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2020/07/12

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  • 大きな淵

    「そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。」(ルカ16:26) ルカ伝16章19~31節は、ぜいたくな金持ちと貧乏人ラザロの、死後の世界の話だ。 ルカらしい描写で、まるで絵本を見ているかのようだ。 ぜいたくに遊び暮らした金持ちは、死んでのち、ハデスの炎の中で苦しむ。 金持ちの家の門前で寝ていたラザロは、死後、父アブラハムのふところに憩う。 冒頭は、父アブラハムの金持ちに対する言葉だ。 わたしの手もとにある解説付き聖書には、この話から以下のことがわかると書いてある。 (1)死後も…

  • 罪人たちを受け入れて

    さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄ってきた。すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいて言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」(ルカ15:1-2) 「取税人、罪人たち」は、当時の社会で忌み嫌われていた。 その彼らが、「イエスさまの話を聞いてみたい」とやって来た。 これまで、宗教的指導者である「パリサイ人、律法学者たち」の話は聞こうとしなかった人たちだ。 なぜパリサイ人たちの話は聞こうとしなかったのに、イエスさまの話は聞きたいと思ったのか? 答えは、いみじくもパリサイ人たちが言っている。 パリサイ人たちは罪人を受け入れようとしなか…

  • 塩が塩けをなくしたら

    「ですから、塩は良いものですが、もしその塩が塩けをなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。土地にも肥やしにも役立たず、外に投げ捨てられてしまいます。聞く耳のある人は聞きなさい。」(ルカ14:34-35) 台所に置いてある塩が塩けを失っていたら、何かに使おうとするだろうか。 「あ、もうこれ、だめね」と、すぐに捨ててしまうだろう。 イエスさまは、どういった意味でこのたとえを用いられたのか? 直前のことばを読んでみる。 「そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。」(33) イエスさまは、「わたしの弟子」の条件について語ってお…

  • 安息日にいやされたのを憤って

    すると、それを見た会堂管理者は、イエスが安息日にいやされたのを憤って、群衆に言った。「働いてよい日は六日です。その間に来て直してもらうがよい。安息日には、いけないのです。」(ルカ13:14) 18年間も腰が曲がったままの女を、イエスさまはいやされた。 イエスは、その女を見て、呼び寄せ、「あなたの病気はいやされました。」と言って、手を置かれると、女はたちどころに腰が伸びて、神をあがめた。(12-13) ところが、その日は安息日であったため、会堂管理者が「ダメだ、ダメだ」と割って入り、群衆に向かって冒頭のように呼びかけたのだ。 彼の言葉には、イエスさまの前で自分を良く見せよう、あわよくばほめてもら…

  • 神の前に富まない者

    「しかし、神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」(ルカ12:20-21) 身内での遺産相続争いは、人間の卑しさがあぶり出されるようで、醜いこと極まりない。 それは、いまも昔も変わらないようだ。 群衆の中のひとりが、「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください。」と言った。(13) 彼は、兄弟との遺産をめぐるトラブルで困っていた。 「そうだ。神の人であるイエスさまなら、正しく裁いてくださるに違いない」と考えて、直訴した。 …

  • からだのあかり

    「からだのあかりは、あなたの目です。目が健全なら、あなたの全身が明るいが、しかし、目が悪いと、からだも暗くなります。だから、あなたのうちの光が、暗やみにならないように気をつけなさい。」(ルカ11:34-35) どんなにきらびやかな服で着飾っても、「目が悪い」と、全身が暗い。 しかし、どんなに質素な身なりでも、「目が健全」なら、全身が明るい。 「からだのあかりは、あなたの目」とは、キリスト者であろうとなかろうと、よく理解できることばだ。 「目が健全」な人とは、どのような人だろう。 自分が神の御前に、清さとはほど遠い者であることを、知っている人ではないだろうか。 自分の心の奥底に、「十字架につけろ…

  • どうしても必要なこと

    主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:41-42) マルタとマリヤ、この姉妹のほほえましくも、印象的な記事だ。 二人は、しばしば福音書に登場する。 マルタは明るくて社交的、マリヤは静かで内向的、好対照なイメージだ。 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村にはいられると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。(38) イエスさまが村に来られたと聞くや、マルタは、「それなら、ぜひともわが家…

