chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
ちょっと山城に(正規運用版) https://kurokuwa.hatenablog.com/

中世城郭をメインとしたお城の紹介ブログです。山城・藪城そんな地味な土の城ばかりですがそれが面白いというマニアックな方は大歓迎です。ちょっと興味があるな、という人もどうぞお越し下さい。登り口や駐車場も判り易く載せているつもりです。

黒鍬
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2019/09/17

arrow_drop_down
  • 伊王野城 (栃木県 那須郡 那須町)4

    伊王野城3 の続き おまけ編です 伊王野城 訪問 2024年12月 2024年も末に芦野城を訪問した帰りに立ち寄った際の模様です。 疑似遺構??(そんな言葉はない)である作業道の検証と、未探索の西側支尾根上の遺構確認が目的。 またこちらの図に登場してもらいます。 今回はちゃんと公園駐車場(P)から始めます。 公園駐車場から見上げた伊王野城です。 で、ここで アングルを左に変えると・・ おっ 伐採されてる・・ 植林地がなくなり2重の堀切がくっきり見えるようになってます。 拡大した画像。 3廓西側支尾根を分つ堀切ですね、これは。 見やすくなってますが・・・これ遺構は大丈夫ですか? 堀切の下に作業道…

  • 伊王野城 (栃木県 那須郡 那須町)3

    伊王野城2 の続きと参ります。 今回は 北郭・本丸間の横堀から 本丸内部および2廓の伊王野城中枢部を紹介します。 またしても現地復元想像図に登場してもらってからの いつもの縄張り図です ひとまずは 北郭内部と更に伊王野城の北端部を訪れます。 北郭の中ほどに南北に郭を分断する間仕切り的な空堀と土塁線が存在します。 こちらはその間仕切り空堀。 特質すべきは他の空堀より明確に浅く簡素な普請である点で、後から増設したような印象を受けます。 北郭の北側部分から撮影した、北郭間仕切り空堀と土塁線。北側稜線からの襲撃を恐れたような造りで、普請の意図が気になります。 こちらは本来の北郭の北側の空堀、先ほどの間…

  • 伊王野城 (栃木県 那須郡 那須町)2

    伊王野城1 の続きと参ります。 今回は、山頂主要部西側の遺構群です。 本丸を含む城の中枢部を守る横堀と、支尾根を断ち切りる堀切が複雑に組み合わさった見事な縄張りが続きます。 それでいて公園整備のエリアからは漏れており人の目に触れる機会が少ない。 土の城に興味がある方には是非ここは見てもらいたいエリアとなります。 さて、前回3廓(三の丸)の次は、その上の2郭に 向かわずに 外周を回って北の郭を目指してから本丸を目指します。 お城の楽しさは皮(側)にある と言うのが私見なので・・ こちらの図も再登場します。 稜線上の郭群をトラバースして西斜面を北に向かう形ですね。 このエリアからは前述のように公園…

  • 伊王野城 (栃木県 那須郡 那須町)1

    伊王野城 訪問 2024年 2月 2024年 12月 駐車場 有り 案内板 有り 「那須七騎」の城、二つ目は伊王野城(いおうの城)。 所で、伊王野城のある下野国の戦国史に於ける印象はどうでしょうか? あまり印象にない?? 戦国史に於いて突出した話題のあがるエリアではありませんが(地元の方スイマセン) 伊王野城の遺構は決して侮れないどころか、そんな薄い印象を悔い改める事間違いなし(個人の感想ですが・・)の良い城郭です。 伊王野城 大堀切 伊王野城とその主である伊王野氏 あまり知られた存在ではないので早々に現地解説内容を掲載します。 伊王野氏の山城跡 山城跡は、全体で約20haにも及び三蔵川・奈良…

  • 芦野城 (栃木県 那須郡 那須町)2 明治維新まで残った中世城郭

    芦野城1 の続きと参ります。 一旦現地縄張り図に再登場いただき ここで国土地理院先生の「傾斜量図」を用いて縄張りの可視化を試みてみました。 予想以上に分かり易い!(個人の感想です・・) 「ウ 裏門あと」の南側が元の支尾根?に当たるのか横堀(旧堀切?)と脇の竪堀によって厳重に守られている点と 全体的には元の地山を徹底的に改変している事が判ります。 あれこれ遊びたい方は下のマップをいじってみて下さい。 では城内の見学に戻ります。 虎口から右手を見上げると巨木が目につきます。 画像だと普通に見えますが・・ これが築城記念に植えられたとも伝えられる「高野槇」 「こうやまき入口」の案内があります。 「こ…

  • 芦野城 (栃木県 那須郡 那須町)1 明治維新まで残った中世城郭

    芦野城 訪問 2024年12月 駐車場 有り(那須歴史探訪館駐車場) 案内板 有り 今回から関東平野の北端、旧下野国那須氏ゆかりの「那須七騎」の2城を巡ります。 初回は那須七騎の一つ芦野氏の居城で、名前はそのままひねりもなく芦野城。 ですが、縄張りはなかなかひねりが効いてますよ。 どうでもいいですが那須七騎ってちょっとカッコいい? 芦野城 2廓切岸と横堀遺構 タイトルは「芦野城」としましたが 別名が多く「芦野氏陣屋」「桜ヶ城」「御殿山」ともよばれるようです。 陣屋とあるので察した人も多いでしょうが、芦野城は中世城郭期を経て江戸時代から明治維新まで長きに渡り旗本芦野氏の陣屋としても用いられた歴史…

  • 山城で熊に遭遇??

    誤解を招くタイトルで恐縮ですが 結論から言いますと 襲われたり危険な事態には発展してない事を予めお伝えしておきます。 姿を目撃したわけでもありません、あくまで可能性の話です。 熊さんとエンカウントしたかもしれない危険性への自戒を込めて報告したいと思います。 場所は群馬県の甘楽町にある国峰城。 日時 2025年1月 正午頃 位置 国峰城 御嶽出丸付近 状況 単独登山中 概要 至近で獣の威嚇のような声を複数回確認 併せて脚で枯葉を激しく蹴るような音 当日の経過として 東側御殿平から入山し正午頃に国峰城の本丸(主郭)に到着。 道中すれ違う人はなし、駐車スペースに訪問者の車両もなく当日の他の入山者は皆…

  • 辛垣城・桝形山城 (東京都 青梅市) 三田氏終焉の地 4

    辛垣城・桝形山城3 の続きです。 今回で最終回、桝形山城主郭から辛垣城を目指します。 桝形山城 堀切 再び余湖さんのHPから縄張り図を借用させてもらいまして 主郭である1の郭から尾根を登りまずは物見山を目指します。 こちらのハイキングコースから下って 1廓を見上げて撮影。 小ピークを上手く利用して普請されてます。 その先の2廓 尾根上を削平化した小郭で 更にその先のB 虎口+堀切土橋の超が付くほどの厳重な備え。 土橋を渡って振り返り撮影。 凝った縄張りですね、土橋を渡った先に桝形の虎口が待ち構えてます。 ここを見る限りは、尾根を駆け下って来る敵から1廓を守る意図を強く感じ、つまり辛垣城方向から…

  • 辛垣城・桝形山城 (東京都 青梅市) 三田氏終焉の地 3

    辛垣城・枡形山城2 の続きです。 前回の桝形山城をスルーしたミスを取り返すべく2度目の訪問編となります。 桝形山城からの眺め 今回のルート案内です(2024年1月 2回目訪問分) 前回のゴール「二俣尾駅」からループを描くように回ります。 2城を一筆書きで回るのでお城見学ならこのルートがお勧め。 北口から降りまして この 標識に従ってスタートです こんな所に辛垣城の案内図が設置されてまして、行政もここが正式なルートと認識しているようですね。 周辺案内図を掲載します。 やっぱり桝形山城へのルートは割愛されてますね。 恐らくアプローチルートは一般登山道ではないようです。 で、1か月振りに戻りましたよ…

  • 辛垣城・桝形山城 (東京都 青梅市)三田氏終焉の地 2

    辛垣城・桝形山城1 の続きです。 ひとまずルート案内に再登場してもらってから 縄張り図ももう一度 それでは再開です。 辛垣山山頂の郭から更に奥へ進みます。 いよいよ石灰岩の採掘跡の様相ですね、城跡というより廃坑。 更に進むと 巨大なクレーター・・ ここは本来辛垣城の主郭部にあたる部分ですが 足元に見えるのは擂鉢状の大きな凹地のみ。 等高線で地形だけを見れば辛垣山は火山と誤認されるかも? と思えるほど削り取られてますね。 山頂の 側 だけは辛うじて残されてますが・・想像以上に城の遺構は消滅してましたね。 擂鉢の底部にある辛垣城の案内板。 画像奥に土塁線のような斜面が見えますが・・これ、恐らくは「…

  • 辛垣城・桝形山城 (東京都 青梅市)三田氏終焉の地 1

    辛垣城・桝形山城 訪問 2023年12月・2024年1月 駐車場 無し 案内板 有り 「辛垣の戦い」などと呼ばれる後北条氏と国人領主三田氏との戦いの舞台となった「辛垣城」と付属?の「桝形山城」の紹介です。 多くの中世城郭が地元の伝承や文献資料にも残されず現代に名前すら伝わらない中、辛垣城は後北条氏が珍しく三田氏を滅ぼすまで攻撃を加えたエピソードが残された城郭でもあります。 そんな歴史的にも興味を惹かれる城郭遺構、青梅の山間部に立地するとは言え、都内なのでもっと早く行くべきではあったのですが・・・主郭部が後世の石灰岩の採掘で破壊されている事もあってついつい足が遠のいていた城郭でした。 辛垣城主郭…

  • 三崎城 (神奈川県 三浦市)

    三崎城 訪問 2024年1月 駐車場 無し 案内板 有り お城好きにとって後北条氏といえば、小田原城を軸に構築された支城群による城郭ネットワークを思い浮かべる人も多いでしょう。 その中でも各地域には策源地とも呼べる有力支城が存在し、その全訪問が密かな目標ですが、今回の三崎城もその一つ。 三浦半島先端部、城ヶ島との間の三崎港に面した段丘上に築かれた「海」がキーワードになる城郭です。 半島の東京湾側には現在でも横須賀の海自・在日米軍があったりと何かと海軍(水軍)に縁のある地域です。 三崎城と隣接する三崎港の入江 現地の三崎城の紹介文を載せます 三崎城跡 この辺り一帯は城山といい、古城の跡である。 …

