まさに、「喜今日」と言いたいこと
その日その日が喜びの日であれば、何も望みません。些細なことであっても、喜びに導かれたらそれでよし、なのです。本日、私は「喜今日」だぁ~~、と大きな声を発してしまいました。幸い、だれもいません。陋屋に来ましたら、よほど時間の余裕がない時以外は、忘れずにすることがあります。お仏壇を開けて、仏花を下ろします。お水をかえること、お花がまだ大丈夫でも庭におりて、見飽きるくらい繁茂しているそこいらの花を何本か手折って金色の仏花入れに活けます。フジバカマ、ミズヒキ草、ホトトギス、これからですとキチジョウソウに紫式部、等々だれも目にとめないかもしれない秋の野草がそこここにあるのは有難いです。そんな効果(お仏壇に活けるという)もねらって、時折、山野草を数鉢求めることがあります。最近では、キョウカノコを4鉢求めました。さてそ...まさに、「喜今日」と言いたいこと
2023/10/20 18:45