上半身裸になり、父親が蚊に悩まされずに安眠出来るよう、体を張る呉猛。 この彫刻だけ見ても、どんな親孝行なのかさっぱりわからないですよね。お父さんのそばで子どもが寝てる、としか見えません。 呉猛の腕が取れてしまっていますが、おそらく下の絵のように顔を覆うような感じだったと思われます。 二十四孝諺解(1686) ARC古典籍ポータルデータベースよりこういう住環境で、蚊が呉猛を集中攻撃している図を想像してくださいねー。爆睡しているお父さんへの怒りがふつふつと沸いてくるはずです。
社寺巡りをしていると、お堂や社殿に彫刻が施されているのを見ますよね!日本の神話や中国の仙人、鳥や動物。その中でも中国の孝子たち、「二十四孝」の彫刻に絞って見ていきます。
閔子騫。なんかこう、もうちょっと、意地悪な継母にはペナルティがあってもいいと思うの。旦那の乗った車を継母に曳かせるとか。もちろん薄着で。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 閔子騫周の閔損あざなは子騫 孔子の弟子にて十哲の其一人なり子騫が母ははやく世をさり 父継母をむかへたり後の母 子二人をもちてまま子の子騫をにくみ冬芦の花を衣服にいれてびん子にきせ わが実子二人に綿を入れてきせたりある時父車をびん子にひかせけるに あしの花をいれたる衣ひえてからだこごへ むながひをとりはづしければ父も継母のあしきをにくみ りべつせんといかりけるびんしのいふやう今 母ぎみなくは子ども三人ひへこごへ…
老人会の余興にも見えてしまう、老莱子の親孝行。派手な服着て楽器を打ち鳴らす。シラフじゃなかなかできません。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 老莱子老莱子は周の代の人なり年七十にして父母をもてり おやにつかゆるに つねにしょくもつもこどものごとく 七十におよべどもとしおいたるといはず 衣ふくも子どものごとくわけもなきあそびたはむれをなして ふたおやをなぐさめ きうじなどにわざとつまづきころびてもちたるものをおとし こどものごとくなきわめき おさなきふぜいをなす これふたおやわが子としおいてよめいなく わが身もたのみすくなく思はんとてなり しん中日夜の孝心ふかきこと思ひやるべしか…
唐夫人。ご主人は唐さんではなく崔さん。二十四孝の書籍では一度もお姿を拝見したことありません。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 唐夫人唐は代の名なり 夫は崔寛といふ 博陵の人なり山南西道の節度使と云官になるゆへに崔山南といふ曾祖母は長孫夫人とて老年になり歯一枚もなししょくもつをくらふことならねは娵の唐夫人しうとめにつかふる礼あつきゆへまい日かみをゆひ 身をきよめてしうとめに乳をあたへてのましむること四五年しょくせざれどもそくさいなり かくて長そん夫人老病にうちふししんるいみなかんびやうすその時ろうぼみなみなにいふやうわれこれまでよめのちちにて命ながらへたるおんをいまだむくはず …
今日は丁蘭です。母のみの木像のことが多いですが、両親の像のこともあります。この絵は両親バージョン。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 丁蘭丁蘭は後漢の代の人なり 稚きとき二親にはなれければ孝をもつてやしなひつかふることなきをなげき母は胎内のくるしみあり 生まれては懐哺のかうおんあり父にはやういくのぢうおんあり此おんをほうぜざることを 束のまもわすれず父母のすがたを木にてつくり あさゆふいける人につかふるがごとく孝行をなしにける蘭が妻はこれを敬ふ心なくある時木ぞうのゆびをはりにてさしければ血ながれ出たり蘭かへりて木像を拝すれば涙をはらはらとながしけるゆへふしぎに思ふ所にその夜木ぞ…
王祥は見開きです。一般的な「1.氷が融けて鯉が飛び出す話」のほかに「2.継母が食べたいと言った雀が家の中に集団で飛び込んでくる話」「3.スモモがなっている木の見張りを言いつけられて、風雨のたびに木にとりついて泣いた話」「4.継母が王祥を毒殺しようとする話」など盛りだくさん。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 王祥 晋の王祥 字は休徴 不幸にしてはやく慈母を失へり継母を朱子と云 まま母のうみし子を王覧といへり母覧を愛して祥をにくみつねづね父のまへにて讒をかまへあしざまにいひければ 父継母の言葉につきて祥をうとんず されども王祥は孝のこころざしをあらためず父母につかへておこたらずあ…
ミカンが二個転がってます。おもてなしの果物なら頂いて帰ってもいいじゃないの、と思いましたが、黙って持って帰ろうとしたから咎められたんでしょうね。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 陸績後漢の陸績字は公紀年六才の時九江郡といふ所にゆき袁術と云人にまみゆ袁術陸績のもてなしに橘を出したりりくせきたちばな二つを懐にしてかへる時礼をなすとてとりおとしければ袁術見とがめ幼とて非礼なりといふ その時りくせき ひざまづきつつしんで申すやう わが母橘を好めり いへにかへりて母にそなへんとぞんじてしょくせずしてもちかへらんとすと答ければ袁術ききて六才の小児その身はしょくせず母にそなへんとする孝心か…