  • 櫛木城 (長野県 松本市) ※西光寺城

    櫛木城 訪問 2023年 11月 駐車場 無し 案内板 有り 「波田山城」 「若澤寺跡」と紹介していたシリーズ最終です。 今回はおまけ要素が強いのでサクサク進めます。 櫛木城は波田山城と関連のある城郭です。 道路沿いに設置された櫛木城案内板 場所はグーグル先生にお任せ 前述の「波田山城」の北側、河岸段丘沿いに築かれた城郭です。 先ほどの現地案内板の内容を抜粋します。 櫛木城 「櫛木城」は建武の新政により信濃守護となり府中(松本市井川城)へ入った小笠原氏が、初め反小笠原氏勢力であった安曇野群西牧郷(梓川村)の西牧氏を押さえ、 また飛騨・木曾方面の勢力に備えるために、梓川谷の出口にあたる上波田山の…

  • 若澤寺跡 (長野県 松本市) 信濃日光とも呼ばれた寺院跡

    若澤寺跡(にゃくたくじ跡) 訪問 2023年11月 駐車場 無し(路肩駐車可) 案内板 有り 波田山城を見てこちらに足を伸ばさずに帰るのも勿体ない。 という事で若澤寺跡にも立ち寄る事にしました。 万一の「かばかりと心得て帰りにけり」現象を避ける意味で寄ったのですがこれが大正解。 ちなみに読み方は「にゃくたくじ」、ちょと可愛らしい響きですね。 かつては「信濃日光」とも称さるほどの賑わいを見せていた若澤寺ですが、明治初期の廃仏毀釈の波に飲まれ廃寺に。 現在は石積みや礎石程度しか残されてませんが、幾つかの建物は移築され現存しているそうです。 現地の案内板の内容を載せておきます 若澤寺跡 若澤寺は、山…

  • 波田山城 (長野県 松本市)

    波田山城 訪問 2023年 11月 駐車場 無し(路肩駐車可) 案内板 有り 早速ですが本年の通常運転に戻ります。 2023年、秋の山城シーズンに訪問した松本市の山城遺構を一つ紹介します。 波田山城 主郭直下の大堀切 場所はいつものグーグルお任せお任せ 上高地や北アルプスへ行く方なら、おおよその立地は想像できるでしょう。 街道を扼するような立地ですね。 ただ、これでは登山道が全く分からないので 国土地理院先生にも登場してもらいます 位置は判ったが・・どこから登るんですかね? と、なりますね。 波田山城は訪城ルートがイマイチ分かり難いので少し詳しく解説します 今回は北側の集落から林道を辿りました…

  • 年頭の挨拶 令和7年

    謹んで新春のお慶び申し上げます タイトルは昨年のコピペで失礼します。 河越館跡 土塁をバックに標柱を撮影 昨年は相変わらずのマニアックブログの通常運転でした。 とは言え後半、諸般の事情により更新が滞っていたのが反省点ですかね。 さて 本年もマニアックな内容の通常運営を行う予定ですが、ひとまず恒例の年間活動報告と参ります。 2024年 訪問記録 1月 三崎城 神奈川県 1度目 桝形山城 東京都 1度目 枡形山城から眼下の多摩川を撮影 年末の辛垣城のリベンジ訪問とセットで 2月 伊王野城 栃木県 1度目 久しぶりの北関東遠征。 超高規格の堀切が眠る隠れた名城 4月 八王子城 東京都 訪問多数 滝山…

  • 30日連勤明けのお城巡り・・

    更新が滞っているので、生存報告を兼ねて小ネタ記事を上げます。 ここらでアップしないとブログ辞めた思われそうですしね。 このブログ、以前から本業が忙しい時期は定期的に更新が途絶えてます。 今回、タイトルではキリ良く30日としてますが実際は4週間連勤。 我ながらブラックですねぇ ほぼ1か月振りの日曜日に偶然ポンと休めましたが、その頃にはストレスと疲労の蓄積がピーク。 でも 折角の休みなので多少無理してもお城に行くことにしました。 ただ、遠征は無理なので近場で1か所 半日だけ。 そこで訪問したのが 埼玉県は伊奈町にある「伊奈氏屋敷跡」通称「伊奈陣屋」 まっ、山城でもなく そもそも「陣屋」なので遺構に…

  • 津久井城の再訪:マニアックな中世城郭の探索 3

    津久井城 再訪2の続きと参ります。 今回も山頂要害部ですが主郭部を後にして「飯縄郭」から「鷹射場」を経て東側の登山道を巡ります。 では初めに山頂部縄張り図に再登場して頂き 男坂・女坂の登山道が合流する尾根鞍部の堀切から 再開です 前回も登場した画像です。 飯縄郭へは画像奥の稜線道を進みます。 進むと言ってもですね すぐに虎口が見えてきます。 もう少し寄ってみましょう。 切通し状の虎口ですね、現在は郭中心にあるお社への参道になっているのかな? ここの縄張りとして個人的な注目点は 虎口の開口部が狭く絞られている事。 津久井城クラスの拠点級の城郭にしてはいささか不自然な狭さ。 飯縄郭内の中央には「飯…

  • 津久井城の再訪:マニアックな中世城郭の探索 2

    津久井城 再訪1 の続きと参ります。 もう一度だけ「みちあんない」に登場してもらいます。 「みちあんない」の一番上、尾根の鞍部に津久井湖側から辿り着くところから再開です。 今回は津久井城の山頂要害部の紹介となります。 城の重要区画でもあるのでここで、遅まきながら津久井城の歴史について少し触れたいと思います。 といっても現地案内板をそのまま載せるだけですが。 津久井城の歴史 津久井城の位置 津久井城は地理的には、北方に武蔵国、西方に甲斐国に接する相模国の西北部に位置しています。 そして、八王子から厚木・伊勢原、古代東海道を結ぶ八王子道と、江戸方面から多摩丘陵を通り、津久井地域を東西に横断し甲州街…

  • 津久井城の再訪:マニアックな中世城郭の探索 1

    津久井城 再訪1 訪問 2023年1月 駐車場 有り(公園P) 案内板 有り 神奈川県を代表する中世城郭の一つを紹介します。 実は、津久井城についてはブログ初期に紹介してますが・・今見返すと色々見落としがあってですね、今回はもう少しマニアック詳しく紹介できればと思う次第なんです。 ちなみにタイトルをAI様に作って頂いたら・・マニアックを全面に押し出されてしまいました。 津久井城 主郭から望む津久井湖 場所はいつものようにグーグル先生にお任せして 津久井城は、小さいながらも峻険な山容でお城好きなら遠目にもピンとくるでしょう。 こちらが現地の縄張り図(公園案内図) 縄張りは、津久井湖畔に聳える独立…

  • 法林寺館 (東京都 あきる野市) 住宅地の公園に残る謎の城郭遺構

    法林寺館 訪問 2023年4月 駐車場 無し 案内板 無し 単発ですが、またしても都内に残る渋めの城郭遺構の紹介です。 「法林寺」さん境内に残る城郭遺構なので法林寺館と便宜的に呼称されてますが、城郭としての来歴は一切不明、現存する遺構は一部の土塁のみです。 寺前公園に残る土塁遺構 場所はいつものようにグーグル先生にお願いして 遺構の所在地ですが、厳密には「法林寺」さんではなく隣の「寺前公園」にあります。 平地の居館風の遺構ですが秋川を背後にした防衛に有利な占地を持ちます。 対岸には「高月城」がありますが、両城は何か関係があったのでしょうか? こちらは国土地理院先生の航空写真 時代は1961~6…

  • 物見山 はお城ですか? 小倉城~物見山~青山城 縦走 2

    物見山 はお城ですか? 小倉城~物見山~青山城 縦走 1 の続きと参ります。 一旦地図に登場してもらって 「大日山」を過ぎてから再開 少し途中をカットして 青山城の手前に到着 ここも小ピークの城跡と巻き道の分岐があります。 当然、青山城を目指します。 15:10 青山城 到着 所要時間は 物見山(砦)から40分 小倉城からは1時間40分 でした。 青山城の紹介は以前の記事を参照して下さい。 ここではダイジェストに留めます。 前回訪問時は、ほぼ枯れ葉と土に隠れていた石積み遺構。 小倉城の石積み遺構と共通した特徴を持つ板状の「緑泥石片岩」を積み重ねる手法が採られています。 青山城 主郭内部。周囲に…

  • 物見山 はお城ですか? 小倉城~物見山~青山城 縦走 1

    小倉城 → 物見山 → 青山城 縦走 1 訪問 2023年 6月 案内板 無し 駐車場 無し(小倉城脇の林道路肩) 物見山はお城ですか? と、 ちょっと意味不明なタイトルを冠してますが 今回のテーマは 小倉城から稜線を辿って隣の青山城までの縦走回です。 スタート地点の小倉城は 関東では珍しく石積みを大規模に採用した中世城郭で、「お城の聖地こと比企郡」でも杉山城に次ぐ人気を誇る山城です。(順位は独断と偏見です) 物見山?? 山頂 下にグーグル先生に登場してもらってますが 今回の舞台は北の「仙元山」をピークに「L字」に折れた稜線です。 この稜線は他の山地とは谷地で分断された独立丘陵で、東端部に「小…

  • 埴原城 再び(長野県 松本市)3 小笠原氏系城塞群

    埴原城 再び2 の続きです。 いつものルート案内を載せまして 主郭(西側)の15から再開します。 ちなみに こちらが本来の見学ルートです。 相変わらず完全無視で申しわけない次第・・・ 折角なので主郭(西)も見ていきます。 大岩があちこち残りますが、峻険な山城の割に平坦地が広く確保されてます。 南側の虎口 裏側の石積み遺構は埴原城の必見ポイントですが今回は見忘れてます。 気になる方は7年前の記事を参照して下さい。 kurokuwa.hatenablog.com 主郭(西)の後背を守る高土塁。 かつてはオール石積み造りであったように大量の石が転がってます。 この主郭背後(搦め手側)を守る土塁の背後…

