発達障害や精神障害について説明するには、たくさんの情報が必要で、私自身でも頭の中が混乱してしまいます。このブログは、それを整理する目的もあります。
赤ちゃんは、お母さんの微笑みを見ているだけで幸せな気分になるのです。お母さんの微笑によって、脳内でオキシトシンという幸せホルモンが出ているからです。しかし、お母さんから優しくかまってもらえないと、不快な表情をします。実験で、このような場面を設定すると、赤
自分とは「いったい何なのだろ」とか、「自分でも自分が分からない」と悩んでいる人が多いように感じます。自分の心が、ころころと変ってしまうので、それで「こころ」と言われるようになったという説があるぐらいです。そこで今回は「メタ認知」について解説し、本当の自分
もうすぐ食欲の秋ですが、肥満に要注意です。私も肥満傾向で、現在は一時より10キロ以上の体重を落としています。これも難問で、急劇に痩せるようなことをすると、またすぐに元通りになる経験があります。ですから今回は、何年間もの時間をかけて、徐々に痩せていくように
心が傷ついた人や、孤独で寂しい人を癒して元気にするのが、脳内物質のオキシトシンやセロトニンです。「がまくんとかえるくん」の話では、このオキシトシンやセロトニンが出るような内容になっています。このおはなしは、小学校1年生の国語の教科書に載っています。ですか
大変に困っている親子というのは、共依存状態になっていることが多いです。夫婦関係でも、共依存状態になっておられる人もおられます。「親の私が助けてやらなければ、この子がやっていけない」とか、「この子が困っているのだから、親として助けるのが当たり前」とか、親が
空気というのは、無色透明であるので見えないのが当たり前です。ところが、社会では「場の空気を読む」ことを、同調圧力によって半ば強制されます。さて、私などは、そのからくりをある程度、知っているのですが、それでも困ってしまうことがあります。複数の人が会話をして
今日は、朝早くから家の掃除をしていました。私は、掃除が好きなのです。リビングの絨毯をめくって、家の前の道路上に出して、高圧洗浄機を使って丸洗いをしました。オキシクリーンの洗剤を撒いて、泡が出なくなるまで水で流しました。水にぬれた絨毯は、とても重いです。日
要らない物を捨てる断捨離の作業は、「こだわり」を捨て心を開放する作業でもあるのです。数年前から、私も断捨離を始めています。まず、大量の本を捨てました。高価で、まだ読んでいないような本もありましたが、そのほとんどを思い切って紙の資源ごみで出しました。また、
子どもの頃から、何をやっても不器用でへたくそな私です。それで、自分でも嫌になってしまうことが、度々ありました。また、要領も悪いのです。大人になっても、その傾向が抜けず、間抜けというか、無能力な人間みたいでした。それでも大学を何とか卒業したのですが、今度は
「自立支援の会bolero京都」では、10月にグループワーク参加希望者の説明会を開催します。それに伴って、参加希望者を募集する予定です。bolero京都では、不登校や引きこもりの問題など、30才までの人を対象にした支援をしています。また、不登校などの延長線上にある就
息子が中学生の時、精神科への受診を担任とスクールカウンセラーから強く勧められました。「今はよい薬があるので、病院へ連れて行って薬を飲ますように」ということでした。それを断ると、「子どものことを考えていないバカ親だ」と非難されました。その後は、息子がどうし
問題解決方法の結論は、社会のみんなのために役立つ自分になるように、心掛けることが大事だと考えます。自分が、みんなの役に立てる人になることです。そんな生き方を実行するようになると、様々なことが変化してきます。さて人間は、進化論からの遺伝子レベルから考えると
ひどいうつ病の状態になっていた時は、何でもないことで涙が溢れだしてました。自分でも「これは変だ」と思うのですが、涙が止まらないのです。何とか制御したいのですが、感情が暴走してしまうのです。そんな経験をしてきています。現在は、悲しい時に涙が出て、嬉しい時に
精神的にしんどい人も、薬物をうまく使いながら健康回復することができると考えています。向精神薬を服用しながら、社会的な活動をしていくところで健康になれるのです。かなりしんどい時は、無理をしないで、自宅でゆっくり静養した方がよいです。しかし、元気が戻ってきた
けっして、自分を卑下しているのではありません。私というのは、探求すればするほど、何も取得のない自分が見えてきます。ケチで貧乏くさい、生まれも育ちも悪い、了見が狭く自己中心的、心が弱く欲望ばかり、見栄張りでいい恰好しい、卑怯でずるい、気が小さく肝っ玉が据わ
対人関係がうまくいかない人は、他者の話を言葉としてだけ、受け取る傾向があると思われます。また、その言葉の理解も、文字の意味の通りに表面的な解釈をするところもあります。その相手が、どんな話の流れで言ったのか、どのような表情で言ったのか、そこが抜け落ちます。
このブログは京都から発信しています。ブログの記事は、「自立支援の会bolero京都」での研修会などでの資料の基原稿として作成してきました。今回、その原稿を公開して、様々な方に知って頂くことにしました。不登校、引きこもり、発達障害、精神障害など、多様な困り事で悩