笠と荷物を脇に置いて、母と再会する朱壽昌。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 朱壽昌 宋の朱壽昌は天長の代の人なり 父は雍州の守護となる寿昌が母はりう氏のむすめなり 本妻の妬みつよきがゆゑに止ことを得ず寿昌が七才のときこれをのこして他のいへにかしづきたり寿昌せい長して神宗帝につかへけれども産の母をしらずして一日も孝養なさざるを嘆き悲み官禄をすてて母をたづねに出つひに秦の国にてたづねあたるその時母の年七十にあまれりたがひに涙をながし歓びて孝をつくしつかへけり此事神宗帝にそうもんするものありてゑいかん斜めならず官をすてし罪をゆるし母子とも都にめされもとのごとく官禄を給はりけり至孝の…
姜詩。またもや本人は不在。家の中から嫁を監視する姑。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 姜詩姜詩は後漢の代の廣漢と云所の人なり字を任道と云 父をうしなひ一人の母につかへて孝道しごくせり姜子がつまのホウ氏もしうとめに事(つかふ)るにまめやかなり母つねに江湖とて姜がいへより三十丁ほどはなれたる所の水をこのめりホウ氏つねにゆきてその水をくみ来る ある時風雨つよく女のわざに及ざりしかば その子ゆきて水をくまんとして誤って江に入て死すといへども母にこれをきかせず学問のために外へやりたりと云また母うをのなますをのぞめり 夫婦つねにもとめ母にあたへて歓しむかかる孝行のとく 天に通じけん姜がい…
9番目は呉猛。このはだかで突っ伏すポーズは社寺彫刻でも見かけますね。「二十四孝」の内容は親には優しいけれど幼い子どもには優しくないです。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 呉猛 晋の呉猛 字を世雲と云 濮陽の人なり少(わか)きより孝行の聞(きこへ)ありとし 八才の時夏にいたれども家貧にして蟵(かや)もなくよろづ心にたらざりければ わが衣を親にきせあかはだかになりて そのかたはらにふし蚊にあかしめてはらはずはらへば親のかたへ蚊のゆかんことをおそれわが肌をよもすがら蚊にくはせてねむりにつかずとなり父母死してのち丁義といへる仙人に術をならひ得て仙法をまなびけるとぞ まことに孝行のあつ…
8人目は王裒。風雨雷鳴激しい中、母親の墓前で優しく話しかけてます。お墓に覆屋を作ればよさそうなものだ、とかそういうことは言いにくい雰囲気ですね。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 王裒 晋の王裒は営陵といふ所の人なり字を偉元と云 父は王儀とて晋の文帝につかへしに罪なくして命をたたれ王裒これを恨 一期のあいだ都の方へむかふて座せず幼きより操をもととしまづしけれともへつらはす身におうじて耕しおごらず 父のはかにまうでひざまづきかなしむ なみだにてかたはらの木もかれたりとぞ母そんざいのとき雷をおそるる人なりければ みまかりてのちも風雨らいめいするときは王裒はかしよにいたり世にある時の…
7人目は曽参。見開きではなく片側一ページだったので翻刻がちょっと楽。薪を束ねて、帰り支度をしていたところでしょうか。胸騒ぎがして家を見たらおりしも来客あり、という場面ですね。 母親と来客。簡単な線でもよくわかる。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 曽参 周の曽参 字は子輿といへり 曽子母につかへて至極の孝行なり魯国の南 武城の人なり孔子の高弟子にて つねに孝志あつきゆへに 孔子も道流の伝をつがしめ孝経をときしめし給ふに あるとき曽参山へたき木を取にゆきける母いへにあり したしき客きたれども もとよりまづしければ もてなすべきこともならず 曽参はやくかへりきたれかしとて 母ゆびを…
6人目は董永。二人は槐の木の下で出会い、そして槐の木の下でお別れしたのですね。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 董永 後漢の董永 字を延年といふ家貧窮にしておさなき時母におくれ父とし老て足たたず 車にのせて田のあぜのすずしき所へつれゆきおきて やしなひながらその身は人にやとはれ わづかのちんせんをとりて孝行をつくしける父死して葬ることあたはず日々やとはるる主人にわが一生の身をかき入れ(借金のカタ)となし銭をかりてそうれいをいとなみけりさて銭をかりたる家にいたらんとせし道にて一人の美女にあふ かの人董永がつまにならんといふ董永は田宅もなく今身をうりたる家にゆくことなれば再三いな…
