心学校 十五の四
親鸞聖人は「証」という文字で「さとり」をあらわされるのです。主著『教行信証』にも「証」を解釈して~この上ないさとりの果~という意味で使われているのであって、浄土真宗でいう「さとり」とは「あきらかになる」という意味に理解される気がするのです。それは自らがもっているさとりも、自分が気づいたさとりも、いずれも現世においてのものですが、浄土教ではこの世は穢土、さとりは浄土において得るものと考えるからです。心学校十五の四
2021/04/30 20:22
2021年4月 (1件〜100件)
「ブログリーダー」を活用して、ananさんをフォローしませんか?