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短行想・・・今日の私は昨日より新しい。 https://blog.goo.ne.jp/nokoyacanna

あれもこれも穿って、雑考の向こう岸  とくなが じゅん ・・・折々に、頭を巡る事柄は雑然としており、これらをなんとか、言葉に映してみたくて整頓中・・・

のこのこや
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2020/02/19

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  • 野望と侵略

    📌民主社会や自由社会を尊重し、目指す国々は、独裁者や強権政治を唾棄すべき政治体制として嫌悪している。だが反して、大戦後の70年の世界各地の様相は、それが世界各地が臨む共通項ではないのかもしれないと思えてならない。むしろ独裁的な体制を望んでいる社会が多くあるのではないのかと。その国の政治文化の歴史から脱皮できずに、むしろ強権社会を許容する市民意識が潜在している、もしくはそんなものという諦観か。でなければ、社会の規律性を急速に求めすぎる過程で、手軽に強権が出現する。確かに民主的な政治運営は強権政治より、手間も時間もかかる。そこに社会形成の価値の蓄積があるのだが・・、一部の支配層は、それを丁寧すぎる社会運営として嫌っている。だから、状況優位にある者たちが、社会の前面に出て強行策を取り始める。彼らは更に強い立場を堅持せ...野望と侵略

  • ダレている

    📌1960年代のはじめ、デモによる社会活動が頻繁にあった。なかでも学生のデモが一番激しかった。私はいわゆるノンポリ学生であったが、何度かデモ隊の中にいた。日本社会の隅々まで、社会成熟の途中経過の真っ只中にあるという空気だった。学生たちは希望が大きい分、不条理に敏感だった。大戦の残像を踏まえて、政治動向や権力の怖さにデモの強さで反応した。いま思えば”革命”を叫びながら、その理念と現実の違いは未知であったし、幻想であることも気づけなかった。だがアジテーションに呼応するエネルギーは十分にあった。なにか動くことが義務と思えた。振り返って、あのころ訴えた事柄で実を結んだものはない。激高した運動はやがて変容して、偏狭で過激な一団を産み落として終息した。あれから何十年経って、日本社会は先進国、経済大国と見られるようになった。...ダレている

  • 集団の残酷

    📌立場優位になった者たちは、露骨に非情になっていく。戦場を二等兵として生きた人から、聞いたことがある。戦闘有利に転じると、兵たちは催眠にかけられたように、戦闘の恐怖の反動のように、無慈悲な殺戮に及ぶのだと、その人は言った。敗北した地域の人々には、無残な悲劇だけが待っている。優位な側に立てば、状況に冷静な対応がなされて当然と思うのは、戦場外の人間の思考なのであろう。逆である。それは今も様々な戦場の報道をみてもわかる。殺戮、残酷、非行、強姦の展示場になってしまっている。人は、状況転じれば恐ろしく無慈悲になってしまう。ウクライナ侵攻の場面だけでなく、アフリカでもアジアでも南米でも、そうした状況は世界中にある。どうすれば国際機関が機能するのか、暗澹たる予感ばかりだ。戦場、戦争に限らない。優位な者たちの横暴は、社会の隅々...集団の残酷

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