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  • 100%の正しさを押しつけたくなるけれど

    誰かに自分の思いを伝えるというのは、非常に難しいなと感じます。 そもそも「思いは100%伝わらない」という前提で生きるほうが、きっとラク。 けれど、伝えなければいけないと、自分が思っていることもあるじゃないですか。 例えば相手が間違っているぞと感じたら、ついつい忠告したくもなります。 しかし河合隼雄さんの『こころの処方箋』の中に、 「100%正しい忠告はまず役に立たない」 と書かれていて、ハッとしました。 // リンク 本の中に 「忠告によって人間が良くなるのだったら、その100%正しい忠告を、まず自分自身に適用してみるとよい。「もっと働きなさい」とか、「酒をやめよう」などと自分に言ってみても…

  • スマホが悪なのかは分からないけれど

    Twitterを眺めていたら、とある小児科医の方が『スマホ脳』の感想をつぶやかれていました。 『スマホ脳』の著者は、医師なんだそうです。 それなのに、「科学的根拠が薄い」と指摘されていました。 さらに『スマホ脳』には、 「スティーブ・ジョブズは、iPadをさわらせなかった」 と書いてあるけれど、そういった事実は本当にあったのか? といったことも指摘されています。 これを受けて思ったこと。 スマホは便利ですよね。 便利なのですが、称賛されるばかりではなく、注意喚起をするものも多くあります。 新しいものだから、脳に与える影響については分からないことも多いですよね。 スマホを使うことによって、これか…

  • SNSは「時間を奪うもの」だとしても

    夏休みですね。 すっかりブログの更新が滞っております(noteは毎日更新しているのに何故)。 先日聞いていた、西野亮廣さんのVoicy👇 voicy.jp この放送の中で、西野さんはSNSについて、 「自分の人生とは何の関係もない情報に、時間と感情を奪われてしまっている」 と、おっしゃっていました。 言われてみると確かにその通り。 SNSのタイムラインを眺めている時間って、思っている以上にダラダラと過ぎていて、自分もムダな時間だなと分かっていました。 けれども、やめられないとまらない。 スパッと止めてみたら、ムダな時間を過ごさずに済むのかな~。 なんて、放送を聞きながら思いました。 そしてTw…

  • 「だいたいでいい」と思ってみれば、ストレスも減るらしいので

    最近ずっと首が痛いんですよ。 寝違えたのかな?と思ったんですけど、どうも違うみたいで。 10あった痛みが、今のところ5ぐらいあって。 いつもならすぐに痛みが0になるのに、今回は長引いていて、これがストレスでした。 そんな時に『どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか』を読んでたら、 「完璧に治らないという前提で生きる」 という文章があって、ここにものすごく惹かれました。 // リンク 突発的な体の不調が起こっても、スッキリ治ることが多かったんですよ、若い頃は。 でもこれから先も、不調がスッキリ治るかといえば、実はそうでもない。 むしろ、その不調を抱えて生きる確率のほうが高いですよね、そ…

  • 「安定」があると思ってた。

    すぐに不安になってしまいます。 人間だもの、不安は標準装備されているんだし、仕方がないじゃないか。 そう思っていますし、ブログにも以前書きましたけれども。 www.mokerin.com それでも不安というのは、取りつかれると厄介で。 何にもする気にならないし、気持ちがずっとソワソワして落ち着かないし。 不安に対処するために、色んな本を読みまして。 どうにかこうにかやってきましたけれど、どうも落ち着かない日々が増えたので、『どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか』を読んだんです。 // リンク 本には、 「そもそも、安定というものがあると思い込んでいるから不安なんだよね」 と、みうら…

  • 雑記ブログなのに「何を書いたら良いのか」悩む原因

    日常を、面白おかしく文章に出来る。 そういう人に憧れます。 柴崎友香さんの『よう知らんけど日記』を読んで、 日常をネタにすること について考えていました。 // リンク 雑記ブログなのに悩む ブログを書き続けていると、 「こんなことを書いても良いんだろうか?」 「こんなの誰が読むのよ?」 みたいな自問自答を、毎日しちゃうんですね。 もともとブログを始めた頃は、 「有益な記事を書いて、収益化できるようにする」 といった目的がありました。 その頃は 「ブログに書くこと=有益な情報」 これが鉄則だと思ってたんです。 でも段々と「有益」って何やねん、という気持ちが生まれて、どんどん迷走が始まります。 …

  • 自分の話をうまく聞けているだろうか?