  • 彼の言うことを聞きなさい

    彼がこう言っているうちに、雲がわき起こってその人々をおおった。彼らが雲に包まれると、弟子たちは恐ろしくなった。すると雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい。」と言う声がした。(ルカ9:34-35) イエスさまは、ご自身に従う者の心構えについて、こう教えられた。 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(23) 身心を鍛え、よく勉強し、よく遊び、人脈を広げ、人間性を豊かにしなさい、とは言われなかった。 「自分を捨てよ」と、言われたのだ。 その教えから8日後に、山上で御姿が変わら…

  • 悪霊につかれている男

    こうして彼らは、ガリラヤの向こう側のゲラサ人の地方に着いた。イエスが陸に上がられると、この町の者で悪霊につかれている男がイエスに出会った。彼は、長い間着物も着けず、家には住まないで、墓場に住んでいた。(ルカ8:26-27) この男の救いの記事で、悪霊の性質についていくつかのことがわかる。 第一に、悪霊は死を慕う。 男は家ではなく、墓場に住んでいた。(27) また、豚にはいることをイエスさまから許されたあと、悪霊は豚の群れを崖から湖に突進させ溺死させた。(33) 第二に、悪霊は人間では抑えられない強力な力をもっている。 汚れた霊が何回となくこの人を捕えたので、彼は鎖や足かせでつながれて看視されて…

  • 涙で御足をぬらし始め

    すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油のはいった石膏のつぼを持って来て、泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。(ルカ7:37-38) パリサイ人シモンの家に招かれて、イエスさまが食事をしておられたときのできごとだ。 この女については「罪深い女」としか書いておらず、どのような人物なのかはいっさいふれられていない。 しかし、シモンがつぎのように考えたことからも、人々から忌み嫌われ、蔑まれていたことは明らかだ。 イエスを招いたパリサイ人は、これを見て、「この方が…

  • 祈るために山に行き

    このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた(ルカ6:12) 福音書には、イエスさまがひとり祈っておられたという記述が、しばしば出てくる。 しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。(ルカ5:16) あるときは山で、あるときは荒野で、祈られた。 人々から離れて完全に一人きりになる時間、いや正確には、御父と二人きりになる時間を、たいせつにされた。 それが何よりの喜びであり、すべてにまさって必要でもあったということだろう。 冒頭の箇所では、この祈りのあとに、十二弟子を任命された。 重要な決定を、御父と重々に相談したうえで、下されたのだ。 また、イエスさまは、つぎ…

  • 神のことば

    群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。(ルカ5:1-3) 湖の舟上から「神のことば」を語られるイエスさまと、咳一つしない静けさでそれに耳をすます群衆。 絵のように美しい光景だ。 福音書を見ると、イエスさまは、病人を癒すこと以上に、人々に「神のことば」を語ることを重んじられたように思われる。 しかしイエスは、彼らにこう言わ…

  • ひとりひとりに手を置いて

    日が暮れると、いろいろな病気で弱っている者をかかえた人たちがみな、その病人をみもとに連れて来た。イエスは、ひとりひとりに手を置いて、いやされた。(ルカ4:40) 多くの人が、日が暮れたにもかかわらず、身内かもしくは友人か、自分では歩けないほど弱った病人をかかえて、イエスさまのもとにやって来た。 なんとうるわしい光景だろう。 と同時に、なんと悲しい光景だろう。 それほど、この地上は、痛みや苦しみに満ちている。 イエスさまは、その「ひとりひとりに手を置いて」いやしてくださった。 弱った人に置かれる、その手を想像してみる。 どれほど優しく、温かく、力に満ちた手であることか。 そして、病む人たちが、ど…

  • イエスもバプテスマをお受けになり

    さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(ルカ3:21-22) バプテスマのヨハネが民衆にさずけていたのは、「罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマ」(3)であった。 したがって、罪のないイエスさまに、バプテスマを受ける必要は、本来なかった。 しかし、イエスさまは、ヨハネに言われた。 「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわし…

  • 御心にかなう人々

    すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ2:13-14) 羊飼いたちの、驚いて天を見上げる顔が、目に浮かぶようだ。 突然、光に照らされ、御使いが語り、天の軍勢によるコンサートが繰り広げられたのだ。 それは、キリストの誕生を告げ知らせるという、歴史的なできごとであった。 「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(11) それにしても、なぜ御使いは羊飼いたちに現われたのだろうか。 ひとつだけ言える…