こちらも先頭集団のレギュラーメンバー、楊香。はっきり「楊香は女」と書いてありますね。意外と性別は書いてない本が多いんですよね。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 楊香楊香といへる女は晋の代魯国の人楊豊と云人のむすめなり 年十四の時田園といふて耕地に出 粟をとらんとするをりふし猛虎きたりて父をひきくはへてゆかんとす楊香女のことなれば 手に一寸のきれものもなしされども日ごろ孝心ふかきものなればわが身にとらをおそるる心もなく虎のひらくびにとりつき 父をたすけてわれをくらふべしとなげきければ たけき乕(とら)なれども此孝心に感じてや楊豊をはなしたり それのみならず たけきいきほひもあら…
大舜、漢文帝、孟宗ときて、今日は郭巨。文句なく先頭集団っていう顔ぶれですね。郭巨の道具、この絵では鍬ではなくて鋤ですね。子どももシンバルみたいなのを叩いて命拾いを喜んでいるようです。 早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 郭巨後漢の郭巨 あざなは文挙といへり 河内といふところの人なり家まづしくて 母をやしなへり一子ありときに 二才なり 母つねにその孫を愛していつくしみわが食をわけあたへける郭巨つまにむかひいふやう つねに母の食を満るほどすすむることあたはず しかるに その内をわけて孫にあたへ給ふをみれば食とぼしくてしのびがたし しょせん夫婦の中の子は又まうくることもあるべし明日もはかりか…
三人目は孟宗。天に向かって泣く・・・というわけではなく、腕組して何やら考えてる風情。「やってらんねー。寒いし。もう帰ろっかな」と考えてるのかしら。 「タケノコ5~6本はえてきた」シーンでしょうか。気づいて、孟宗。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 孟宗 晋の孟宗のちに孟仁といふ 字を恭武と号す 江夏といふ所の人なり三国の頃より晋の代までを経たり 若き時より李粛といふものにしたがひ 学問を究(きはむ)つねに孝行をよくつとむ晋の武帝の時 監池司馬とていけすの魚を守る奉行の官となれり孟宗池の魚をとり すしにつくり 母の方へおくりしが母これをうけず 汝魚を守る役として魚をおくること 他…
二番目は漢文帝。お世話をする女性がたくさん。この中に奥さんはいるのかしら。みんな侍女かしら。 薄太后の右側の女性はひざをついて扇で太后に風を送っています。 画像は早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 漢文帝 前漢の文帝と申すは前漢の代第四代の賢君なり 諱をば恒と申ける 高祖第二番目の太子にて いまた天子にたたせ給はざりし時代といふ所の諸侯王になり給ふ 文帝を生産給ひし母堂を薄太后と申ける太后とは天子の母君をいふ言葉なり文帝つねに母の太后に美食をすすめ給ふにもみづからこころみて そなへ給ふこと懈怠なし母君三年があいだやまひになやみ給ふといへども文帝孝心あつきゆゑにかかるひさしきあいだといへ…
トップバッターは大舜。3ページに渡って紹介されています。 右側の絵は皇帝になってからの舜ですね。左側の見開きは幼少時代の舜。 それにしても文章多いです・・・。 早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 尭帝にヘッドハンティングされて皇帝になり、尭帝の娘さん二人をお嫁さんにもらって、まさにこの世の春。 別の版はちょっと印刷が薄いですが、大舜の様子はわかりやすいです。岩の上には風呂敷包み。笠を脱ぎ、鍬を脇に立てて一休み。右手を上げて象に話しかける姿ですね。 早稲田大学図書館古典籍総合データベースより 大舜 有虞氏帝舜姓は姚 名は重華 黄帝の後なり はじめはいやしき人なれども よく孝行を尽し給ふゆ…
明日からは個性的なタッチの二十四孝をご紹介します。画家は一筆菴(葊)英泉。いろんな名前を持つ渓斎英泉(1791~1848)です。 上下巻で26人フルラインアップ。 廿四孝 上巻。 下巻。 発行年月日が書いてないです。 早稲田大学図書館古典籍総合データベースより
ラストは王祥。 王祥といえば大抵氷の上で、この体勢。全体に白っぽく霞がかかっているように見えます。制作された明治43年というと西暦1910年。100年前はきっと氷のひび割れや周囲の風景も鮮明だったんでしょうね。こういうレリーフは磨いちゃだめなのかな。せめて名前のところだけでも。 「王」は読めますね。きっと「王祥なんとか」。 ーーー 岩﨑家廟堂のレリーフ 終 ーーー
最下段左側は朱壽昌。 布の柔らかさを感じるレリーフです。 おそらく右上に人物名が書かれていると思うのですが確認できません。
下から二段目の右側は郭巨。いつもセンターポジションにいることが多い郭巨にしては、ちょっと目立たない場所にいますね。 気分的には3の姜詩と入れ替えたくなるわね。 天に向かって手を合わせる前の、釜を掘り当てた直後っていう感じです。 扉の輪の陰で見にくいですが「巨」の字はわかりますね。「郭巨なんとか」と書かれていることでしょう。