  • 埴原城 再び(長野県 松本市)2 小笠原氏系城塞群

    埴原城 再び1 の続きです。 今回の「埴原城 再び2」 では メインテーマである「主郭北側尾根筋に残る遺構群」を中心に紹介します。 実は7年前の初回掲載時 ブログで北側尾根が未調査に終わった事に触れたところ、地元の方(麓の方?)から主郭北側尾根について 「道はないが等高線に沿って山肌を歩けば行ける、遺構も素晴らしい」 の貴重なコメントを頂き、ずっと再訪の機会を狙っていたわけです。 では 一旦ルート案内を出して、北側尾根の9から再開します。 今回は北側尾根から埴原城主郭までの紹介となります。 8で紹介した竪堀からやや西側にずれて尾根上の郭群に取り付きます。 前述したように主郭北側尾根はなだらかな…

  • 埴原城 再び(長野県 松本市)1 小笠原氏系城塞群

    埴原城 再び 訪問 2023年5月 駐車場 有り(麓の蓮華寺) 案内板 有り 久々に長野県は松本市に残るお城の紹介です。 松本市の城と言えば一般的には現存天守を擁する「松本城」ですが・・ 「お城なら、藪をかき分ける山城でしょ!」 そんな一部のおかしい人マニアが好んで足を運ぶ山城もまた数多く残る地域でもあります。 特に市街地東方の山中にはかつて信濃守護を務めた小笠原氏が築いたと伝わる壮大な城砦群が残されてます。 小笠原氏・・戦国史ではかなり地味な扱いですね。 一般的には戦国大名化しきれずに隣国「武田氏」の膨張に抗しきれなかった弱小勢力という評価でしょうか。 しかし築かれた城郭群は、どれも弱者の生…

  • 白金城 (東京都 港区) 武蔵野に残る中世城郭5

    白金城 (国立科学博物館 付属自然教育園) 訪問 2023年 7月 駐車場 無し 案内板 有り 「武蔵野に残る中世城郭」シリーズは今回の5で一旦終了です。 これまでのまとめも含めて「白金城」の紹介とします。 前4城 「天神山城」 「沖山の塁」 「赤塚城」 「奥沢城」 に共通して言えるのは段丘崖端を後背地とし占地し、「舌状台地」の要害性を上手く縄張りに組み込んでいる点でしょう。 また城の現状は周囲が著しく市街地化された結果、現役の頃の様子は全くうかがい知れない環境に置かれています。 前回もったいぶった書き方をした「中世期の武蔵野の景色」。 そんな所 現代にある訳がない・・・ いえいえ 妄想に最適…

  • 奥沢城 (東京都 世田谷区) 武蔵野に残る中世城郭4

    奥沢城(九品仏浄真寺) 訪問 2023年1月 駐車場 有り(檀家優先) 案内板 無し 奥沢城も一部のマニアにしか知られていない中世城郭ですが、一般的には 「九品仏浄真寺」 と言った方が伝わるでしょう。 浄真寺は1678年、奥沢城の跡地に創建された浄土宗の寺院で、最寄り駅はそのまま「九品仏駅」 参拝者でいつも賑わっている古刹ですが前述のようにここは中世城郭「奥沢城」のあった地です。 kuhombutsu.jp 今回は浄真寺境内に残る奥沢城の遺構を探す回となります。 柵越しに見学する奥沢城土塁遺構 「東京都の中世城館」によると 奥沢城は世田谷吉良氏の家臣大平清九郎の居館と伝わるそうですが、そうなる…

  • 赤塚城 (東京都 板橋区) 武蔵野に残る中世城郭3

    赤塚城 訪問 2022年12月 駐車場 無し 案内板 無し(標識のみ) 「沖山の塁」と同じく赤塚公園に残る中世城郭「赤塚城」の紹介です。 こちらは公園HPにも紹介があるように歴史的にも遺構的にも沖山の塁よりも城らしさを感じさせられる遺構が残ります。 「赤塚城」主郭に建つ標柱 赤塚城の歴史については現地の案内板の内容を転記します。 武蔵千葉氏と赤塚城跡 下総国の守護千葉氏は、古河公方足利成氏と関東管領上杉家とが争った享徳の大乱に巻き込まれ、一族で骨肉の争いを繰り広げました。 康正2年(1456) 成氏方の軍勢に攻め込まれた千葉実胤・自胤兄弟は、上杉家の助けを受け、市川城を逃れて赤塚城と石浜城(現…

  • 沖山の塁 (東京都 板橋区) 武蔵野に残る中世城郭2

    沖山の塁 訪問 2022年12月 駐車場 無し 案内板 無し 「武蔵野に残る中世城郭」 2回目は詳細不明な城郭遺構「沖山の塁」です。 こちらは既出の「東京都の中世城郭」に掲載された中世城郭遺構で城の来歴は不明。 荒川を望む崖線を利用ており、遺構としてはやや埋没した空堀等が見られるのみで郭の遺構は確認されていないようです。 防禦線のみの遺構である為か「お城」を名乗らず「塁」と呼称されてます。 沖山の塁(赤塚公園)に残る崖端地形。 今回は、なかなかの激シブな物件です。 公園に僅かに残る地形だけを見てそれが城郭遺構と気付けるか? その 眼力を問われます?? ちなみに 私は全然駄目でしたが 今回は、掲…

  • 天神山城 (東京都 三鷹市) 武蔵野に残る中世城郭1

    天神山城 訪問 2022年11月 駐車場 無し 案内板 有り 今年のテーマは都内の城郭? またしても都内編です。 遠征が減っている代わりに近場の訪問が増えるのが最近の傾向ですね。 今回から都内武蔵野台地に残る城郭遺構をまとめて紹介します。 武蔵野台地は多摩川が作り出した広大な扇状地で現在その多くが住宅地として開発されています。 一見フラットに見える武蔵野台地ですが、荒川や多摩川が削り出した崖端地形や、中小河川の浸食作用による谷戸など意外に変化に富む地形も併せ持ちます。 紹介予定の中世城郭も、その台地を削り出す浸食地形を上手く利用し築かれいます。 さて、初回にあたる「天神山城」も例外ではなく仙川…

  • 檜原城 (東京都 檜原村) 都内に残る境目の城

    檜原城 訪問 2022年10月 駐車場 有り(麓の吉祥寺) 案内板 有り 西多摩郡 檜原村 島嶼部を除く都内に残る唯一の「村」である檜原村。 山を越えれば山梨県という山間部に位置する山村ですが、ここにもいい山城が残っています。 観光なら「払沢の滝」、バイク好きには「奥多摩周遊道路」などで有名な檜原村ですがお城好きならば山城を目指す訳です。 檜原城主郭背後の切岸と堀切 場所はいつものようにグーグル先生にお任せ 武蔵五日市駅方面から都道33号を道なりに進み、村役場のある集落まで進むと正面に檜原城の築かれた険しい山容が見えてきます。 目立つので檜原村に行った事がある人ならほぼ必ず見ているであろう山中…

  • 八王子城 主郭北麓  11 まとめと 氏照墓所の背後 編

    八王子城 主郭北麓 10 最終防衛線 高丸 編 の続きと参ります。 八王子城 主郭北麓編 のまとめ回です。 初回で8回程度になりますと書きながら今11回目。 妄想力が予想以上に増殖してました。 前半は、全体のまとめと縄張りの考察(妄想) 後半は、城主「北条氏照」公の墓所を訪問します。 所で このブログを見て主郭北麓に行ってみたいと思う人・・ 果たして存在するか不明ですが、実在したらツチノコ並みの激レア趣味人に違いありません(一応褒め言葉のつもりです) 紹介したルートは全体的に整備状況が悪いのでツチノコさんにも諸手を挙げてお勧めできるものではなく そこで 一般の登山道からアプローチできるポイント…

  • 八王子城 主郭北麓  10 最終防衛線 高丸 編

    八王子城 主郭北麓 9 最終防衛線 無名曲輪 編 の続きと参ります。 無名曲輪の次は 八王子城 「高丸」編です。 いつもと同じように番号順に紹介します。 「高丸」へは一般登山道を麓から本丸を目指すのが最短です。 「金子曲輪」の稜線を辿り「柵門跡」を過ぎると九十九折れが続きます。 九十九折れが稜線に乗った先に「高丸」の案内板があります。 いつもの縄張り図的な図にも登場してもらいます。 九十九折れの途中で撮影した「高丸」曲輪 主要部 八王子城主郭部と連なる主尾根上の小ピークを中心軸に普請されてます。 登りきると 1 の地点 高丸 この先危険 ここが高丸の入口案内。 高丸は北東方面へ延びる支尾根上を…

  • 八王子城 主郭北麓  9  最終防衛線 無名曲輪 編

    八王子城 主郭北麓 8 本丸背後の搦め手口 編 の続きと参ります。 最終防衛線などと大仰なタイトルですが 「無名曲輪」と「高丸」の紹介です。 両郭共に八王子城主要部に隣接する小ピークに普請された郭で「無名曲輪」が主要部南西、「高丸」が北東に配されてます。 尾根道から主要部に迫る寄せ手から主要部を守る最後の郭となります。 この辺りの郭の配置は「津久井城」との共通性も感じますが、それはまた機会があれば。 一旦紹介エリアの地図を 今回は1~6の番号を振った「無名曲輪」を 次回「高丸」の紹介とします。 縄張り図的な図にも登場してもらいます 立地は「馬冷しの大堀切」の東隣。 「西方堡塁群」が失陥した後は…

  • 八王子城 主郭北麓  8  主郭北麓 本丸背後の搦め手口 編

    八王子城 主郭北麓 7 水汲みの谷津・水平道 編 の続きと参ります。 「水汲みの谷津」を後にし「棚沢の滝(上)」から尾根上の作業道を辿り八王子城本丸搦め手に迫ります。 ではルート図を、番号順に紹介します。 本丸を含む主郭部の北麓側にも2本の水平道が通されてます。途中水平道に寄り道して、北麓側の遺構も探ります。 北麓側の尾根には名前がないので便宜上西から尾根1~3と呼称する事にします。 段郭が多数普請されると思しき「尾根1」を辿ります。 「尾根1」は登りきると本丸背後に到達します。 1 「棚沢の滝(上)」から「尾根1」に取り付きます。 稜線に出るまでは虎ロープのガイドが敷設されてます、ここは斜度…

