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ブログタイトル
なめたらいかんぜよ!タコの毒吐きブログ
ブログURL
https://rainorshine.hatenadiary.com/
ブログ紹介文
還暦を迎えるにあたり、これまでの腹ふくるる思いをぶちまけます!ご意見無用にござる
更新頻度(1年)

15回 / 18日(平均5.8回/週)

ブログ村参加:2019/09/24

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ハンドル名
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なめたらいかんぜよ!タコの毒吐きブログ
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oregontabbyさんの新着記事

1件〜30件

  • きつねはどこ?

    私はどんな子供だったのか 父の長姉である伯母によれば お店にはいって、きつねうどんを注文して、うどんが運ばれて来ると 「きつねはどこ?」といって、箸で探してたそうだ きつねを食べるつもりだったのか・・・な? 家族で寄席にいったらしい 舞台の袖から出てきた林家三平に向かって 「さんぺいちゃーん!」と大声で叫んだそうだ 喜んだ三平ちゃんは、自分の噺が終わって、袖に引き上げる時に 「お嬢ちゃん、バイバーイ」と何とか言ってくれたらしい なかなか度胸があるじゃん お隣の居間にあがりこんで、ちゃぶ台の上に体を伸ばして のっかってたお漬物を食べた という話も聞いた 遠慮のない子供だ もともとは、結構、天真爛…

  • 父のこと

    いつ頃から、父を嫌うようになったのか 最初は、好きだったはずだ 祖母におぶわれながら「パパはいつスイカをかってきてくれるの?」と聞いたらしい 父が買ってきてくれた(んだと思う)白い犬のぬいぐるみが、お気に入りだったらしい 首にピンクのリボン(だったと思う)がついていて、その下の胸の部分が擦り切れて、中の藁が見えていても、まだ持っていた 父の自伝本には「毎週のように肩車して上野動物園に連れて行った」とある 記憶はない 小さい頃、父に「布団蒸し」された ふとんの中に巻き込むように、ぐるぐる巻きにされた 苦しいし、怖いしで、私は泣き叫んだ どういう理由で布団蒸しにされたのか、覚えていない 父が怒って…

  • 母のこと-6

    暮れも押し迫った頃に亡くなった伯父の通夜と葬儀に、父と参列した 葬儀が終わった後、川西で留守を守る母に電話をしたら 電話には出るが、ほとんどしゃべらない 何か尋ねても、答えが帰ってこない これはおかしい また調子が悪くなったに違いない 父とふたり新幹線(だったと思う)で、川西へ取って返した すでに大晦日だったと思う 母の状態はあきらかに悪化していた その母を見て、父はものすごく不機嫌になり また始まった、としか私には思えない、グタグタが嫌で 年越しの人で賑わう近所にある神社へ、避難がてら歩いて行った 歩いていく私の背後から、母が「○○ちゃーん」と呼んだのが聞こえたけど 手を振って、そのまま神社…

  • 母のこと-5

    結婚後、最初に母に精神的な不安定が発症したのは、父の栄転で家族揃って長崎へ引っ越した後だった 「課長婦人なんだから、がんばらなきゃ」と張り切りすぎた結果らしい でも、通院でわりとすぐに収まったようだ 私は小学生の低学年だったから、あまり覚えていないが、父の自伝本にそうあった その後引っ越した、広島と伊丹では発症はなかったらしい 妹が生まれて忙しかったんだろう 私が中3の秋に引っ越した、小金井で再発した これは私も少し覚えている お隣の家にあがりこんで、ペラペラペラペラ、おしゃべりが止まらず お隣の人を困らせたらしい でも、この時も、通院でことなきを得たようだ その後、市川へ引っ越し、寝たきりの…

  • 母のこと-4

    通夜も葬儀も滞りなく、終わった 火葬場で、母の棺が焼却炉に入り、扉が閉じられると 妹が泣きながら何か叫んでそちらに行きそうだったので、後ろから引き留めた その後は、彼女のその時のボーイフレンド、今の旦那さんに任せた 母が亡くなってから、葬儀が終わるまで、私はほとんど泣かなかった 母が病院から家に戻った晩、安置された母を見ながら、思わず 「なんで寝てるの?」 「あんなに眠れないって、言ってたじゃない」 と言い始めたら、泣けてきた 私の後ろに座っていた叔父が泣く声が聞こえた 出棺の時、母の遺影を抱えて、参列してくださった方々の前に立ったら、涙が出た 妹からは「おねえちゃんは、なんで泣かないの」と言…