9番目は唐夫人。下から二段目の左側です。 歯のない姑に乳を飲ませる、二十四孝ではお馴染みのシーン。「唐夫人」はこれ以外に表現のしようがなさそうです。唐夫人ご本人は異国まで自分の彫刻が蔓延した事態を光栄に思っているかどうか。 作品名は「唐夫人なんとか」で問題ないですね。
下から三段目の右側は老莱子。 ノリノリで踊る老莱子。製作者の岡崎雪聲さんは、親の前で幼児のフリして踊る妙なおじさんのことをどう思ってたのかしら。 右上には「老莱子なんとか」。
今日は下から三段目の左側。仲由です。 米俵を背負って山道を行く仲由。曽参の薪よりさらに重そう。中国では米俵を使わないようですが、布の袋を背負っていたら日本人は中身がお米だと思わないかも。俵ならすぐお米って伝わりますね。 「子路なんとか」と読めますね。孔門十哲の一人。姓は仲、名は由、字は子路。「論語」では孔子に可愛がられてましたね。
中段右側は曽参です。 薪たくさん。重そう。 6番目の曽参まで書き進めてきて初めて、レリーフの隅に人物名が彫られていることに気づきました。「曽参」の下にもう一文字ありますが読めません。 慌ててさかのぼって3姜詩から5閔子騫まで名前の部分の画像を追記しました。どれも名前の下にもう一文字、共通する読めない字があります。(1漢文帝と2大舜は画像が暗くて名前が確認できませんでした)
真ん中の段、左側は閔子騫ですね。 先妻の息子である閔子騫にひどい仕打ちをしていた継母を、杖で叩いて追い出そうとする父親。それを思いとどまらせようと説得する閔子騫。母と一緒に追い出される寸前でも玩具で遊んでいる呑気な弟もいます。背景はうっすらとしか見えませんがおそらく玄関先でしょうね。 彫刻でも挿絵でも、閔子騫のお父さんは憮然とした表情でデーンと座っているか、もしくは杖を下して立っている姿が多いです。岩﨑家廟堂のレリーフのお父さんは今にも奥さんを叩こうとしている意気込みが感じられ、また閔子騫も必死で父親の袖にすがって引き留める感じが伝わってきます。 杖を大きく振り回しているわけでもなく、肩先から…
上から二段目の右側は孟宗です。 タケノコがほしくて泣いてます。 ちょっと薄くてわかりにくいですが、タケノコはえてます。4本くらいあるかな。 これだけあればお母さんも満足ですね。
ハーイ今日は上から二段目の左側、「姜詩」でございます。 姑のためにせっせと水を汲んで運んだ献身的な奥さん。でも有名なのは夫の姜詩のほう。不公平だわね。 ↓この挿絵は人物の配置がレリーフと似てますね。鯉が二匹、水面から顔を出してます。 倭漢廿四孝 早稲田大学図書館蔵 ということはこのゴチャゴチャっとした部分も鯉二匹なのかしら。どういう状態なのかしら。
二つ目は最上段の右側です。こちらも暗いです。 象と一緒に畑仕事をする大舜。ちょっと一休み中。 曇りの日のほうが見やすい写真が撮れるかな。どこかに鳥がいると思うのだけれど、この写真では確認できませんね。
まずは最上段左側から。暗くてよく見えません。 補正してみましたがまだ暗いです。病床の女性にお茶かお湯だかを運ぶ人。よくわからないけど、漢文帝ですよねー。 部屋の作りや文帝の服の感じなど、この絵と似てますね。文帝の後ろに控えている、侍女っぽい若い女性はいませんが。 倭漢廿四孝/早稲田大学図書館蔵
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上半身裸になり、父親が蚊に悩まされずに安眠出来るよう、体を張る呉猛。 この彫刻だけ見ても、どんな親孝行なのかさっぱりわからないですよね。お父さんのそばで子どもが寝てる、としか見えません。 呉猛の腕が取れてしまっていますが、おそらく下の絵のように顔を覆うような感じだったと思われます。 二十四孝諺解(1686) ARC古典籍ポータルデータベースよりこういう住環境で、蚊が呉猛を集中攻撃している図を想像してくださいねー。爆睡しているお父さんへの怒りがふつふつと沸いてくるはずです。
皇帝という立派な立場でありながら、母親の世話は人任せにしないで自ら行う漢文帝。 破損していますが漢文帝の後ろの童子?は真ん丸なものを運んでいるように見えますね。なんでしょね。母親の薄太后は下の千手院観音堂の彫刻同様、右手に軍配みたいな扇を持って座っているようです。 鹿沼市千手院観音堂の漢文帝。ボケボケ~。童子は何を運んでいるのかわかんないしー。 二十四孝諺解(1686) ARC古典籍ポータルデータベースより
生き別れの母にようやく会うことが出来た朱寿昌。 子どもの肩を借りて、杖をついた老母が家から出てきました。朱寿昌は旅の荷物を脇に置いて、恭しく姿勢を低くしています。 子どもの顔は破損していますね。 「二十四孝諺解」13朱寿昌 ARC古典籍ポータルデータベースより
唐夫人の右側は黄山谷。 病床の親御さんは脱走してしまった様子。右側の枕に頭を乗せて臥せっていたものと思われます。 背景の板に残る、黄山谷の肩から上のシルエット。このうつむき加減は黄山谷ね。 ↑ この黄山谷の持っている尿器は注ぎ口のついた小さな器のようですね。 飯綱神社の黄山谷。お母さんは床についてます。でもあまり重病そうには見えない。 「ごはんまだなのー?」とか文句言ってそう。