  • 八王子城 主郭北麓  7  西方堡塁群 水汲みの谷津・水平道 編

    八王子城 主郭北麓 6 西方堡塁群 堡塁群~詰め城まで 編 の続きです。 ではルート案内から ・前半は 「横沢の滝」(西方堡塁群先端)から尾根を登らずに巻いて稜線東側を辿るオレンジ色のルート。 ・後半は 「水平道1」「水平道2」の東側ルート。 「水汲みの谷津」と呼ばれる谷地を巻きながら「馬冷の大堀切」へ至ります。 ①~[4]の番号順に紹介します。 縄張り図に重要な滝と地名を落とし込みました。 では早速 前半スタート 「横沢の滝」を後にして巻き道を辿ります。 稜線側を見上げて撮影。 岩盤は見えますが、こちら(東側)に石積み遺構は見当たりません。 東側 支尾根上に残る段郭 しばらく進むと ルートは…

  • 八王子城 主郭北麓  6  西方堡塁群 堡塁群~詰め城まで 編

    八王子城 主郭北麓 5 堡塁北部・水平道1 編 の続きと参ります。 「水平道1」との交点から 西方堡塁群の稜線を辿り「詰め城」と呼ばれる大堀切後背の堡塁までの紹介です。 縄張り図再びからの 今回のルート紹介です。 上側の水平道(水平道2)から詰め城までの稜線だけは緑ラインの険しいルートと評価してます。 理由は後半で触れます。 今回のルートに関しては 石積み遺構のハイライトと言うべき稜線なので、複数回の訪問画像の掲載の形になります。 順不同もあるかと。 稜線をひたすら登ります。 右側には延々と崩落した石積み遺構が続きます。 前回紹介した尾根鞍部に到達 石を積み上げて鞍部を埋め立ててますね。 尾根…

  • 八王子城 主郭北麓 5 西方堡塁群 堡塁北部・水平道1 編

    八王子城 主郭北麓 4 横沢の滝・堡塁末端部 編 の続きと参ります。 西方堡塁群の北端尾根に取り付いた所から再開します。 縄張り図には新たに曲輪名と伝承地名等を追記しました 図左上の「尾根鞍部」は後半で紹介します。 紹介ルートをオレンジ線で加筆 「西方堡塁群」の稜線には水平道が2本直交します。 仮称で下の道を「水平道1」、上を「水平道2」と呼称する事にします。 今回は、稜線北端部から「水平道1」を西に突き進む回です。 では早速続きと参りましょう。 ※この先は特に保存状態の危うい遺構が続きます。 興味を持って訪問する時は、絶対に遺構を傷つけないようにお願いします。 小石一つも動かさずに(位の気持…

  • 八王子城 主郭北麓 4 西方堡塁群 横沢の滝・堡塁末端部 編

    八王子城 主郭北麓 3 棚沢の滝(下)編 の続きと参ります。 ひとまず状況説明です。 前回登場した「棚沢の滝(下)」に加えて新たに「横沢の滝」が登場します。 ここでルート紹介も再び登場して 今回取り上げる範囲は四角エリアに絞ってます。 「細久保谷」最奥部を塞ぐ「棚沢の滝(下)」から「西方堡塁群」北端部を目指します。 更に拡大してオレンジ線で登攀ルートを、滝を白い線で加筆。 では 説明はこのくらいにして 早速 前回紹介した「棚沢の滝(下)」を登りましょう。 もちろん無謀な滝登りではなく 右側にピンクリボンが続くルート設定があり 登れるといえば登れる・・ ここは緑色の難易度ルートです。 明確な踏み…

  • 八王子城 主郭北麓 3 搦め手からの奇襲ルート辿る 棚沢の滝(下)編

    八王子城 主郭北麓 2 清龍寺滝編 の続きと参ります。 搦め手奇襲部隊が通り抜けたと伝わる「細久保谷」に向かいます。 清龍寺滝の分岐まで一旦戻り、正面のルートを進みます。 付近の縄張りに そしてルート案内。 図 右上の 3-1 ~ 3-4 までの番号順に紹介します。 3-1 清龍寺滝の分岐点から十数メートルで再び分岐点が現れます。 左手の「八王子城山」方向が正規の登山道ですが、右側の作業道を進みます。 作業道側には案内は出ていません。 一応矢印にて 右ルートはちょっと薄暗く入り難いのですが・・ 思い切っていざ。 若い植林地の中を通り抜けます。 最近枝打ちされて日差しが入ってきますが、以前 ↓ …

  • 八王子城 主郭北麓 2 搦め手からの奇襲ルート辿る 清龍寺滝編

    八王子城 主郭北麓1 導入編 の続きと参ります。 この回だけは八王子城とは直接の関連はないですがよろしくお付き合いください。 では標識に従って「清龍寺滝」に向かいます。 マップに「清龍寺滝」の位置を落とし込みました。 赤い作業道をマップの上から南下します。 また清龍寺滝は八王子城とは尾根1本挟んだ位置関係にあたります。 道はやや踏み跡が薄く渡河もあります。 ピンクリボンの目印もあるのでまぁそれなりの整備状況じゃないですかね? で ここは川を渡る時に一度振り返りましょう。 足元に石積みの遺構があるので。 その先、川沿いの細く狭い僅かな平坦地に石積み遺構が現れます。 これは「清龍寺」跡の何らかの遺…

  • 八王子城 主郭北麓 1 搦め手からの奇襲ルート辿る 導入部編

    八王子城 主郭北麓 1 搦め手からの奇襲ルートを辿る 導入部編 訪問 2022年3・4・6月 2023年1・1・8・12月 2024年1・3月 既に幾度も紹介してきた「八王子城」の紹介に戻ります。 今回の主郭北麓編は八王子城の縄張りと落城の経緯についての核心部分編と言うべき、本丸背後から西方堡塁群を含む、北~西側「搦め手」側の遺構紹介となります。 登山道が未整備で訪問者は極めて稀な一帯ですが、反して遺構の残存状態は良好かつ内容も素晴らしい。 と、言う事で短くまとまり切れず8回位の長編になりそうです。 八王子城は、力攻めによって落城し(実は結構珍しいかも)戦闘経過が比較的伝承された城郭になります…

  • 棒道 (山梨県 北杜市) 戦国の軍用道路

    棒道(上の棒道) 訪問 2022年 8月 駐車場 有り(甲斐小泉駅前) 案内板 有り 「新府城」紹介編からやや強引に繋げてますが、武田信玄が軍用道路として整備したと伝わる「棒道」ぼうみち の紹介編です。 読み方は「ぼうみち」なんですね、「ぼうどう」かと思ってましたが。 棒道について現地の案内板の紹介を載せておきます。 棒道 「棒道」とは、戦国時代の甲斐の武将武田信玄(1521~1573)が、北信濃(長野県長野盆地)攻略にあたって、最短の道として開発した軍用道路と伝えられています。 八ヶ岳の西麓をほぼまっすぐに通じていることから、「棒道」と呼ばれてます。 「棒道」には上中下の3筋があり、小荒間地…

  • 新府城 の まわりだけ再訪

    「能見城」を訪問したならば「新府城」にも立ち寄るのが正しい? ように思えて12年振りに少しだけ再訪しました。 実際は新府城真横の県道17号(七里岩ライン)を甲州街道の抜け道として利用してたので、通る度に復元工事の様子は見ていましたが。 今回は少しだけの訪問なので、側(外部の堀だけ)の見学です。 詳細はごく初期の新府城の記事を参照してください。 kurokuwa.hatenablog.com kurokuwa.hatenablog.com 新府城 北側水堀と低湿地跡 一応グーグル先生も載せます せっかく新旧の画像があるので 2010年と2022年の写真を並べてみましょう。 こちらは現地の案内 新…

  • 能見城 (山梨県 韮崎市) 新府城の北方防衛ライン

    能見城 訪問 2022年 8月 駐車場 無し(付近あり) 案内板 無し 山梨のあまり知られてない城郭の紹介です。 能見城は、武田勝頼が築いた「新府城」北方約1キロに位置し、新府城北方の防衛ラインの一翼を担ったと伝わります。 穴山駅前から「能見城」を見上げる 場所はいつものようにグーグル先生にお任せ 県道17号(七里岩ライン)の旧道沿いに、能見城の築かれた「流れ山」は存在します。 こちらは同じ能見城を国土地理院地図の「陰影起伏図」で現したもの。 一見すると天然自然の独立丘に見える「能見城」ですが、夥しい数の人工的な段々によって地形は改変され尽くされた様子が判ると思います。 形状から耕作地化の跡に…

  • 葛西城 (東京都 葛飾区)

    葛西城 訪問 2022年8月 駐車場 無し 案内板 有り 環七の下に眠る戦国の巨大城郭 再び都内のお城紹介です。 今回のお城は葛飾区の葛西城。 国府台合戦など関東戦国史に於いて度々登場する葛西城ですが、開発によって今日では遺構と呼べる遺構は残っていません。 冒頭から興味を引かせる事 書いてますね・・ 中川堤防より 場所はいつものようにグーグル先生にお任せ 環七と日光街道が交わる「青戸の陸橋」と言えば、判る人が多いでしょう。 そんな交通量の地下に中世城郭が眠っているのは案外知られてない事実かもしれません。 さて 葛西城の歴史については現地の案内板を転記しましょう。 葛西城 葛西城は中川右岸に沿っ…

  • 三階城 (茨城県 鉾田市)

    三階城(安房城) 訪問 2022年 1月 駐車場 無し 案内板 有り 名は体を表す 3階建ての三階城 実験的に前回の神明城から冒頭にサブタイトル的な物を入れてます。 今回も茨城のお城紹介ですが 2階でもなく3階です。 妙な名前ですが別名「安房城」とも呼ばれるようです。 三階城の名前の由来は現地を歩き廻ればすぐに理解できます。 名前のまま3階建ての縄張り。 小さな独立丘に3段の立体的な縄張りを持ちます。 広義の意味で「円郭式」に含めてもいいでしょうし、立体円郭式と呼んだ方が三階城の縄張りを表すにはふさわしいかもしれません。 三階城 堀底道 場所はグーグル先生を参照ですが やや入口が分かり辛いので…

  • 神明城 (茨城県 行方市)

    神明城 訪問 2022年1月 駐車場 無し 案内板 無し じゃない方「武田氏」の城郭 神明城 2022年の正月休みを利用した茨城県北部遠征編に移ります。 さて 初回の神明城は、武田氏の築城と伝わります。 武田氏と言えば武田信玄、甲斐武田氏が余りにも有名 と 言いますか 一部マニアを除いて他の武田氏の知名度は地元を除けばほぼゼロでしょう。 ja.wikipedia.org 甲斐国以外にも武田氏系列は全国各地に土着しており 主なじゃない方の武田氏は 若狭武田氏 安芸武田氏 関東なら 「武田信長」という何とも覚えやすい名前で有名な上総武田氏 この辺りが比較的有名ですが 茨城北部に土着した常陸武田氏と…