  • 正確な事実

    このブログは、一日一章ずつ福音書を読んで、考えさせられたことを綴るスタイルで書いています。ヨハネの福音書からはじめて、マタイ、マルコと進み、ちょうど2カ月が経ちました。書くことをとおして、ただ読んでいただけでは気づけなかった、みことばの確かさや奥深さを知ることができ、感謝しています。 きょうからルカの福音書に入ります。また、新たな目をもって、イエスさまを見上げることができますように。 わたしも、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。それによって、すでに教えを受けられた事がらが正確な事実であることを、よ…

  • まずマグダラのマリヤに

    さて、週の初めの日の朝早くによみがえったイエスは、まずマグダラのマリヤにご自分を現わされた。イエスは、以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたのであった。(マルコ16:9) マグダラのマリヤは、ヤコブの母マリヤ、サロメらと連れ立って、油を塗るためにイエスさまの墓にやって来た。(1) 彼女たちは、イエスさまが十字架にかけられたときも離れなかったし、墓に納められてからも、イエスさまのことで頭はいっぱいだった。 だから、安息日が明けてすぐに、墓に来たのだ。 ところが、入り口の石はのけられ、そこにいたのは御使いであった。 「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜してい…

  • ユダヤ人の王

    彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王。」と書いてあった。(マルコ15:25-26) イエスさまは、大祭司の質問にこう答えておられる。 大祭司は、さらにイエスに尋ねて言った。「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか。」そこでイエスは言われた。「わたしは、それです。」(マルコ14:61-62) その後、大祭司の家からピラトのもとに回されたときには、こう答えられた。 ピラトはイエスに尋ねた。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」イエスは答えて言われた。「そのとおりです。」(2) つまり、イエスさまは、ご自分が「キリスト」であり、「ユダヤ人の王」である…

  • 目をさまして、祈り続けなさい

    それから、イエスは戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「シモン。眠っているのか。一時間でも目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」(マルコ14:37-38) 捕えられる直前、イエスさまは恐れもだえながら祈られた。 イエスさまの地上の生涯で、もっとも苦しい時だった。 しかし、弟子たちは、眠気に勝てず、眠っていた。 ペテロは、イエスさまをぜったいに裏切らないと、大見えを切ったばかりだった。 彼の心は、たしかに燃えていたのだ。 祈るイエスさまを見つめながら、彼はこう思ったかもしれない。 (…

  • 目をさまし、注意していなさい

    「気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。」(マルコ13:33) イエスさまが、ご自身の再臨や世の終わりについて、その前兆を教えられた箇所だ。 ここでくり返し言われたのが、「目をさませ」「気をつけよ」という警告だ。 「だから、気をつけていなさい。」(23) 「だから、目をさましていなさい。」(35) 「目をさましていなさい。」(37) 口を酸っぱくして、しつこいくらいに語っておられる。 それだけ重要なことであり、また、人間が忘れやすいことでもあるということだろう。 ところで、数年前、わたしの住む町でひと騒動あった。 銀行に“爆破予告”…

  • どの人よりもたくさん投げ入れました

    すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。」(マルコ12:43) 当時の献金箱は、ラッパ状の投げ入れ口が並んだものだったそうだ。 そこに多くの人がやって来ては、献金していた。 立派な身なりをした金持ちたちもいた。 大きな袋を逆さにして、ジャラジャラと大金を投げ入れた。 ある人は10万円、ある人は50万円、ある人は100万円。 そこに貧しいやもめが、やって来た。 カランカランと、200円分の乾いた音。 周囲から、哀れむような、また、蔑むような視線が、彼女に向けられた。 しかし…

  • すでに受けたと信じなさい

    「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」(マルコ11:24) わたしは、クリスチャンになる前の二十歳前後の頃、キリストのことばをわずかではあるが知っていた。 これは、そのひとつだ。 当時流行り、わたしも熱心に読んだ自己啓発書、『マーフィーの潜在意識の法則』シリーズで、よく引用されていたのだ。 かんたんにいうと、「自分はこうなる」「自分にはこういうことが起きる」と念じ、その意識が潜在意識にまで落とし込めたなら、かならずそのとおりに実現する、といった「法則」だ。 したがって、このイエスさまの言葉は、まさにうってつけだっ…