建物の外周、この位置にある彫刻は唐夫人。参拝客がみんな見上げる良い位置ですよね。 歯がなくなって物を噛めなくなった姑に乳を飲ませる唐夫人。 なぜ女同士とはいえ、セクハラじみた「唐夫人」が二十四孝彫刻の中で人気のある題材だったのかしら。
年老いた両親に老いを自覚させまいと、子どもの振りをして派手な格好で踊る老莱子、70歳。意味わかりませんよね。 両親は老莱子の気持ちを汲んで、喜んでいるふりしてるに違いありません。誰が見たってわかるでしょ。右端に本当の子どもがいるから、年齢差は歴然。肌ツヤも声もね。 こちらは千手院観音堂の老莱子。太鼓叩かされている子はバイト代貰ったのかな。 「戯綵娯親」と書いてゲンジツトウヒと読む。嘘です。 「戯綵(ぎさい) 親をたのしましむ」。子供の着るような派手な服を着て親を喜ばせる、という意味です。
中央の「観世音」の額の奥、ここの蟇股にも彫刻があります。 真正面からだと蟇股の彫刻は全然見えないですね。 斜め左方向から覗くと、見えるのは王裒ですね。お墓に何か語りかけている風情。頭上には怖い顔の雷神が。 王裒の母親は雷が嫌い。そんな母親の死後、雷が鳴るたびに王裒は母親のお墓へ飛んで行って「私がいるから大丈夫」と励ますのでした。 中野市右衛門 二十四孝 王裒 ーーー お堂が建てられた当時は「観世音」の額を飾ってなかったのかしら。最初から額の裏だったとしたら王裒かわいそう。 額の右側にも人物が二人見えますが、これは全部の二十四孝彫刻を紹介した最後に考察を綴ろうと思います。
内陣の左側から。閔子騫ですね。 閔子騫の王道の構図になります。右側に赤ちゃんと幼児を連れて追い出される継母、左側には怒っている父親、間に入って夫婦仲を修復しようとする健気な閔子騫が中心で正座しています。 主役なのに目立たない閔子騫。服の色が後ろの大木と同じ色なので保護色になってしまってますね。 中野市右衛門 二十四孝 閔子騫 国立国会図書館デジタルコレクションより 八千代市飯綱神社の閔子騫。
成田市の坂東28番札所、滑河観音(なめがわかんのん)。平地にある社寺はそれだけで有難いと思う今日この頃。 成田線滑川駅からてくてく歩いていきました。15~20分くらい。 こちらの本堂の外陣と内陣の蟇股に二十四孝彫刻があると・・・龍元洞さんのブログで知りました。龍元さんありがとうございます。 明日から一点ずつご紹介していきます。 重要文化財の仁王門。
亡くなった親に似せた木像を作り、死後も敬った丁蘭。 国立国会図書館デジタルコレクションより 丁蘭父母を失いて 木像を作り これを拝しける 隣家に張叔といふ者木像を打ちけり 妻この由を丁蘭に告ぐ大に怒り張叔を打ちければ 役人丁蘭を捕らへけるこの時木像泪を流しければ 役人その孝に感じて許しけり ーーー この挿絵には出てこないけれど説明版には隣人の張叔さん登場。 ーーー 玉蘭貞秀画 二十四孝 (終) ーーー
農作業する大舜。象と小鳥がお手伝い。 国立国会図書館デジタルコレクションより 大舜父親頑なにして後添ひの妻も心悪しき者なり 弟の象(せう)といふを愛して大舜を殺さんとすること 度々なれど これを少しも恨まずただ父母の心にかなはざることを悲しむ 後に上げられて天子となる ーーー 何度も殺されかけても親孝行しましょう、って無茶な話。
生き別れだった母とようやく会うことが出来た朱寿昌。 国立国会図書館デジタルコレクションより 朱寿昌七才の時父その母を去りて 後の妻を迎へける この人 常に孝行を尽くし それより五十年を経て 父母みまがりてより真の母を尋ねしに いまだ息災にてめぐり逢ひ 喜び合ふこと限りなしこれ孝行の徳なりけり ーーー もっと早く会いたかったよねー。
郭巨。フライドポテトみたいな黄金がどっさり。 国立国会図書館デジタルコレクションより 郭巨母を養ふに我が子は妨げなりとて 夫婦云ひ合わせ 我が子を埋めんとしたりけるに黄金の釜を掘り出しけり これより家富みて心のままに母を養ひけるとぞ ーーー 生活が苦しくて老母に満足な食事もさせてあげられない。若夫婦は解決策を話し合い、一人息子の殺害を計画。穴を掘ってたら黄金が出てきたのでリッチな生活ができるようになりました。 この話から何を教訓として学べばよいのでしょう。
息子の呉猛が蚊の大軍に襲われている中、父は爆睡。貧しくて蚊帳がないというか、壁もないというか。 国立国会図書館デジタルコレクションより 呉猛幼くして母を失ひ 父に仕へけるが 家貧しくして蚊帳を吊る事ならねば父のそばに臥してある 裸になり己が身を蚊に喰わせて父を眠らせける ーーー 現代なら児童虐待で炎上案件ですね。
体温で氷を解かし、鯉を捕まえるお王祥。鯉は池から顔だけ出してるパターンもありますが、こちらは元気に高く飛び出すパターンですね。 国立国会図書館デジタルコレクションより 王祥継母に仕へて孝行なり あるとき鯉の羹をのぞみけるに池には氷張り満ちて 捕るべきやう(な?)し 王祥嘆きて その上に臥しければ 氷解けて鯉二匹出ければ 捕りて母にすすめけるとぞ ーーー 氷を割る道具を持っていこうとは思わなかったんですね。