  • 沢山城 (東京都 町田市)

    沢山城(三輪城) 訪問 2022年5月 駐車場 無し 案内板 無し 引き続き、都内町田市の丘陵地帯に残る中世城郭を一つ紹介します。 「三輪城」とも呼称されるようですが紹介中は「沢山城」(さわやま城)で統一します。 城の歴史について 幾つかの説はあるようですがいずれも伝承の域を超えるものはなく、今回は割愛します。 その分 お城に行って、ありのままの遺構を見て あれこれ妄想しましょう。 沢山城(三輪城)主郭部の七面大明神 今回もグーグル先生に登場願います 周辺環境が判るよう画像データ仕様で表示してます。 周囲は新興の宅地開発が進みつつありますが、古い集落や畑地・林地などの自然環境も多く残る地域です…

  • 小野路城・奈良ばい谷戸(町田市)2

    では 小野路城・奈良ばい谷戸1 の続きです。 地図に再登場して頂き 余湖さんのHPからの縄張り図にも再登場してもらいます。 井戸の脇を過ぎて、「郭1」の東側を目指します。 井戸側から見上げた「郭1」の稜線上の段郭 井戸北側を見下ろして撮影。 前回触れた小野路城テーブルマウンテンに築かれた説の説明用に撮ってます。 実は、崖地形は基本的に藪々で写真で伝わるアングルはほぼありません。 こちらは「郭1」東側の緩斜面。 ほぼ自然地形と思わるやや傾斜した平坦地。山城でこれだけのスペースが確保できるのも小野路城の特色でしょう。 そのまま東側に歩くと左手に分岐があります。 直進は東側の尾根道へ続きます。 一旦…

  • 小野路城・奈良ばい谷戸(町田市)1

    小野路城 ・ 奈良ばい谷戸 訪問 2022年3月 駐車場 無し(隣接小山田緑地P利用) 案内板 無し 奈良ばい谷戸に残る山城遺構 年始早々から継続連載した八王子城シリーズではマニアック度が振り切れてしまったので一旦、他の東京都のお城紹介に戻ります。 今回は 多摩丘陵に残る貴重な山城遺構「小野路城」と 周囲の「谷戸地形」に残る貴重な自然環境も併せて紹介していきます。 では 簡単に小野路城の歴史を・・ 紹介したいのですが、ここも山城あるあるで詳しい経歴が不明な城郭です。 「東京都の中世城館」によると 文明9年(1477年)3月頃、長尾景春の乱に際して扇谷上杉氏が「小山田」に拠点を構えたとあり、小山…

  • 八王子城 主郭南西側尾根縦走 2

    ではでは 八王子城主郭南西尾根縦走1 の続きと参ります。 では現地模型に再び登場して頂きまして 3の小ピークを過ぎて 4 の熊笹山に向かう所から再開です。 緩斜面を登って 登りきると平坦地。 尾根幅も広く 郭状地形とも言えなくないかも・・ ここは「何でも遺構に見える病」による典型的な妄想かもしれませんが。 4 熊笹山と呼ばれる小ピークを登ります。 熊笹山は名前そのまま笹に覆われ、緩やかな丸みを帯びた山容です。 今回は、ピークを目指さずに巻き道を利用して山腹の遺構を確認します。 巻き道から撮影した山腹の様子。 人為的な地形の改変はちょっと判りません。全体的に緩やかな勾配が続くだけ。 熊笹山から南…

  • 八王子城 主郭南西側尾根縦走 1

    八王子城 主郭 南西尾根縦走 訪問 2022年 5月 また八王子城のマニアックエリア紹介と参ります。 こんなニッチなジャンルで更に需要の低い中身ですが・・ 今回のルートは 太鼓郭尾根の最終大堀切 → 南西部尾根 → 熊笹山 → 富士見台 → 伝天守前の大堀切 です。 それ八王子城? となりそうですが・・ 八王子神社のある主郭部から谷筋を隔てた外周部を巡るルートで、ほぼ八王子城の見学とは認識されない稜線の縦走回です。 すれ違う人も日帰りハイカーばかりですし。 そんな稜線ですが 竪堀状の斜面の溝状地形や 稜線上に郭のような平坦地があったりと 注意深く観察すると城郭遺構っぽい??地形 が幾つも見られ…

  • Yahoo!ブログ時代の記事を直しました

    年末年始の休みを利用して、少しづつYahoo!ブログ時代の記事訂正をしました。 今回はその報告です。 主な訂正点は ↓ これ、地図リンクの変更。 Yahoo!ブログ時代の記事では、旧Yahoo!マップを埋め込みましたが現在の表示はこのような有様。 左下の「詳しい地図で見る」をクリックすると、現行Yahoo!マップのそれらしい地点には飛びますが精度がイマイチで地図案内としては不満の残るものでした。 それで今回 グーグルマップへの置き換え作業をして このようになりました。 グーグルマップなら見やすいし訪問もしやすい ただ地形高低差に関しては判り難いのがマイナスポイントですかね。 旧Yahoo!マッ…

  • 八王子城 御主殿の滝とその奥に潜む遺構 2

    「1」の続きと参ります。 今回の「2」は 御主殿の滝の背後からスタートします。 八王子城 主郭直下の竪堀? 遺構 また陰陽図に登場してもらいます。 2022年12月訪問が オレンジライン 2023年5月訪問が 赤ライン まずは 2022年12月分から 御主殿の滝を背にして城山林道を奥へ進みます。 林道と城山川は画像中央で直交して、林道左手が御主殿の滝側。 画像右手の城山川は土砂の堆積により枯れ沢になっています。 やがて林道終点の追分に到着。 このルートと貯水池の件は、以前掲載した 「八王子城主郭南西部編の3」 でも少し触れています。 kurokuwa.hatenablog.com 南西部編では…

  • 八王子城 御主殿の滝とその奥に潜む遺構 1

    八王子城 御主殿の滝・城山林道奥の遺構 訪問 2022年12月 2023年 5月 駐車場 あり 案内板 あり 八王子城の一般旅行者が行かない所シリーズを再開します。 需要は少ないのは判ってますが、まぁまぁいつものマイペースなのでご容赦下さい。 今回は、八王子城に行く人ならほぼ必ず見るであろう北条氏照の居館(御主殿跡)と復元曳橋 を通過して その奥には何があるのか?? の深堀り回です。 よくあるアングルの写真です。 このまま曳橋を渡って御主殿に行くのが一般的ですが 天邪鬼なので 行きません。 橋の下を流れる「城山川」に降ります 今回の「1」では 曳橋の下、城山川から御主殿の滝 次回の「2」では …

  • 年頭の挨拶 令和6年

    謹んで新春のお慶び申し上げます 予約投稿なので 実は2023年に書いてます・・・ 津久井城より津久井湖を望む 旧年中マニアックな当ブログに訪問してくださった皆様 本年もマイペースで続けて参りますので引き続きよろしくお願いいたします 毎年年末に「今年の訪問城郭紹介」をしていたので ここで簡単に触れておきます。 2,023年は近場の再訪が多かったですね、あまり活発とは言えない1年でした。 2,023年訪問記録 1月 八王子城 東京都(何度目か不明) 津久井城 神奈川県 2度目 何度目になるのか八王子城・・西方堡塁群の石積遺構 4月 滝山城 東京都(何度目か不明) 八王子城 東京都(何度目か不明) …

  • 鶴が渕城 (栃木県 日光市)

    鶴が渕城 訪問 2021年11月 駐車場 なし 案内板 あり(縄張り図なし) 鶴が渕城 美しい紅葉と共に織りなす山間部の秘境 タイトルを「AI様」に言わせると・・こうなります ブログ編集機能に実装された 「AIタイトルアシスト」 が、お勧めしてくれたタイトルの一つを載せてみました。 なるほど最近のAIは極めて優秀・・・ 私よりもセンスありますネ 訪問者も増えそうな。 まぁ、結局いつものような無骨タイトルにしちゃいましたが 男鹿川と紅葉と鶴が渕城 お城の紹介の前に 鶴が渕城を含む(山城)の遺構の多くは戦国時代無数に築かれ、用済みになれば打ち捨てられ現在に至ります。 戦国時代の開始は一般的に146…

  • 野沢城 (栃木県 那須塩原市)

    野沢城 訪問 2021年11月 駐車場 無し 案内板 あり(縄張り図なし) 今回から久しぶりの栃木県北部編となります。 初回は、アクセスしやすい県道沿いの城跡野沢城から シンプルな縄張りながら要害性を感じる野沢城の遺構と、主郭部の箒根神社を一挙に見学できるお得? な城郭遺構です。 野沢城主郭部 箒根神社社殿 場所はいつものようにグーグル先生にお任せ グーグルの案内では、箒根神社 となってますが、これは野沢城主郭部に箒根神社があるため。 ひとまず訪問するなら箒根神社を目指しましょう。 城は、箒川沿いの河岸段丘の舌状台地を利用して築かれています。 入口は県道沿いのここ 箒根神社参道の石灯籠が目印 …

  • 横瀬 根古屋城 (埼玉県 横瀬町)

    横瀬 根古屋城 訪問 2023年 10月 駐車場 無し 案内板 あり 古御嶽城の次の城郭紹介ということで前回少し触れた横瀬 根古屋城編と参ります。 本来は訪問順に紹介してるので、今回は珍しく最近の訪問記録のアップになりますね。 今回 城の名前を 横瀬(半角スペース)根古屋城 と表記します。 現地案内板には横瀬は付かずただの 根古屋城 と書かれているので 本来は「根古屋城」 と紹介すべきでしょう が 横瀬 根古屋城麓から見える武甲山 ただの根古屋(根小屋とも)城と紹介すると 日本全国 根古屋城 の数が多すぎ問題 に直面するので 今回は枕詞のように根古屋の前に「横瀬」をつけて他の根古屋城と判別で…