  • 母のこと-3

    昨日、1月10日は、母の命日である 何回目の命日なのか、数えていないから覚えていない 母は、衝撃的なかたちで、この世を去った 1月10日、私は当時勤めていた東京の会社で、残業をしていた たぶん8時過ぎだったろう、職場の広いフロアは、ほとんどひとけがなかった 私は、九州の支社に転勤になった以前の上司と電話で世間話をしていた (彼も残業をしていた) すると一緒に残業していた、同僚男性が私にメモをよこした メモには「病院から電話です」とかなんとか書いてあった 取り次いでくれたのか、私が病院に掛けなおしたのか、記憶にない 電話の向こうで病院の人が 「お母さんの心臓が止まりました。すぐ来てください」 と…

  • 母のこと-2

    母との思い出で、思い出すたびに胸が締めつけられるようになることがある 広島に住んでいた頃のような気がするから、小学校高学年だ 私は、何かのことで母に手伝ってほしいと頼んだか、何かを尋ねたんだと思う はっきり覚えていない はっきり覚えているのは、母の返事が 「ママがいなかったら、どうするの?」 だったことだ 私は反射的に、カチーンときて 「ママがいるから、きいてるんじゃないっ!?」 と激昂し、同時に 「じゃあ、いいよ!もうきかないっ!(尋ねない)」 と心底拗ねた 実際に母にそう言ったのか、心の中でそう叫んで心のシャッターをぴしゃっと下ろしたのか、覚えていない 母からもらいたかったのは、そんな返事…

  • 母のこと

    母は、とても美しい女性で、ミス函館にも選ばれたらしい スタイルもよかった 子供の私に、いつも上等なかわいらしい洋服を着せてくれた 不思議なことに、当時来ていたワンピースやセーターなどの手触りを、今でもかなりはっきり思い出せる ただ、紺やグレーが上品に見えるとかいって 私の服は、そんな色が多かった ピンクや赤っぽいのは少なく、フリルやリボンがついたものも少なかった 女学校ではソフトボールのピッチャーで国体にも行き、下級生から人気があり 父と出会った職場でも花だったであろう母は、いつも優等生でいたかったのか 父の栄転で、長崎へ引っ越して、課長婦人としてがんばらなきゃと張り切ったあげくに躁うつ病にな…

  • 転校生

    うちは、父親の転勤で引っ越しが多かった ほぼ3年ごとに、引っ越した 生まれたのは、東京は葛飾区、柴又の近くの亀有である 一軒家の社宅住まい その一帯が道路になるので、神奈川県鶴見にある団地の社宅に引っ越した ここで小学校にあがったけど、ほとんど記憶はない その次は、長崎 今はもうなくなった夜行列車のさくらで、一家揃って赴任した 食堂車で朝ごはんに、初めて見たオートミールを頼んで、まずかった 慣れない味に気分が悪くなった 社宅のあった場所は、原爆の爆心地に近くて 8月9日の記念日になると、まだ小学生低学年の私でも、悲しみが空気に漂うのを感じた 仲良しの友達がいたかどうか、覚えていない 次は、広島…

  • 怒った子供だった

    大人になって行った専門学校の心理学の授業で 子供の心理についてがあって、母親と離れ離れになって、やっと再会できた時 子供の反応には3通りある、と ひとつは、「お母さーん!」と呼びながら、母親に駆け寄って抱き着いて喜ぶ ふたつめは・・・うーん、憶えてない・・駆け寄って、泣くんだったかな・・・? みっつめは、何も言わずにそこに立ち尽くす、もしくは背を向けて歩き出す クラスメイトがいっぱいいる授業中なのに、その場で泣きそうになった 私は3番目なのだ みっつめの子供に、すねていじけた幼い自分が重なって、目頭が熱くなって、鼻の奥がツーンとした 母がいつもそばにいてくれないのが、寂しくて、悲しかったはずな…