姑に乳を飲ませる唐夫人。 国立国会図書館デジタルコレクションより 唐夫人この人 常に姑に仕へて孝行なり 姑年老いて歯も無く食事心に任せざれば 夫人乳を含ませて養ひける 姑これを喜ぶこと限りなく 身終はりけるとぞ ーーー 歯がなくても御粥とかスープのほうがいいと思うの。
おもてなしで出されたミカンを黙って袖の中に入れて持ち帰ろうとした陸績。 国立国会図書館デジタルコレクションより 陸績六歳の時 袁術といふ人のもとへ行き 馳走に出たる橘を袖に入れけるを袁術咎めければ 持ち帰りて母へ与へたしと云ひけるにぞ 孝行の名あらはれける ーーー 袁術にとがめられて、「母へのお土産にしようと思って」と言い訳をしたら孝子として後世まで褒めたたえられた陸績。「母への土産」は本心からだったのか、咄嗟に思い付いたアドリブだったのか、真相は闇の中。
鹿の格好をして鹿の群れに入り、猟師に射られそうになった剡子。 国立国会図書館デジタルコレクションより 剡子二親目を患ひけるが鹿の乳を用れば癒ゆべしといふによりあるとき鹿の皮をかぶり 鹿の群れゐる中へ入りて 乳を得んとしけるが 狩人 真の鹿と思ひ弓にて射んとしければ急に声をかけて 逃れぬといへり ーーー 何してんのー?と猟師に呆れられてる剡子。
江革。物騒な国から母を連れて脱出していましたが、状況が落ち着いたので故郷に帰りました。お母さんは幌付きの車に乗ってご満悦。 国立国会図書館デジタルコレクションより 江革親に孝行なる人なり あるとき国の内に戦起こりければ 親を伴ひ 他へ逃げけるが ほどなく乱治まり それより親を車に乗せて連れ帰りけるとなんこのことを聞きて 世の人その孝行を誉めけるとぞ ーーー 虫食い部分は他のサイトの画像を見て確認させていただだきました。
崖の上の董永。さよなら天女さま。織姫は薄い色の雲の上に乗ってるように見えます。 国立国会図書館デジタルコレクションより 董永父死して葬りの手当てなく その身を奉公に売りけるに 天女 天下りて妻となり数多の絹を織りて 主人へ返し董永を助けけり ーーー 長いお話を短い文章にまとめる能力が求められますね。
最後はこの方です。 鹿の皮をかぶって矢を持っている人。これは間違えませんね。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 剡子迦夷国の人 二親に孝をつくす 鹿のかはをかふり鹿の乳をとりて親のねがひをかなへんとす 孝行の道 天につうじ かりうどのきたりしを はやくしろしめさせ給ふ ーーー 繪本廿四孝 (鳥居清経画1774) 終 ーーー 終わった~。今回はなんか今までになく疲れました(笑)
いよいよ終盤です。23人目はこちら。 そこな少年。君はなんでこんな危険地帯に入り込んでしまったのか。何の用があったのか。 果樹園の地図記号みたいなのが3つ。ということでもちろんこの少年は・・・。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 陸績呉のくにの人なり 袁術といふ人のもとへ行けるに くわし(菓子)に橘出る 陸績取て袖に入帰るとて落す 袁術笑ふ 陸績母にあたへたく候と云ふ それより孝をかんじ 世にかくれなしとなり ーーー 盗賊の親分みたいな袁術。 ↓ 蔡順に出てきた盗賊の頭とあまり変わりません。 ↓ 少年陸績と一緒に描かれる袁術はこのようにお屋敷の中で威厳のある姿をしていることが多…
22番目も兄弟です。こちらは3人。 大木を見上げる三人兄弟。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより これは間違えにくい孝子ですね。田眞・田廣・田慶の田眞兄弟です。 田真田廣田慶三人兄弟なり 父死後宝を三つにわけとり樹木も三つにわけとらんと云ふ 木枯れたり ふしぎとて三人一所に成り孝行をつくす 木又もとのごとく花さきみのりけり 是孝行のしるしなり ーーー
21番目の孝子は兄弟です。 剣を持った悪そうな人物の前で跪く二人。奥の青年は「僕のほうが太っているから僕を食べて」とアピールしています。でもスマートなので説得力に欠けている感じ(笑)。 お互いを思いやる兄弟愛にあふれた二人の名前は・・・。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 張孝・張礼の兄弟ですね。 張孝張礼 兄弟なり ききんの時八十あまりの母をやしなへり ある時盗人張礼をころさんとす 我八十の母をやしなふ 食をあたへてころされん 又ここに来る 盗人孝行をかんじ 米二石塩一駄あたへけるとなり ーーー 絵だけパッと見ると、兄弟仲がいいというだけで親孝行関係ないんじゃ、と思ってしまい…
20番目はこちらの方ですが・・・。 漢文帝みたいですが、彼は2番目ですでに紹介しています。ということはこの絵のタイトルは・・・。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより これが丁蘭でした(マジ?) 丁蘭河内の人なり 十五の年母におくれ母のかたちを木ぞうに造り 朝夕つかふ 妻ひをともすとて 木像の面をこがす はれ膿出ける 妻木ぞうを外へ出してわびければ一夜にもくぞう みづから内へはいりしとなり 是孝行の念力なるゆへ也 ーーー えー、これは母の木像だそうです。木像になんで介助が必要なんでしょうか。飲み物もお供えするというより飲ませようとしているように見えます。木像を焦がそうとした意地悪嫁…