  • 古御嶽城 (埼玉県 横瀬町)2

    では 古御嶽城1 の続きと参ります。 前回はほぼルート紹介で終わってましたが・・ようやくお城に入ります。 では初めに 簡単に縄張りを落とし込んでみました。 至ってシンプルな縄張りですね。 技巧性が・・虎口が・・とか 気にしなくていい縄張り。 そもそも 天然の岩壁で大抵は何とかなりそうですし。 ところで 岩壁をよじ登る最中の写真はありません。 ロッククライミング程ではなくとも撮影する余裕はなし、ただ素人でも登れるものの決して推奨はできない。 そのくらいの難易度です。 では岩壁を過ぎた所から再スタート 岩壁の先はすぐに郭ではなく、しばらく尾根沿いの岩稜帯になります。 石碑はこの先、益々増えます。 …

  • 古御嶽城 (埼玉県 横瀬町)1

    古御嶽城 訪問 2021年11月 駐車場 なし 案内板 なし 久しぶりに通常営業に戻ります。 さて今回は埼玉県は秩父地方の山城の紹介です。 今回訪問したのは古御嶽城ですが、本来の目的は近傍にある横瀬根小屋城でした。 横瀬根小屋城は秩父地域でも比較的著名な山城遺構ですが、折角秩父界隈まで出かけるならその支城との伝承がある古御嶽城もついでに見ておこう と 本命の前に訪問した次第です。 結果的には、古御嶽城だけの訪問で時間切れになり横瀬根小屋城の訪問は後日となっています。 そのあたりの経緯は最後にさらっと触れますが、個人的な主観で言えば本命よりもこちらの古御嶽城の方が好みですかね。 城の歴史について…

  • 平瀬城南支城と山城整備の妄想

    ご無沙汰の更新です。 数えてみたら約4か月振りです。 特に何かあったわけではありませんが、引っ越しを伴う人事異動からの・・引継ぎやらなにやらで気づいたら4か月経ってましたね。 今回は生存報告を兼ねて簡単な近況活動として松本市にある平瀬城(南支城)の訪問記録的な模様をアップします。 長野のお城もコロナ禍以来久しぶりです。 実は9月にお城ブログの大家である「らんまる氏の講演会」 に 参加させて頂きまして、そこで長野の山城の魅力をたっぷり注入された結果 「衝動的に信州の山城に向かう病」を発症してしまいました。 今回はその典型的な症例という事でご笑納ください。 ranmaru99.blog.fc2.c…

  • 山城訪問のポイント

    久しぶりの駄文コーナーです。 世間の片隅で細々と運営する当ブログ テーマはもちろん お城 ですが 日本百名城や現存天守のような有名どころは素通りし 山や藪に埋もれた土のお城、中世城郭をメインテーマに据えた、マニアック度の濃い内容になってます。 具体的には 山の中に入って こんな「溝」を見つけてはハイテンションになってる不思議(やや危ない人?)な内容ですね。 ※溝は堀切の遺構です そんな訳で 細々運営になるのは当然ですが 過去の記事で 「山城巡りに適した装備(靴)とは?」 kurokuwa.hatenablog.com これだけは、継続的に閲覧されているんですね なぜか・・・ 肝心のお城の紹介記…

  • 真壁城 (茨城県 桜川市)3

    それでは真壁城の紹介も最終回です。 いつもの縄張り図に再び登場してもらいまして 最終回は外曲輪を中心に紹介します。 中城から再び外曲輪を進み真壁城の東端を目指します。 とは言え、すでに炎天下に歩く事1時間以上 この頃は視界が若干チカチカ・・ 軽い熱中症ですね。 緊急避難的に正面の木陰を目指して移動中というのが実態です。 神社と木陰が見えてきました、ここでしばし休憩。 案内板によると鹿島神社のようです。 縄張り的には外曲輪の凸部に位置します。 ひんやり涼しい、神社の木陰は別世界に感じます。 樹木で隠れてますが、社殿の両脇と背後には真壁城の土塁が残ります。 で、休憩もそここに土塁に登って撮影。 復…

  • 真壁城 (茨城県 桜川市)2

    それでは真壁城2と参ります。 再び登場の現地縄張り図。 前回、真壁城の歴史について触れてなかったので 現地案内板の内容を転記して真壁城の紹介とします。 真壁城は真壁久幹(まかべひさもと)によって築城されました。 桜川市教育委員会による発掘調査では、築城された年代を永禄年間(1,558~1,570)と推定しています。 真壁家は平安末期~中世に、桜川市南部付近を治めた平一族(常陸平氏)です。 1,602年には、真壁家が出羽・角館に移転して、真壁城も廃城とされました。 真壁城跡(国指定史跡)は本丸、二の丸、中城、外曲輪の4エリアに別れ、指定面積は125,000㎡程です。 遺跡全体の大きさは、館(だて…

  • 真壁城 (茨城県 桜川市)1

    真壁城 訪問 2021年7月 案内板 あり 駐車場 あり 引き続き茨城県のお城紹介ですが、前回の逆井城から北に移動します。 この辺り、地平線がぐるり見える日本でも稀なエリアですが、その中で唯一ランドマーク的に目立つのが筑波山。 その西麓に築かれた真壁氏の居城「真壁城」の紹介と参ります。 真壁氏は全国区の知名度こそないものの、常陸国で長く栄えた武家の名門。 真壁城はその居城とあって規模雄大な平城で、また長きに渡る復元整備活動によって、非常に見学しやすい環境が整えられています。 ちなみに、読み方は「しんかべ」ではなく「まかべ」ですので。 真壁城2の丸から筑波山方面を望む 場所はグーグル先生にお任せ…

  • 逆井城 (茨城県 坂東市) 再訪

    逆井城 訪問 2021年 8月 案内板 あり 駐車場 あり 逆井城は、土の中世城郭の中では知名度が高いのでご存じの方も多いでしょう。 城が現役であった頃の中世城郭風の建築物が建てられており、戦国時代の城郭を訪問した気になれる史跡公園として整備されています。 今でこそ、史実に合わせた復元が一般的になりつつありますが、城郭の復元となれば 「天守閣だ! 観光資源だ!」となりがちな中、この復元事業はまさに英断と個人的には思ってます。 城めぐりを始めた2010年頃は、様々な城郭書籍でも紹介されてましたので早速訪問して拙ブログでも紹介した記憶があります。 今回は11年振りの再訪となります。 当時ほど書籍な…

  • 韮山城 江川砦・和田島砦(静岡県 伊豆の国市)

    韮山城 の 江川砦・和田島砦 2021年 5月 駐車場 あり 案内板 あり 単発で静岡県のお城「韮山城」の紹介です。 久しぶりにメジャーなお城ですが、実は5年前に一度紹介済み。 韮山城は、主廓のある丘陵部(主要部)の他に、主要部背後の天ヶ岳山頂から各支尾根上に展開する廓群を併せた広大な城域を誇る城郭遺構です。 一般的に「韮山城」といえば主要部のみを指す事が多いでしょう。 観光地として整備され訪問も容易。 一方の天ヶ岳地区の遺構については全く整備がなされず難易度の高い山城遺構となっています。 ここまで足を延ばす人ははっきり言って稀ですが、拙ブログでは当然天ヶ岳地区を重点的に紹介するわけです。 さ…

  • 島崎城 (茨城県 潮来市)3

    長々紹介してきました島崎城ですが最終回です。 前回までの おさらいはこちら kurokuwa.hatenablog.com kurokuwa.hatenablog.com 3回目の登場となる現地案内図からの 3回目は青線部分を辿ります。 Ⅲ廓外縁の空堀反対側から、島崎城中枢部を見ていきます。 Ⅲ廓送電線鉄塔まで戻りました。 「島崎城2」で紹介した空堀に沿った土塁線を再び辿り 堀底へ降下 そして反対側に進みます。 画像中央付近、Ⅲ廓の張り出し部直下の堀底だけ、地形が少し盛り上がっていますが、勝手に畝堀の畝の跡ではないかと推定。 前方に何か赤い看板が・・ 撮影は看板裏側になってますが、表には私有地…

  • 島崎城 (茨城県 潮来市)2

    では島崎城1 の続きと参ります。 が、 前回島崎城の歴史については全く触れておらず、ここで城主島崎氏を含めた説明を現地パンフレットの内容を抜粋の形で紹介します。 島崎氏歴史概要 島崎城は、常陸大掾氏の庶流で行方氏の一族、島崎氏の居城である。 鎌倉初期に行方氏の祖、行方宗幹の次男高幹が島崎に分封されて島崎氏を称した。 しかし島崎城の築城時期は明確ではなく、一説には応永年間(1394~1426年)、11代成幹の時に築かれたとも言われる。 尚、宗幹の長男為幹は行方氏の惣領を継ぎ、後に小高へ移住して小高氏となり、 三男家幹は麻生に分封され麻生氏となり、四男幹政は玉造に分封され玉造氏となった。 この四家…

  • 島崎城 (茨城県 潮来市)1

    島崎城 訪問 2021年1月 案内板 あり 駐車場 あり 茨城県は鹿行(ろっこう)地域のお城紹介、2城目と参ります。 冒頭から結論じみた事を書いてしまいますが、個人的に島崎城は県内でも有名な小幡城に匹敵する土の城の遺構と評価しています。 そんな訳でうんちくも多めで島崎城は全3回の予定です。 この島崎城を含む鹿行地域、 全国区の有名な武将が出るわけでもなく、小規模な国人領主がひしめいたまま戦国時代を終えているので歴史的には地味な地域(地元の方スイマセン)のため、城そのもの評価が低めに査定されているようにも感じます。 逆に誰でも知っている武将に関連する城郭は、城そのもの技巧性を無視してエピソードだ…

  • 林城 (茨城県 鹿嶋市)

    林城(外城) 訪問 2021年1月 駐車場 無し 案内板 有り(縄張り図無し) 久しぶりの関東のお城です、それもザ関東平野の平城はいつ以来か・・ 今回から茨城は鹿行地域のお城を2城紹介します。 林城 3郭空堀 先ほどさりげなく鹿行と書きましたが これで(ろっこう)と読むそうです。 霞ケ浦東岸から太平洋に至る低地一帯を指すそうで 鹿島と行方(なめかた)を合わせて鹿行だそうです。 ちなみに行方も難読地名ですよね、 いつのもように、場所はグーグル先生にお任せ と 言いたい所ですが 今回は 地図に補足を加えます。 はい、これです。 赤丸が林城の位置を示します。 水域を示す青色が現実よりも増えてますね。…

  • 湯村山城 (山梨県 甲府市)

