンタ・トリニタ聖堂内のストロッツィ家礼拝堂を飾るために注文されたものです。署名と年記が付されています。当時ジェンティーレはイタリアで最も有名な芸術家の一人で、各国のゴシック様式の代表的存在...

  • 《受胎告知三連祭壇画》シモーネ・マルティーニ 、リッポ・メンミ 《Trittico dell'Annunciazione》Simone Martini e Lippo Memmi

    この三連祭壇画は、シエナ大聖堂のサン・タンサーノ礼拝堂のために制作されたもので、受胎告知は中央パネルに描かれています。 (3枚目) 大天使ガブリエルがマリアの部屋に「着陸」したところで、神の子を宿したことを告げようとしています。大きな羽はまだ空に向けられ、首に結えためずらしい格子...

  • 《バディア多翼祭壇画》ジョット・ディ・ボンドーネ 《Polittico di Badia》Giotto di Bondone

    この多翼祭壇画は、ベネディクト会に属するフィレンツェのバディア大修道院の主祭壇のためにジョットによって描かれました。ゴシック的な三角形の頂部をもつ5枚のパネルからなり、聖母子と両脇に4人の聖人が描かれています。 この絵はあらゆるところが金色に輝き、光輪も簡単に輪郭が金地の上に示さ...

  • 《オンニッサンティの聖母》ジョット・ディ・ボンドーネ 《Madonna di Ognissanti》Giotto di Bondone

    この《荘厳の聖母》は、フィレンツェのオンニッサンティ教会の主祭壇のためにウミリアーティ会が注文したもので、《オンニッサンティの聖母》とも呼ばれている作品です。 金地背景という光に満ちた聖なる空間を象徴的に表した手法で全体が包まれているとはいえ、ここには明らかにジョットの天才的革新...

  • 《ルチェッライの聖母》ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ 《Madonna Rucellai》Duccio di Buoninsegna

    この玉座の聖母子は、フィレンツェのドメニコ会のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の祭壇のために、ラウデージ同信会がドゥッチョに注文したものです。ほどなくサン・グレゴリオ礼拝堂に移され、最後にルチェッライ家の礼拝堂に置かれたことからこの名で呼ばれています。有力な同信会がフィレンツェでも...

  • 《サンタ・トリニタのマエスタ》チマブーエ 《Maestà di Santa Trinita》Cimabue

    この大きな板絵は、おそらくヴァッロンブローサ修道会によってフィレンツェのサンタ・トリニタ教会の主祭壇のために注文されました。チマブーエの作としたのはヴァザーリが最初です。 この作品はトスカーナ絵画において引き続いて制作される《マエスタ》(Maestà 荘厳の聖母)のモデルとなり、...

  • 《祈る救世主と四聖人》メリオーレ・ディ・ヤコポ 《Redentore tra la Vergine e tre santi》Meliore di Jacopo

    ゴシック聖堂の建築空間との調和を考えてデザインされた、当時としては斬新な鋭角リズムのこの祭壇画(dossale)には、「メリオーレ 1271」と署名も年記もありますから、紛れもなく、これは近代的な産業都市国家フィレンツェの形成期に制作されてことがわかります。 キリストを中心にして...

  • ウッフィーツィ美術館 Gallerie degli Uffizi

    コジモ1世の命令で、1560年にヴァザーリによって建設が始められたウッフィーツィは、司法および行政のオフィスとして誕生しました。建物はヴェッキオ宮殿(市庁舎)からアルノ川岸までひろがり、ピエトラ・セレーナ(青みがかったきめの細かな砂岩)で区切られたまばゆい白壁が続きます。ウッフィ...

  • 《最後の晩餐》アンドレア・デル・サルト 《Ultima cena》Andrea del Sarto

    美術館として整備された修道院の入り口は、教会から少し離れたところにあります。外観からは美術館とは思えない館内に一歩足を踏み入れると、どうしてこんなに多くの作品がここに集められているのかと驚かされるでしょう。 両側に絵画の展示された長い廊下から右手の部屋に入ると、そこには思いがけな...

  • 《最後の晩餐》レオナルド・ダ・ヴィンチ 《Ultima Cena》Leonardo da Vinci

    しかし、残念ながら、作品は制作直後から徐々に傷み始めました。主な原因は、レオナルドが選んだ技法にあります。当時、一般的には壁画はフレスコ技法によって描かれていましたが、じっくりと時間をかけて描写を進めるタイプのレオナルドは、漆喰の乾く前に描写を終えなければならないフレスコ画を嫌い...

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