看取られない最期
母の納骨の日の地方紙に書いてあった文章「近親者の最期を、手を握りながら看取りたいものだと望んできたそばで見守ることができれば死者の思いを心に刻むことができ悔恨の思いなども少しは小さくすることができるのではないかしかし、看取りの機会はなかなかないものベットのそばで、声をかけ最後のコミュニケーションをするなどドラマの場面だけのことのようだ感謝の言葉を聴くことなど、夢のまた夢のような気がする死は偶然的で運命的、タイミングを合わせることなどできない今世紀になっても相変わらず、人間は戦禍による死、災害による死疫病や事故、不条理な死を避けえないではないか最期を看取ることができなかったとしても人間の死を理解し悼みあうことはできる」抜粋長期入院していた母が、院内でコロナに感染したと連絡があったのが今月初め、2週間もたた...看取られない最期
2022/08/30 16:15