    湯村山城 訪問 2,020年 9月 駐車場 無し(緑が丘スポーツ公園に駐車) 案内板 無し 久々に山梨のお城を単発で紹介します。 中世~戦国期の山梨(甲斐)と言えば、甲斐武田氏が余りにも有名ですが、今回の湯村山城は甲斐武田氏の居館「躑躅ヶ崎館」の支城と伝わる山城です。 湯村山城 石積み遺構 緩やかな扇状地形に造られた躑躅ヶ崎館から南西方向に目を向けると湯村山と呼ばれる小山があります。 湯村山は甲府盆地に突き出した岬の先端のように見える地形ですが、その山頂に築かれたのが湯村山城となります。 場所はいつものようにグーグル先生にお任せ。 所で、 甲府の湯村と言えば一般的には湯村温泉 でしょうね。 さ…

  • 稲倉城 (長野県 松本市)

    稲倉城 訪問 2020年 3月 駐車場 無し(路駐可) 案内板 有り 今回も松本市北部の山城紹介です。 引き続き、どしどし長野お城紹介と・・いきたいのですが実は長野お城ネタはここで打ち止めです。 稲倉城等を訪問した2020年3月は、コロナ禍初期の感染爆発直前という際どいタイミングでした。 訪城直後に緊急事態宣言が発令され、そこからはご存知のように怒涛のコロナ禍がスタートした訳ですが、いやはやもう3年も続いているんですねぇ・・ 初期の頃はマスクや消毒用アルコール消毒が店頭から消え、そして何故かトイレットペーパーまで入手困難になりましたね。 改めて思い返すと不思議なもので遥か昔にも感じられます。 …

  • 早落城 (長野県 松本市)

    早落城 訪問2020年3月 駐車場 無し 案内板 有り 更に松本市の山城を一つ紹介します。 今回は市街地北側の早落城(はやおとしじょう)・別名「洞山砦」です。 土の城好きなら行った事はなくとも、この縁起の悪いネーミングで知っている方も多いのではないでしょうか。 早落城北側郭群 早速ですが 現地案内板を抜粋して城の説明とします。 中世、稲倉城の支城、赤沢氏の持城で「洞城」と言ったが、小笠原氏は奪って岡田郷の井深城主後庁氏に与えた。 天文19年(1550)武田氏が林城を攻略した際に赤沢氏はいち早く攻め落としたので「早落城」と呼ばれるようになった。 赤沢氏は家臣の林氏に守らせたが、天正10年(158…

  • 宮原城 (長野県 松本市)

    宮原城 訪問 2020年3月 駐車場 無し 案内板 有り 引き続き長野お城紹介と参ります。 今回は、信濃国守護小笠原氏が築いた城砦群の一つ宮原城になります。 宮原城を含む小笠原氏の城砦群とは、松本市街地東方から南面を流れる薄川(すすきがわ)が作り出した扇状地両岸に密集する山城群で、規模の大小はありますがいずれの城郭も壮大な竪堀や石積み遺構等の見所が満載と、山城好き(変人)には垂涎のエリアとなります。 拙ブログでも既に幾つかの城郭は紹介済ですが、その中でも宮原城は比較的小規模な山城で知名度は低めと言わざるを得ません。 宮原城 主郭背後の連続堀切 しかし、 知名度は低くともそこは小笠原氏系の山城の…

  • 的場城 (長野県 伊那市)3

    更新が途絶えてましたが・・なかった事にして 的場城の紹介 最終回です。 解説用に余湖さんの㏋から借用した縄張り図を掲載します。 3郭から見上げて撮影した2郭南端の土塁線。 同土塁線上から3郭を見降ろして撮影。 と 言っても判り難いので もっと判り難いかも・・縄張りに補助線を付加しました。 3郭は他の郭より造作が甘い印象ですね。 郭の横幅も狭く、二人並んで両側に備えれば互いの得物が邪魔になるでしょう、ここでの戦闘はちょっと現実的に難しいかと。 3郭と呼称されますが、実質的に4郭から主郭方面への連絡通路・脱出路と考え方が良い気がします。 2郭内部から1郭方向を撮影・・だと思います。 更新サボってい…

  • 2022年もありがとうございました

    大晦日ですが、久々の更新です。 本年中、拙ブログへ訪問して頂いた皆様には御礼申し上げます。 良い年をお迎えください。 実は今日、約3か月ぶりのログインでした。 サボり過ぎですね(笑) このところ本業が俄かに忙しくなってまして、ついブログから足が遠のいてました。 このままブログは自然消滅か? とも思いましたが 的場城の紹介も中途半端なままですし、未紹介の城郭も蓄積しているので、継続宣言と生存報告を兼ねての記事となります。 さて 恒例の本年の訪城報告です。 1月 茨城県 三階城 神明城 東京都 八王子城(主郭南西部) 写真は神明城 2月 東京都 八王子城(主郭南西部) 3月 東京都 小野路城 八王…

  • 的場城 (長野県 伊那市)2

    更新遅れましたが 的場城1の続きと参ります。 前回は道のりの解説と前置きで終わってるので、ここからが的場城の紹介ですね。 公共の図がないので 余湖さんのHPからまたしても縄張り図を借用します。 的場城1では、右側の森のどこかから的場城の稜線のいずれかに登り切った所で終わってます。 これは前回最終で紹介した写真です。 到達した稜線上は人為的に均されたように平坦ですが、郭と呼ぶ程の普請ではありません。 的場城の位置は、稜線の上か下か? 判らなくなっているので(プチ遭難?)ひとまず下の方から確認する事にします。 下ってすぐに現れるのがこちら古道のような溝状遺構。 的場城の稜線から東側(図右側)に派生…

  • 的場城 (長野県 伊那市)1

    的場城 訪問 2019年11月 駐車場 無し 案内板 無し 今回訪問した高遠と言えば現在は伊那市の一部ですが、元々は「高遠町」として独立した自治体でした。 平成の町村合併の流れで伊那市に併呑された経緯がありますが、個人的には高遠町の印象が未だに強く、「伊那市の高遠」と紹介するのに違和感が残ります。(昭和の人なんで・・) その(旧)高遠町の名所と言えば高遠城でしょう。 桜の名所として一般の方にも史跡・観光地として知られる城郭遺構で、桜雲橋とタカトウ桜の組み合わせ写真は定番。 ※以前訪問した時の写真 ↓ です。葉桜ですがあしからず 前置きが長くなりましたが そんな高遠で一般の知名度は絶望的に低いな…

  • 守屋山城 (長野県 伊那市)

    守屋山城 訪問 2019年 11月 案内板 無し 駐車場 無し(蟻塚城から徒歩移動) さて、蟻塚城からの流れで早速守屋山城の紹介に移ります。 守屋山城 稜線上の 郭群 グーグル先生の地図案内は省略します、蟻塚城の記事を参考にして下さい。 獣除けフェンスの先に「守屋山城 ←」の案内があります。 案内に従って左に進みます。 フェンス先の作業道は、主郭背後を守る空堀を転用したものでしょう。 フェンス越しに撮影した蟻塚城主郭西側の空堀。 蟻塚城は前回紹介済ですが、主郭空堀はこのフェンス外側からしか見えないので、守屋山城へ行く予定がなくともここまで足を延ばした方がいいですね。 さて案内に従ってここから山…

  • 蟻塚城 (長野県 伊那市)

    蟻塚城 訪問 2019年 11月 案内板 有り 駐車場 有り さて、南信のお城紹介を再開します。 今回から、晩秋の高遠周辺のお城を巡りますが、高遠城は以前紹介済なので周囲のよりマニアックな山城の訪問になります。 初回は「蟻塚城」 ムシ偏 に義 は間違いなく昆虫のアリですよね、随分変わった名前ですが、ひとまず訪問しましょう。 蟻塚城 郭内の御射山神社社殿 蟻塚城の位置は グーグル先生では 御射山社里宮 と表示されます。 蟻塚城の推定2郭にある御社ですね。 こちらが、御射山神社参道正面であり、蟻塚城の入り口です。 「大手」とか、「虎口」ではなく入口と表現したのは、ご覧のように誰でもウェルカムな参道…

  • 山城巡りに適した装備(靴)とは?

    久々に小ネタを投下。 唐突ですが お城巡りの時はどんな靴で訪問してますか? こんなマニアックなブログに来る変わり者(いい意味ですよ)は、お城に訪問したら真っすぐ天守閣に向かって観光して帰るのでは物足りない人だと思います。 お城の興味を惹くポイントは、縄張り・石垣・歴史・或いは土木系か? 人それぞれ、出没エリアは整備された山城から人跡未踏??の藪を掻き分け突き進む探検隊スタイルの人まで様々ですが・・ 私のお城巡りのルーチンは、基本的に日帰り。 山の深さは 記事内容のままですが里山以上で本格登山未満でしょうかね。 遠征では、早朝から回って午後の早い段階で切り上げるので一度に多くて3城程度の訪問です…

  • 鈴岡城・松尾城 (長野県 飯田市)2

    では、早速続きと参りましょう。 今回はお隣の 松尾城です。 松尾城の主腰部は現在、松尾城址公園としての整備がなされています。 水路橋を渡って、一枚撮影。 対岸の鈴岡城との距離感はこんな具合です(適当な表現ですが) お隣さんの両城ですが、双方の連絡には大きく迂回せざるを得なかったのでは? 水路橋の説明板を読みながらしばし休憩。 真夏に城址のはしごは駄目ですね、4城目で疲労が溜まってきております・・ 松尾城の現地案内板を掲載します。 左側の赤い線は、鈴岡城から渡ってきた毛賀沢水路橋のだいたいの位置です。 ここで現地案内板の松尾城の説明を転記します。 長野県史跡 松尾城址(まつおじょうし) 松尾城は…

  • 鈴岡城・松尾城 (長野県 飯田市)1

    鈴岡城・松岡城 訪問 2019年8月 駐車場 有り 案内板 有り 更新に間が開きましたが(いつもの事・・)南信のお城紹介はここで一旦終了です。 ここまで紹介した南信の松岡城・南本城はいずれも河岸段丘に面した舌状台地を利用して築かれた城郭ですが、 松岡城 には 松岡南城 南本城 には 北本城 と、隣接した舌状台地にも城郭遺構があり、2本の舌状台地の遺構をもって、1セットの城郭と捉える事ができると思います。 今回の鈴岡城・松尾城もほぼ同じ占地で、毛賀沢川の浸食谷を隔て並立する舌状台地にそれぞれの城郭が築かれています。 にも関らず松尾城・松尾南城とならないのは元々の城主が異なるからかも知れませんが、…