  • あなたの信仰があなたを救ったのです

    するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。(マルコ10:52) 目の見えない人が、イエスさまによって見えるようにされた記事だ。 この「あなたの信仰があなたを救ったのです」という言葉は、イエスさまが、癒された人に対してしばしば使われた。 したがって、わたしはどこかで、イエスさまの“慣用句”的な言葉として、強く意識することなく受けとめていた。 しかし、あらためてこの言葉に注目してみると、すごいことを言っておられることに気づかされる。 「救った」のは、もちろんイエスさまだ。 にもかか…

  • みなのしんがりとなり

    イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」(マルコ9:35) 「あのさー、お前はいつもイエスさまの隣りを歩こうとするけど、なに、一番弟子とでも思ってるのか?」 「なんだよ、じゃあ何か?お前のほうが、そうしたいわけ?」 「えっと、だれが最初にイエスさまに呼ばれたんだっけ?」 「そんな呼ばれた順番とか、関係ないじゃないか」 「俺はこの間、山にいっしょに連れて行ってもらったぞ」 喧々諤々。 またまたイエスさまのため息が、聞こえてきそうだ。 イエスは、家にはいった後、弟子たちに質問された。「道で何を論じ…

  • まだ悟らないのですか

    「四千人に七つのパンを裂いて上げたときは、パン切れを取り集めて幾つのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「七つです。」イエスは言われた。「まだ悟らないのですか。」(マルコ8:20-21) 四千人を七つのパンと少しの魚で満腹させたあと、イエスさまは舟の中で弟子たちに言われた。 「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」(15) このとき弟子たちは、余りのパン切れを集めたかごを忘れ、パンはひとつしかなかった。 「ほら、イエスさまがパンのことを言っておられるぞ。だから、言ったこっちゃない。あのとき、あそこにかごを置いておくぞって言っただろう」 「いや、お前がそう言うから…

  • 食卓の下の小犬でも

    しかし、女は答えて言った。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」(マルコ7:28) 娘を助けてやって欲しいと、イエスさまに訴える母親。 彼女はギリシヤ人、つまり異邦人であった。 するとイエスは言われた。「まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」(27) 「子どもたち」とはイスラエル人で、「小犬」とは異邦人のことだ。 このイエスさまの、一見そっけない言葉に対して、母親は冒頭のように言ってくいさがった。 結果、娘は救われた。 このやり取りでのキーワードは、「小犬」だ。 このと…

  • 不信仰に驚かれた

    それで、そこでは何一つ力あるわざを行なうことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。イエスは彼らの不信仰に驚かれた。(マルコ6:5-6) イエスさまはあるとき、ひとりの男のりっぱな「信仰」に驚かれたことがある。 イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。」(マタイ8:10) しかし、きょうのこの箇所では違った。 イエスさまは、人々の「不信仰」に驚かれた。 それは、あろうことか、イエスさまの郷里だった。 「あのイエス君か。あれは大工じゃなかったっけ?最近…

  • お着物にさわることでもできれば

    彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と考えていたからである。(マルコ5:27-28) だれもが、イエスさまのもとに殺到した。 イエスさまも弟子たちも、文字どおり、もみくちゃにされながら歩いた。 長い年月、病を患っていたこの女性は、痛むからだを引きずりながら、その群衆の中に飛び込んだ。 おそらく何度も弾き出されながら、転びながら、であっただろう。 それでも彼女は、必死に手を伸ばした。 ほんの少しでいい、指先だけでも、お着物にさわることができれば、と。 そして、触れた瞬間、わかった。 すると、すぐに…

  • どうしてそんなにこわがるのです

    イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に、「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」(マルコ4:39-40) イエスさまが嵐をしかりつけると、たちまち大なぎになった、というこの箇所は、個人的にとても好きなところだ。 特に、嵐の中で眠っておられるイエスさまに魅かれる。 ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。(38) 人は、平安がなければ眠れない。 イエスさまの平安は、嵐の中でも、ぐっすり眠ることができるほどだった。 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝を…

  • 安息日にしてよいのは

    それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか。」と言われた。彼らは黙っていた。(マルコ3:4) 「彼ら」とあるのは、イエスを訴える口実を狙っていた律法学者やパリサイ人たちだ。 2章には、イエスさまとは対照的なパリサイ人の言葉が出てくる。 「なぜ彼らは、安息日なのに、してはならないことをするのですか。」(マルコ2:24) 律法主義者たちの意識は、「してはならない」ことに集中していた。 これに対し、イエスさまの意識は、「してよい」ことに向けられていた。 イエスさまは、けっして禁欲主義者ではなかった。 イエ…

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