本能寺の変を考察する① 事件の全体像とこれまでの通説
天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、戦国の風雲児 織田信長が、本能寺で家臣 明智光秀に討たれる事件が起こった。 俗に言う本能寺の変である。 戦国時代最大のミステリーとされ、いまだに真相は藪の中でさまざまな説が唱えられ、歴史学者、歴史好き問わず議論の的になっている。 今回は当時の日本の情勢、事件の状況を整理して、真相の究明の足掛かりがつかめればと思っている。 当時の情勢 出典元 1582年(前半) 本能寺の変と伊賀越え|戦国時代勢力図と各大名の動向ブログ 尾張で名をあげた織田信長は着々と勢力を拡大していき、天正10年3月に武田家を滅ぼすとほとんどの大名は信長に恭順する姿勢をみせる。 …
2019/11/22 02:34