  • 南本城 (長野県 飯田市)

    南本城 (座光寺城) 訪問 2019年 8月 駐車場 無し(路駐可能) 案内板 有り 少し更新遅れましたが、南信伊那谷編の続きと参りましょう。 今回紹介する南本城とおまけで紹介する北本城ですが、別名の座光寺城でご存知の方が多いかもしれません。 松岡城と全く同じく河岸段丘崖面と田切地形で守られた2本の舌状台地を利用して築かれた広大な城郭遺構でありながら、城の歴史的経緯は全くの不明と謎に満ちた城郭遺構? になります。 それ故なのか、城の名称も適当ですよね、これって。 南側の大きい城跡だから南本城でよし。 じゃぁ北側は北本城でいいだろう・・ そんな理由じゃないですかね。 南本城主郭虎口 現状の遺構か…

  • 松岡城 (長野県 下伊那郡高森町)

    松岡城 訪問 2019年 8月 駐車場 有り 案内板 有り この辺りで長野のお城紹介編を再開します、今回は南信伊那谷。 訪問はコロナ禍前の2019年の8月と、夏の真っ盛りで山城を攻めるには難しい時期なので平地に残る城郭遺構を中心に訪問してます。 松岡城主郭からの眺め さて、今回訪問した伊那谷平地部には、築城に関わるであろう極めて特徴的な地形が2点あります。 ひとつは、 天竜川の侵食作用によって生まれた巨大な河岸段丘。 もう一つは、 田切地形と呼ばれるこれも規格外に巨大な侵食谷。 判り易い部分に地形の説明を加筆しました。 真ん中の十字部分に松岡城があります。 河岸段丘は平地を崖のラインで、田切地…

  • 八王子城の記事リンク

    折々 亀の如くゆっくり歩むのが当ブログの特徴 と 妙な事を書いてますが、あまりにも更新がないのも問題なので生存報告を兼ねて 不定期に載せていた 八王子城 紹介シリーズ この機会にリンク集としてまとめました。 ------------------------------------------------------------------------------------------------ 八王子城再訪 1~4 2011年3月掲載 掲載範囲 麓の御主殿・山頂の主郭部・詰めの城 kurokuwa.hatenablog.com kurokuwa.hatenablog.com kurokuw…

  • いのはなトンネル

    いのはなトンネル はJR高尾駅から西に位置する中央本線のトンネルです。 知らない方も多いと思いますが、このトンネルで起きた凄惨な事件を是非 多くの方に知って頂きたく掲載します。 八王子城主郭南西部の回で使った紹介地図にもさりげなく位置を入れてます。 いのはなトンネルは、終戦間近の昭和20年8月5日 「いのはなトンネル列車銃撃事件」が起きた場所です。 ja.wikipedia.org グーグル先生のマップは慰霊碑を指してます。 小仏関の見学を終え、そのまま旧甲州街道を西へ進み蛇滝口バス停付近にあるのが いのはなトンネル列車銃撃慰霊碑→ の石碑 石碑→を拡大します。 脇には事件の解説板も設置されて…

  • 八王子城 主郭南西部 (東京都 八王子市)4

    では長々と続けてきたマニアック八王子城も今回で最終回になります。 ではいつものを貼り付けます 太鼓郭尾根の日陰だったので稜線に登ると日差しが強まります。 前回見た標識まで辿りつきました。 時間は 10時45分 ここから稜線を東に向かうのですが その前に、 これは「御主殿跡」の標識地点から東側を撮影した写真。 実は この細尾根 前回は見落としていたのですが、画像の右側(南側)に 竪堀状の溝が何条か斜面に落ちているんです。 何でも遺構に見える病かと思いましたが この溝状地形、稜線の南側(城の外側)だけなんです。 かなり曖昧な地形でしたが、3から4本程度は確認できました。 何度見ても竪堀にしか見えな…

  • 八王子城 主郭南西部 (東京都 八王子市)3

    さてさて、 八王子城主郭南西部2 の続きと参ります。 今回から 1月 2回目の訪問内容です。 地図の緑ルートの紹介になります。 またまた地図に登場してもらいます。 復元整備が進む御主殿の脇から、太鼓郭尾根に並走する谷筋を登って例の稜線を目指します。 城主である北条氏照の居館の奥はどうなっているのか? という疑問も含めてルートを選んでます。 所で、八王子城について色々とネット検索すると、城郭情報よりも圧倒的に心霊動画やら心霊関連情報が出て来るんですね。 You Tubeは特に顕著で、深夜に御主殿や御主殿の滝辺りで撮影してる事が多いようです。 どうせなら最奥の詰めの城辺りまで足を延ばしてガッツリ撮…

  • 八王子城 主郭南西部 (東京都 八王子市)2

    さてさて 八王子城主郭南西部1の続きと参ります。 と、その前に今回紹介しているルートの補足です。 今 紹介している稜線ルートは八王子城の外と一般的には認識されてる領域になります。 そんな所で山登りして、関連遺構を探そうというもの好きな内容です。 前回の地図再び 熊笹山をあとに富士見台を経て、尾根を下り八王子城主郭部を目指します。 途中、八王子城主郭方向へ唯一開けているポイントで撮影。 主郭部を見下すような、標高差を強く感じます。 小下沢(悪路)の分岐を下らずにそのまま尾根道を進みます。 悪路って、一体どの位の悪路なのか? 気になりますが もう少しで富士見台なので。 と 言う事で富士見台の小ピー…

  • 八王子城 主郭南西部 (東京都 八王子市)1

    八王子城 主郭南西部 訪問 2022年1月 駐車場 有り 案内板 有り 三河遠征の次は またまた・・またの八王子城シリーズを始めます。 八王子城に関しては、ここ10年余りの間に10回位は行っているでしょうか。 個人的には杉山城を超える圧倒的な訪問回数なんです。 最も近くにある100名城であり、本格的な山城という理由もあります。 八王子市内には同じ北条氏照の居城として知られる滝山城もあります。 続日本百名城に選定されるだけあって、その縄張は極めて技巧的で 「角馬出し」「枡型虎口」などの城郭パーツが見本の様に良好に残されていて大変判り易い。 それでも、4回位の訪問で もう大丈夫です、えぇ十分に堪能…

  • 大給城 (愛知県 豊田市)2

    ではでは大給城1の続きと参ります。 再び登場の現地縄張り図 こちらは縄張り図3 の平坦地、居館跡と伝わる郭。 ここだけは大石ゴロゴロの景観とは無縁の世界。 切岸面に残る石積み遺構・・に見えますが 何となくもっと新しいようにも見えるので、後世の耕作地化の際に施された土留めかも知れません。 こちらは恐らく大給城の遺構かと。 岩の隙間が丁寧に石積みで埋められてます。 そろそろ主郭にお邪魔する事にします。 この辺りから、見学のピッチをやや上げてます。 大給城1で少し触れましたが、サラッと見学したもう一つの理由は・・ お腹が緩くなってきた・・の、1点に尽きます。 3の郭の見学辺りからだいぶ怪しくなり、残…

  • 大給城 (愛知県 豊田市)1

    大給城 訪問 2019年5月 案内板 有り 駐車場 無し 本年1本目のお城紹介は、愛知のお城シリーズ最終です。 所で、2022年の干支は寅ですが 今年も拙ブログは亀の如くゆっくりと歩んで参ります(遅い更新頻度の言い換えです) さて、昨年の秋頃から掲載していた三河作手のお城巡りは、年末に紹介した古宮城が最終訪問です。 大給(おぎゅう)城へは、作手からの帰りがけに軽く立ち寄った程度なのでサラッとした紹介に留めます。 まぁ サラッと にはもう一つの理由もあるのですが・・ 大給城 主郭部からの眺望 場所はいつものようにグーグル先生にお任せ 国道301号から折れて林道ぽい道(舗装済み)を進むと 大給城…

  • 2021年もありがとうございました

    去年の 「2020年もありがとうございました」の記事からあっと言う間に1年が経ってしまいました。 本年を振り返ると 引き続きコロナ禍の制限を受けながらのお城巡り と 言う事で遠征は控えてほぼ関東圏のみの日帰り。 訪城件数も少なく、ついでと言っては何ですがブログ更新も同期したかのように低調に終わってますね。 10月にワクチン接種を受けたので晴れて城巡りの免罪符??を手にした訳ですが かれこれ2年間も制限を受けていると「お城に行かない日常」に慣らされているのか、容易には心のエンジンが掛からず今日に至ってます。 それでも数少ない訪問城郭をさらっと紹介します。 1月 茨城県 島崎城 林(外)城 写真は…

  • 古宮城 (愛知県 新城市)3

    古宮城3 と参ります。 今回は古宮城の防禦の要、「西城」郭周辺の紹介になります。 今回は、緑色の線に沿って歩いた分の紹介です。 が 緑の線は途中で終わってますよね。 実は、ほぼ全ての空堀と土塁を歩いてますが、記憶が曖昧で写真をいくら見返しても同じような土塁と空堀にしか見えず、後半は諦めました。 仕方がないので、「西城」郭で最も印象深かった北側虎口を重点的に紹介したいと思います。 幾重にも巡る空堀と土塁がおりなす曲線美は既にあちこちで紹介されているので、今更感もありますしね。 では、大堀切を分断する土橋を渡り、「西城」郭へ移動します。 前回、妄想力を動員して「西城」は丸馬出じゃないですか? と、…

  • 古宮城 (愛知県 新城市)2

    ではでは 古宮城2 と参ります。 今回は、オレンジ色の線に沿って進みます。 主に「東城」郭とその周辺を見て回り、次回は「西城」郭を紹介します。 所で「東城」郭と妙な書き方をしているのは、縄張図では古宮城の一つの郭を「東城」と呼称し、土橋を挟んだ対の郭を「西城」記載してるからに他なりません。 (注) ここからしばらく妄想力全開なので、適当にご笑納頂ければよいと思いますが・・ 古宮城にはこの「東城」「西城」以外にはまとまった広さと防禦力を備えた郭は存在せず、実質この2つの主要な郭から構成され縄張りに思えます。 そう考えると、古宮城の主郭は「東城」で、その虎口を守るのが「西城」と言えるのではないでし…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、黒鍬さんをフォローしませんか?

ハンドル名
黒鍬さん
ブログタイトル
ちょっと山城に(正規運用版)
フォロー
ちょっと山城に(正規運用版)

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用