残り少なくなってきました。19人目はこの人。 激しい雷雨の中、お墓の前でたたずむ男性。これは間違うことはないですね。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 王裒晋のくにの人なり 賢人也 こうさくを業とす 母つね かみ鳴をおそれしかば死て後も雷あれば さつそく母のはか所へゆき それがしここへまいりたりとて亡母にちからをつけけるとなり ーーー
18番目。さあ、難問の登場です。 桶を携え、水辺にしゃがむ若い女性。部屋の中では老婆が食事中。老婆の前には食事を運ぶ男性。さあこの絵のタイトルは? 「姜詩」のように思えるけれど、「姜詩」は6番目で紹介済。 6番目の「姜詩」 さあ気になる正解は・・・! ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 黄山谷でした。 黄山谷宋朝の人也 いへふうきにして人あまためしつかひ孝行にして母の病(やめる)ときはみづから 大小便をとりきよき水をくみ てつからあらい つかい人にはかけざるとなり ーーー 病む母親の世話をする際に、使用人の手を汚さず、自ら大小便や水汲みをした・・・というテキストに違和感あり。お母…
17番目の孝子は星に祈る、あの人。 北斗七星というより、カシオペアに二つ追加したような形の星座。さてこの男性は・・・。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより ゆ黔婁南斉の人也 官人に成て十日にもならざるに にはかに胸さはぎしけれは 父の煩ひ給ふにやと 立帰りみければ父万死一生也 なみだながら北斗の星にきせいし われ父の命にかはらんと いのりける程の孝行なり ーーー
16人目になりました。 二つの籠を前に置いて、ならず者のトップみたいな人の前で命乞いしているように見える男性。籠の前には動物の骨付き肉。そしてカーテンの裏からは四角い箱に何かいっぱい詰めたものを運んでいる人の姿。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 跪いている人は蔡順ですね。 蔡順後漢の人也 父におくれ母をやしなふ そのころ天下乱ききん也 食事にとぼし 桑の実をひろふ 二つのかごへ撰(ゑり)わくる ゑびす共みて問(とふ) じゅくしたるは母にあとふ 夷(ゑびす)聞(きき) 米二斗 牛の股(もも)をあたへける よろこびいよいよ孝をつくす ーーー
15番目の人物は氷上の貴孝子。 鯉が二匹顔を出していますが、姜詩と間違うことはありませんね。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 命がけで鯉を捕まえに行った王祥ですね。 王祥魏の代の人なり いとけなくして母におくれ父又妻をもつ けいぼなれば父子の中をあしくす けいぼ冬雪中に鯉を好む 王祥川へ行き 氷とぢて有り はだかに成 氷の上にふして魚二つ得たり 今に此川の氷に跡有と也 ーーー
14人目の孝子も昨日と同様、親子の対面シーンです。 昨日の孝子はきちんとした服装で旅の荷物をたくさん持ってきましたが、こちらの孝子は動きやすそうな服。薪を運んできたようです。ということは、この孝子の名は・・・。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 曽参ですね。 曽参兗州(とうしゅう)の人也 孔子の弟子曽子なり 遠き山に芝かりてゐける 母ゆびをけがせしかば むねさはぎければ曽参いそぎしばをかつぎかへりける これ孝行のこころがけふかきゆへ 少しけかも しるるなりとぞ ーーー け、けが??? 「曽参の留守中に来客があり、母親は指を噛んで曽参の早い帰宅を祈った」はずが、なぜか「母親が指を…
13番目の孝子はこちらの男性です。 ARC古典籍ポータルデータベースより 杖をついて老女の前で荷物を下ろし、手を合わせてお辞儀をする男性。何十年も会えなかった実の親子が対面する感動の場面ですね。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより そう、朱壽昌です。 朱壽昌朱壽昌天長の代の人也 七才の時父朱壽昌が母を出して後妻を呼ぶ それより五十年があいだ 母をみぬことをかなしみ くわんろく(官禄)をすてていへにかへり 母に尋ねあいけり 時に母七十に及べり 帝きこしめし 又もとの官にかへし いよいよ孝行つくせり ーーー
さてこの書籍のご紹介も半分来ました。12番目の孝子はこちらの方。 この人も社寺彫刻ではレギュラーメンバー。珍しく子供が二人いますね。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 黄金の釜を掘り当てて、子供を埋めずに済んだ郭巨。 郭巨河南の人也 いへまづし 母に孝をつくせり 三歳の子有 母孫を愛して 食をわくるゆへ食とぼしとて其子をうづめんとて あなをほりけれは 金(こがね)のかまをほりいたせり 此釜の銘に天より郭巨にあたふとあり ーーー 文章のほうは「三歳の子あり」しか書いてないのに絵のほうはもう一人乳児がいるって妙ね~。この乳児を落っことしそうな母親、どこかの彫刻で見た覚えがあるけれど…