    先日、「自分の文章がつまらない原因」をブログに書きました。 これです👇 www.mokerin.com 自分が書いている文章に対して、甘い読者になっているのが「つまらない文章の原因」だと、記事に書きました。 この記事を書きながらも、 「自分に甘くなるぐらい良いじゃないか、世間は荒波なんだぞ!?」 と思ったりもして、どうにも気持ちが定まらない。 そんな時に読んでいた、柿内正午さんの『プルーストを読む生活』に、 「僕は僕の語りをうまく聴けない」 と書いてあって、コレだ!!と思いました。 // リンク 「自分の書いた文章を、厳しい目で読む」 これが文章を生業にする人には必要だと、『取材・執筆・推敲』…

  • 「自分にしか書けない文章を書く」なんて難しいけれども

    古賀史健さんの『取材・執筆・推敲』を読んでいて、 「自分だけしか書けない文章を書く」 といった話があるんです。 // リンク 既に知られている情報だけを書いても、誰も読んではくれない。 それよりも、自分にしか書けないものを書く。 そうすることで「また読みたい」と思ってもらえるようになる。 そんな話があったんです。 私は読んだ本の感想みたいな記事を、こうしてブログに書いています。 本の感想だけではなくて、 「感想+自分にしか書けないこと」 を入れていくと良いんだろうな、ということが分かりました。 ただ、「自分にしか書けないこと」というのが、くせ者ですね。 それって何やねん?って自問自答してしまい…

  • つまらない文章の原因

    古賀史健さんの『取材・執筆・推敲』を読んでいます。 // リンク この本の序盤で 「なぜ、あなたの文章はつまらないのか」 というタイトルを発見しましてね。 自分が書いている文章に対して、甘い採点をしているのが原因だと書いてあったんです。 文章を書くというのは、「書く」ことに意識が向きますよね。 しかし、大事なのは「読む」ほうだそうです。 自分が書いた文章を、「読者としての自分」が厳しく判断する。 これが大事なんですね。 自分としては80点の出来だと思う文章も、実は40点だったりするもの。 40点を40点として、正確に評価することが大事。 そして40点を80点や90点にするには、どうしたらいいの…

  • 本当に「やりたい」ことを知るために「手のひらを見つめる」

    ネットで情報を追いかける。 読書する。 Voicyを聞く。 空いている時間は、何かしらインプットしている私。 (Voicyを聞きながら家事をすることもあるので、空き時間以外もインプットしてるかも) インプットすることは、知識を増やすこと。 そう信じてやってきたんです。 でもふと思ったんですよね。 私は本当にインプットしたくて、しているんだろうか?って。 知識を仕入れること、勉強を続けること。 それらをしなくなると、人間はダメだと言われたり、格差が広がると言われたりします。 けれどもですよ? 自分が本当に心の底から「やりたい」と思ってやっているのか? 「やりたい」かどうかを、自分に問いかける時間…

  • 嫌いなアイツの言うことなんて信用できない

    以前、何かで、 「自分が嫌いだと、自分を痛めつけようとしてしまう」 といった話を読んだんです。 本だったのか、ネットだったのか、情報源がどこだったのか、きれいさっぱり忘れてしまったんですけどもね。 誰かに嫌なことをされて、その人を嫌いになる。 そして恨みが生まれて、やがて相手に復讐しようと考え始める。 自分を嫌いな場合、自分自身にも 「復讐しよう」 と思ってしまうらしいんですよ。 私自身も、自分が嫌いな時期が長くて、今でも自分を「好き」だと自信を持って言えません。 自分を「好き」と言える人を、ナルシストだと思っていた時期がありましてね。 「ナルシスト=恥ずかしい」 この思いが抜けきってないんで…

  • 同じ話を何度もする理由

    同じ話を何度もすることに抵抗がありました。 「あの人しつこいよね」 と思われたくないからなんですけどね。 でもそれって、私の勝手な「解釈」でしかないんです。 実際に 「しつこいですね」 と言われたことがあるわけじゃない。 つまり、私が勝手に読んでくださる人の心情を、代弁したつもりになっているだけなんです。 ただの被害妄想ですな。 MBさんの『もっと幸せに働こう』にも、 「本当に伝えたいことは、何度でも提供し続ける」 といった話がありましてね。 // リンク 同じ内容を手を替え品を替え読ませなければ、手を替え品を替え提案しなければ、本当の意味では理解されないのです。 『もっと幸せに働こう』より引…

  • 「絶対の正解」なんて無いことを知る

    物事には「正解」が存在する。 そう思ってました。 けれど「正解」って何よ? とも思うのも事実。 「絶対の正解」なんて、この世にあるのか。 そんなことを苫野一徳さんの『勉強するのは何のため?』を読んで考えていました。 // リンク 子どもたちに、 「どうして学校に行くの?」 「どうして勉強するの?」 と聞かれると、ついつい言葉を濁す私。 え?子どもは学校に行くって決まってるからじゃないの? 勉強は大人になって困らないようにじゃない? そんな答えしかできない私。 しかも疑問を疑問で返す。 『勉強するのは何のため?』では、 「どうして学校に行くの?」 「どうして勉強するの?」 この問いに対する「正解…

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