  • 母がそばにいない

    幼稚園にあがる前の私の記憶に出てくるのは、母よりも祖母だ おんぶされて散歩にいったのも 「しんびょうまてまて」と寝る前に、枕元でお話をしてくれたのも 私が近所の家にあがりこんで、ちゃぶ台に載ってたお漬物を食べたことを笑ったのも 母ではなく、祖母だった 母は近所の電気器具屋かどこかで、働いていたらしい 数年前に、思い立って父に「どうして初めての子供の私をおばあちゃんに任せて、ママは働きに出たの?」と尋ねた 返事は「家に、女手はふたり必要なかったから」 ハイカラな街、函館で、商いをする家に生まれて、乳母日傘で育ち、私立の女学校で人気者だった、美人でスタイルも抜群だった母 高知の片田舎で、貧乏ながら…

  • 最初の記憶

    小さい頃の記憶は、あまりない 一番最初の記憶として思い出すのは 朝、目が覚めて、布団の上で起き上がったら、そこに座っていたのは 母ではなく、同居していたおばあちゃん(父の母親) 思わず「ママは?」と思ったか、言ったか その後、お誕生日のケーキを朝ごはんに食べたような気がする もうひとつは 私は道路かどこかで遊んでいて そこにバスが来た バス停からそのバスに母が乗り込むのが見える 母は私には気づいていない 私は大声で「ママーっ!」と母を呼ぶ でも、母は私の声に気づかないまま、バスに乗り込んでしまった どちらも私が幼稚園にあがる前だと思う そして、このふたつの記憶が、ほんとうにあったことなのか 私…

  • 元旦とその翌日

    元旦は、毎年比較的穏やかだった なんでかはわからない 母以外は、ゆっくり起きて、朝風呂に入って、新しい服を着て(セーターとか) 元旦の膳にのぞむ その後は、家族揃ってバスに乗って地元の神社へ初詣 帰り道、決まって寄るのがケンタッキーフライドチキン 家に持って帰って食べたと思う そして昼寝 翌日は、父の会社の部下をよんで家で宴会 私は、いつも山のような皿洗い 車の免許を取ってからは、酔った人を家まで送る役目も加わった 特に楽しかったとも思わなかったけど とにかくイベントがあっても、何事もなくその日が過ぎることは、よかったんだと思う にほんブログ村

  • 川底のヘドロ

    この毒吐きブログは、実は2020年のもっと早くに始めたかった でも、グズグズしてしまって、晦日になった でも、始めたからよしとしよう 今年の9月1日に、2年弱の間、在宅で寝たきりになっていた父が亡くなった 享年88歳 亡くなる一週間くらい前に、入院して、そこで誕生日を迎え、その後まもなく他界した コロナ対策のせいもあって、誰も死に目には会えなかった この父親が、大変な人間だった 父の母親(私の祖母)も私の母も、私も、この父親のおかげで、さんざんな目にあった 私はこの父が 大嫌い だった 2018年の9月に、ひと月ほど里帰りして、そんな予定ではなかったのに、父の介助をすることになった まだ、ある…

  • もの言わぬは、腹ふくるるわざなりー徒然草

    このブログ、1年以上前に別のブログ名で、別の目的で始めたんですが 初回を書いてから、いっこうに進まず・・・ 最初の目的は、どうやら今の私には必要なかったらしい 私に必要なのは これまでためにためてきた「毒」を吐き出すことだ とわかりました よって、本日、還暦を迎えるにあたり、これまでの60年間、言いたくても言えなかったこと、どうやって吐き出したらいいのか、わからなかったことを 思い立った時に、少しずつ、あるいはドバーッと ここで、吐きまくります!!! 吐き出して、ラクになろう・・・ね

  • お初にお目にかかります

    ハワイで始めたブギーボードにはまって、ハワイへ移住する!はずだったのに、どういう訳か(理由は明らかなんですけど)、アメリカ本土へ上陸してしまいました。 山あり谷ありで、あっと言う間にもうじき20年近くなります。 ま、長い話ははしょって・・・ こちらの暮らしで見つけた素敵なモノ、読んだ本や、次日本に帰国する時に買いたい!と思っているモノなど、「私の大好き」について書こうと思います。 どうぞのぞきに来てくださいね。 もう秋だけど、まだ真っ盛り

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