【菅原道真の物語-前編-】昌泰の変はなぜ発生した?ポイントは宇多&道真vs醍醐&時平の対立構造!大宰府での道真の生活は?
(※画像は左が菅原道真。残り3つが現在の太宰府天満宮。) さて、宇多天皇の譲位に伴って即位した醍醐天皇も、自ら親政を行うようになります。 いわゆる「延喜の治」――後世において理想視された天皇親政の世が訪れるのでした。 しかし、いくら天皇親政といっても、当初醍醐天皇は、なかなか自分の思ったように政治が行えなかったといいます。 理由は宇多上皇の存在でした。 宇多は上皇となったのちも、しばらくの間は国政に大いに絡み、醍醐天皇の治世に対してあれこれ口出ししてきたようです。 そして、もう一つには菅原道真の存在がありました。 宇多天皇は譲位する際、醍醐天皇に対して道真を重用することを強く求め、上皇となったのちも道真の後ろ盾となり、彼を大いにバッ
2019/10/24 19:12