11番目の孝子はタケノコ掘りの真っ最中。この人も社寺彫刻などでよく見かける人ですね。 この孝子も間違えられることは少なそうです。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 雪の中でタケノコを探し求めた孟宗。 孟宗呉国の江夏の人也 冬月母いひけるは われ やまひにおかされ食の味なしとて 竹のこをこのめり 孟宗雪中に竹の林に行 天に祈り 何とぞ竹のこをさづけ給へと祈り ほりければ たちまち竹のこ はへけり 是孝行の徳とかや ーーー
10番目の孝子はこのブログでも登場回数の非常に多い、虎に立ち向かった人物です。 この本ではなぜか舞台が川べりであることが多いですね。お父さんを守るためなら獰猛な猛獣をも恐れない、この子の名は・・・。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより もちろん楊香ですね。 楊香魯の国の人也 十五の年 父と山中に入 虎にあふ とらにわが身をあたへ 父をたすけ給へと天道に祈りて手をひろげて とらにむかへば乕(とら)尾をたれにげける 孝の心ふかきにより 父子とも難をのがれる ーーー
9番目の人。こちらも間違えようのない図柄。 この人で名前を間違えたら各方面から苦情が押し寄せそうですよね。ほかの孝子の名前は知らなくても、この女性だけは知っている、なんて人が多かったのではないかと想像します。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより はい、唐夫人でございます。 唐夫人崔南といふ人の妻也 夫人しうとめの老年にて 万(よろづ)食物歯にあはず このゆへに朝夕乳をのませて とぼしからぬやうにして孝行をつくせり この嫁 姑に孝行をつくせしめぐみにて末繁盛してさかへけるとなり ーーー
さて8番目の人です。これはさすがに間違えようがありませんね。 雲に乗って去っていく天女を見送る男性。わきには子どももいます。誰の子かは不明。二人は仮の夫婦になったとはいえ、多分数週間程度でしょうから、この幼児は二人の間の子ではないですよね。たまたま近くにいたんでしょう。ということで孝子の名前は・・・。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 董永です。間違うはずありませんよね。 董永後漢の人也 いへまづし 人にやとはれ 耕作して ちん銭を取 父をはごくむ 天女下りて妻にならんと約し 妻に成て一月に二百疋のはたを織て董永が父をはごくむ ーーー えー、タイトルは合ってるんですが、文章の内…
なんだかんだで7人目まできました。 上半身はだかで横たわる少年。蚊の群れが少年に襲い掛かっていますが、少年は追い払う様子もありません。親孝行な少年の図ですが親の姿は見えません。家の奥のほうで寝てるんでしょうか。この少年の名前は・・・。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 呉猛ですね。合ってますね。合ってて当たり前なんですけどね。なんかホッとします。 呉猛いついつの人といふ事をしらず 八才にて孝のみちしれり いへまづしくして夏月かやなし 親のねやのそばに はだをぬぎてふし わが身へ蚊をとまらせて 親の蚊をふせぎし こうこうの人なり ーーー
何をかくそう、実は内容に疑問点がいくつかあって紹介するのを少々ためらった書籍、鳥居清経の「繪本廿四孝」。 6番目はこちらの方。これは難問です。っていうか、わかったら奇跡。なんでわかるの、と聞き返したくなるレベル。 一段高いところに座っている女性は母親でしょうね、頭を下げる男性とそばに控える女性。漢文帝かな~、でも漢文帝は二番目に登場済、ということは丁蘭だね!母親は実物大で生きてるように見えるけれど実は木像なのね!簡単簡単タンタカタン!! ↓ ↓ ↓ さて驚きの人名は・・・! ARC古典籍ポータルデータベースより もちろん姜詩ですよ(なんで?) 湧き水はどこいった?鯉二匹は????つーかこの絵は…
5番目の孝子はこの人です・・・えーと、どの人?と迷うくらい妙に人数が多いです。 ARC古典籍ポータルデータベースより 右側には赤ちゃんとを抱いて幼児の手を引いている女性。手を引かれた幼児の左側には、膝をついて男性に懇願する様子の少年。男性は3人います。田真兄弟でしょうか。違いますね。膝をついている少年が主役です。彼の名は・・・。 ↓ ↓ ↓ ARC古典籍ポータルデータベースより 閔子騫ですね。父親は3人の真ん中の黄色っぽい服の人でいいのかな。両脇の二人は激昂している父親をなだめてるところ? 閔子騫山東の兗州(列のような字は州の異体字)府の人なり 孔子の十哲の内也 継母に二人の子あり 母二人の子…