小浜島の台風シーズン 真夏もいい加減深まって来たら、それは小浜島の台風シーズン幕開けです。北海道から来た私たちにとって、台風はこの夏が初めての経験です。ハイ、それはもう「台風」って言うくらいですから、すごい風です。まっすぐ歩けないほどの強風と雨でヨレヨレフラフラになります。
無医島でのくらし 今はどうなのか分かりませんが、私たちが住んでいた頃の小浜島には診療所がない無医島でした。さいわい私たちは若くて健康だったので、ちょっとした体の不調は気合いで治していたので問題がありませんでしたが、急病人が出たら石垣島までヘリコプターで搬送すると聞きました。
小浜島の台風シーズン真夏もいい加減深まって来たら、それは小浜島の台風シーズン幕開けです。北海道から来た私たちにとって、台風はこの夏が初めての経験です。ハイ、それはもう「台風」って言うくらいですから、すごい風です。まっすぐ歩けないほどの強風と雨でヨレヨレフラフラになります。
小浜島での貯金額 小浜島では食費くらいしかお金を使うことがなくて、それが大体月に3万円でした。 あとは住まいも光熱費も無料だったので、15万円くらいもらっていたお給料はほとんど貯金できていたんです。その3ヶ月分ですから、それなりにお金はできていたんです。
行きたいな、パナリ出張 私たちがバイトしていたリゾートホテルには別館があったんです。小浜島から漁船で40分ほどのところにある、「新城島」と言う住民登録者が4人しかいないとかって、メッチャ離島です。かろうじて無人島ではなかっただけ良かったかも知れません。
頼む、リーコを1時間だけ いっしょにバイトをしていた子たちで、小浜島の集落内の民家の離れを借りていた若いカップルがいたんです。タクミ君は私と同じ歳で、ナイチヤァ。リーコは沖縄本島から来ている子。涼子って名前が沖縄風の呼びになるとリーコってなるみたいです。
石垣島からのヘルプのオバさんたち 前回、小浜島の祭りごとについて書きましたが、小浜島の機能がストップしても、ホテルのチェックイン部屋は待ったなしです。こうなると石垣島のパートのオバさんたちを回してもらうしかないんですが、このオバさんたちが生狡くって。
小浜島の秘祭、赤マタ黒マタ 沖縄の離島にはそれぞれ独自のお祭りがあって、宮古島のパーントゥなんか有名ですよね、なんかモジャモジャしたのが泥を塗りたくるお祭りです。小浜島の赤マタ黒マタは、赤いのと黒い獅子舞みたいのが門付けしてあるくお祭りのようです。
ネギの話なんかどうでもいいから 小浜島には幸か不幸かリゾートホテルができて、集落に私たちのように短期契約のバイトで来る女の子が続々と入れ替わり立ち替わり現れるので、結婚できない長男たちにとっては、ここでワンチャンものにしたいと熱望するのも仕方がないことでしょう。
ミーツミート ポーク缶も気になっていたんですけれど、口に合わなかったら災難だと思って買ったことがなかったんです。ミーナに「どんなやって食べたらいいの?」って聞いたら、「ベーコンと変わらんよ、卵焼きと焼いたらいいさー」と教えてくれたので、焼いてみたら呆れ返るほどの脂が出るんです。
ちんすこう事件 私たちがバイトをしていたホテルては客室にウェルカムサービスで、「ちんすこう」を出していたんです。ちんすこうって沖縄風ショートブレッドみたいな感じで、ラードで練ってあるので、猛烈カロリーが高そうなんですが、私たちは箱単位で備品のちんすこうを食べていたんです。
タオルもっとちょうだい ホテルのタオルは毎日自分たちで折り目もピシッとさせて、ホテルのロゴが前面に来るように畳んでいるんですから、1枚だって無駄使いしたくないんですけれど、コテージの端っこのリネン庫からタオルの補充にいくつか抱えて客室に向かっていたことがあるんです。
小浜島のリゾートバイトが始まりました 私たちがリゾートバイトをすることになっているホテルは、当時小浜島に一軒だけあった大規模なリゾートホテルで、東京ドーム20個分の敷地にコテージの客室が分散している規模もお値段もハイクラスなホテルでした。けど掃除に入ると広い客室は仇となるんですよね
小浜島の寮の住民たち 同じ寮にいた女の子たちは、半数が沖縄本島から来た沖縄の人(ウチナンチュ)で、あとの半分が石垣島の米原キャンプ場から地引き網に引かれるようにして来ていたツーリストの女の子たちでした。ネコも杓子も「沖縄移住」へひた走るひとつ前の世代のツーリストはバイクやチャリでした
沖縄のまちやぐわー 平成の世で激減したのが沖縄のまちやぐわーではないでしょうか。まちやぐわーがなんなのか分からない世代の沖縄移住者の方も今後増えてくるかもしれないので書いておきますと、これ、漢字で書くと町屋小。意味は小さな商店と言ったところです。
小浜島、自炊生活のはじまり 今はちがうと思うんですけれど、平成元年当時の小浜島の外食事情では集落に飲食店がなかったんです。正確には民宿に食堂があって、一度行ったことがあるんですけれど、わかるでしょ?沖縄の食堂のメニューって。「おかず」とか「みそ汁」とか食指の湧かないメニューばかりで。
小浜島集落の風習小浜島集落へ向かう港は何もないだだっ広い平地でした。今でこそ港にはカフェやレンタサイクル店などができているようですが、私たちが到着した平成元年の夏にはまだ何にもなかったんです。小浜島と言うのは、NHKの朝ドラ「ちゅらさん」の舞台となって全国的な知名度が上がりました。
石垣島からさらに小浜島へ 翌日の朝の飛行機で私たちは石垣島に向かいました。飛行機は南西航空。聞いたこともない航空会社名と小さな機体の飛行機、それもタラップで搭乗するとか、たった40分程度のフライトのはずなんですが不安な要素しかなくて、私たちは緊張していました。
沖縄移住、住み込みバイトの面接 辺りを睥睨するように威風堂々とした新築の沖縄県庁舎向かいのビルの中に入っていた事務所に、私たちは沖縄での住み込みバイトの面接に行きました。「あなたたちみたいにお若い方に言いにくいんですけど、ホテルの清掃がお仕事なんです」
沖縄移住、最初に教わった方言 「オマエ沖縄行くのか?じゃ、沖縄の方言を教えてやるよ、いいか?挨拶する時にはかならずホーミーって言うんだぞ、そしたらみんな仲良くしてくれるから」この方言の意味をご存知の方もたくさんいらっしゃるとは思うんですけれど、けっしてご挨拶の言葉じゃないですよね。
私たちがテキトーに沖縄移住を決めたことは前回書きました。 行くのは自由ですけれど、移動するのはタダってわけには行きません。 沖縄移住のお予算はどのくらいかかったか、私たちの例を書きたいと思います。特に札幌から那覇空港までですと日本のほぼ北から南になってしまいます。
沖縄移住のきっかけ これはもう沖縄移住してからずっとなんですけれど、初めて会ったすべての方におそらく聞かれている質問だと思います。もしかしたら、33年前に離れた地元である札幌でも幾度となく聞かれている質問かも知れません。「なんで沖縄に来たの?」
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