「引きこもり」の親子は、たいていの関係が悪くなっています。食べ物と言っても、偏食もあってどうせ食べてくれないと、思っている親が多いでしょう。それで当事者は、カップラーメンみたいなものばかりを食べているのでしょうね。ポテトチップが主食なのかも知れませんね。
よかったことや楽しかったことは、少しだけしか記憶に残りません。しかし、嫌だったことやつらかったことは、いつまでもこと細かく覚えています。対人関係でも、嫌いな人は忘れることがありません。しかし、好感を持っている人など、直ぐに忘れてしまいます。ですから、この
心は見えません。でも、あるのですね。また、空気も見えませんね。でも、空気がそよ風となって洗濯物を揺らした時、そのはたらきが感じられます。同じように、心もはたらきによって感じられるのです。さて、心って何だろうと、疑問に思っておられる人が居ます。心は見えませ
よく喋る親を持つ子どもは、たいてい話すのが苦手です。親が強いと、子どもは弱くなります。親が偉いと、子どもにとって超える障壁が高くなり、無気力になりやすいのです。反対に親が弱いと、子どもは親を守ろうとして強くなります。また、親が頼りないと、子どもはしっかり
断捨離と言いますが、私も溜め込んだ大量の本、不要な衣服などを思い切って捨てています。これまで、大量に捨てています。それでも、まだまだ断捨離しなければならない感じです。さて、家や部屋が片付くと、気持ちがよいですね。心の状態も、リセットされるからです。そ
「自分」というのはそのままであると、道に転がっている石ころにすぎませんが、磨けば光るダイアモンドの宝石かも知れません。これが宝石なのか石ころなのかは、実際に磨いてみないと分からないわけです。そこで私は、自分磨きに精を出しています。何のために自分を磨くのか
「引きこもり」の当事者は、たいていが放っておいて欲しいと思っています。そのように思うのは、これまでの嫌な経験から、支援する人からお説教があると考えているからでしょう。ですから、面接などの支援の場へやってくる人は、ほとんどいません。当事者が、そのような状態
当事者が一生懸命に話をしても聞こうとせず、自分の考えばかりを押し付けている親が居ます。そのような親に当事者は、何も話をしなくなります。いくら話をしても無駄で、そんなことをすればする程、当事者の気持ちが落ち込んでしまうからです。しかし、ほとんどの親は、その
子どもの時(児童期)は、嫌なことがたくさんありましたが、そんなにしんどいと感じていませんでした。しかし、高校生になる頃から、だんだんとしんどくなってきました。そして、大人になる頃には、しんどくて堪らなくなりました。死んでしまいたいぐらいのしんどさでした。
知り合いの親が、大きな施設での「職員研修会」で講師をしたそうです。おもしろいと思ったのは、そのほとんどの話が職員の労をねぎらう話が中心で、施設でやって欲しいことをお願いする内容であったところです。本当はいろいな不満があって、それを言いたいところでしょうが
不登校の子どもならば、学校へ行けるようになって欲しい。引きこもりならば、外出できるようになって、仕事へ就いて欲しい。家族(親)は、そのように願っています。しかし、学校へ行けるようになればよいのか。家から出られるようになればよいのか。そのような問題が残りま
家族の方からの相談を受けていると、「どうしてうまくいかないのだろうか」と不満に思っておられる人が多いです。当事者の状況がよくならずに、困っておられるのですね。しかし、丁寧に話を聞くと、「当事者を変えよう」としているところがあります。親が努力しているのに、
このところ、私が眠っている時の夢の中に、亡くなった人がよくやってきます。夢の中で、「この人は死んだ人だ」と分かっている時もあります。これは、夢だと気付いているのです。でも、まったく気付かずに、現実だと思っている時もあります。夢は、意思や行動をコントロール
発達障害や精神障害の困った状態にある当事者は、「話をするのが苦手」「読み書きが苦手」等と言う人が多いです。私も、元もとは話をするのが苦手で、文章の読み書きも苦手でした。正直なところを言うと、現在でも文章を読むが苦手です。長い文章の書類になると、どこを読ん
快楽というのは、脳の中で化学反応が起きているわけなのです。ですから、現実世界で素晴らしいことが起きている状態でなくても、快楽が起きます。例えば、大麻などの麻薬です。覚せい剤なども、そうでしょう。現実生活が最悪であっても、脳に薬物があれば幸せを感じることが
私には、他人や社会を恨んでいた時期があります。何をやってもうまくいかず、絶望的な気分になっていた頃です。その当時は心身不調で、パニック障害になっていました。就職もうまくできず、将来の見通しも暗い状態でした。世の中は不公平で、自分ばかりが損をしていると思っ
何をやってもうまくいかず、苦しくてたまらない時期がありました。これはきっと子どもの時に、どこか心の傷を受けて、そのために苦しいのだろうと思っていました。育ち方が悪くて、そのために心の問題を抱えているのだろうと考えていたからです。しかし、その問題が何である
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