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  • 気持ちは取っておけない。

    「幸運の女神には前髪しかない」という有名な言葉があるけれど、私の人生においては、あまりピンとこない言葉だ。 そんなにアグレッシブな生き方はしていない。 もう少し穏やかな表現の方が、私には合っている。 幸福というものは見つけたときに取らねばならぬということ―その場所に印をつけておいて、もっとつごうのよいときに取りにもどってもむだだ、そのときにはもうないのだから 『赤毛のアン』より引用 大学生の頃に出会ってノートに書きとめておいた言葉。 『赤毛のアン』全10巻中2巻くらいが短編集で、そのうちの1話だっと記憶しているけれど、タイトルも話も何もかも忘れてしまった(汗) 余談だけれど、『赤毛のアン』が1…

  • 『部屋とYシャツと私』は、美しい狂気の世界

    今更ながら、なぜか『部屋とYシャツと私』。 今更な理由は、数か月前に私がやっとこの曲の歌詞をフルで知ったからというだけのことで恐縮なのですが。 この曲が世に出た頃には、音楽的には気に入ったものの、タイトルなどから自分の考えとは合わない曲だと思い、歌詞をちゃんと聞いていなかった。 「あなたのために綺麗でいさせて」というメッセージのみ受け取り、他は完全に聞き流していた。 あらためて最後まできちんと歌詞を知り、こんなに怖い歌詞だったことに驚いている。 検索すると、「部屋とYシャツと私 怖い」と出てくるくらいに怖いと評判だったこともやっと知った。 毒入りスープなんてただの冗談にすぎず、とっても可愛らし…

  • 良いことも、悪いことも、次々にやってくる。

    『良いことも、悪いことも、次々にやってくる。』 これは、3年くらい前から意識するようになったこと。 「良いこと」が訪れてほしいと思う時の「良いこと」って、ある程度平和なときにプラス要素として訪れて、その後しばらくそれを噛みしめる時間があって、みたいなイメージをしてしまいがちだけれど、実際には、良いことも悪いことも次々に訪れて、幸せとも不幸とも普通とも言えない状況に身を置くことが少なくない。 昨日は、仕事で成果を上げることができた一方で、給湯器が壊れてお湯が使えなかったし、問い合わせなどしてバタバタだった。 幸せは別に噛みしめなくても問題はないけれど、不幸は対処が必要だったり、忘れようとしても忘…

  • こちらの好みを変えさせる、恐るべき宝塚!

    1日1宝塚!そんな日が続いてしまっている・・・。 そして、繰り返し観るうちに、自分の感覚に変化が・・・。 なんていうか、宝塚に対する感受性が高まった的な。 最初は、異常ともいえる気障っぷりに圧倒されて、個々の演技がどうのこうのなんて正直よくわからなかった。 気障!ということに目が眩んで細かいことは読み取れず、皆一律に気障という印象で。 長年のファンの皆さんが演技に対して細かく感想を書いているのをただただ凄いなぁと感心していた。 それが、だんだんと気障な演技に慣れ、気障を基本とした上でのそれぞれの演技が読み取れるようになってきている気がする。 考えてみれば、オペラの歌唱法、能・歌舞伎etcみなそ…

  • 私は貧しい箱入り娘

    不惑を迎えんとするのに、実家に頼って生きている。 本来私が払わなければならないものを、払ってもらっていたりして。 実家が裕福かというと、決してそんなことはないのだけど、私が甘えられる程度の余裕はあるというか、ズルズルと甘えてしまっているというか。 しかし、親のこの先も心配なわけで・・・。 こうして書いているとダメ感がすごい・・・。 流されるままに就いた仕事は、楽しいしやりがいもあるけれど、いかんせん不安定。さらに、諸事情で仕事を減らして半年経ってしまった。 春までになんとか今後のための種まき的な努力をしなければならないが、上手くいく保証なんてない。不安。 でも、フルで働いて貧しいわけではないの…

  • 的確な評価には、厳しくても愛を感じる ~「ブログ村」で思うこと~

    先日のライブビューイングをきっかけに、何人かの方の月組「エリザベート」の感想ブログを楽しく読ませていただいている。 やはり美弥るりか様のフランツは、とっても優しいという印象なのか、ふむふむ♡などとニヤついている。 以前と比べて良くなったところを褒めていたり、過去の公演と比べて厳しい指摘をしたりしていて、宝塚しっかりと見守ってきたきた方々の愛をものすごく感じる。厳しいことを言われたとしても、宝塚の方々もきちんと見てくれていることを嬉しく思うだろうと思う。 そして、自分の薄っぺらな感想が恥ずかしくなったわけで・・・。 恥ずかしいだけなら未熟者ということで致し方ないのだけど、安易に「宝塚ライブビュー…

  • 宝塚の男役は、「気障」のプロフェッショナル

    昨日、はじめて宝塚版の「エリザベート」を観た。 東宝版の「エリザベート」のDVDは、繰り返し観ている。 総合的には東宝版の方がクオリティーが高いということは、心づもりした上で行った。 東宝はオケを含めて出演者全員の表現力がしっかりしていて安定感があるけど、 宝塚は出演者の力にバラつきがあり、上手な人がいる一方で心配な人もいる。 (ゾフィー役の人が上手だったので専科の人かと思っていたら、組長だった。) 演出はどちらも小池修一郎だけど、東宝版は「エリザベート」という作品自体を優先するのに対して、宝塚版はトップスターや劇団生を優先させるので、作品の本質がわかりにくくなるというか、別物になってしまった…

  • 初心者が、宝塚のさよなら公演千秋楽に行ってみた(当然ライブビューイング)

    今日は彼女といっしょに、宝塚のライブビューイングに行ってきた。 演目は、「エリザベート」 2人とも宝塚は少し観たことがある程度で、知っているトップスターはかなり昔の人ばかりなのに、なぜ観に行くことになったかというと、 きっかけは、「BADDY」!! まず私が「BADDY」というすごい作品が放送されると小耳にはさんで観てみたらハマって、「毎日がBADDY!BADDY!って感じだから観てみて!」とすすめたら、彼女もハマってしまった。 2人で毎日BADDY!BADDY!言ってる(笑) 2人で「BADDY」を観た日がちょうどライブビューイングの一般発売の日で、幸いまだチケットがあったので購入してみたら…

  • 「世間」は疲れる。

    見ず知らずの人と身内の間に、「世間」はある。 今日、母親に連れられて、実家の近所の小さなギャラリーへ行った。 歩いて5分くらいなのに、私はそんなところにギャラリーがあることを知らなかった。 実家に滅多に行かないから知らないのではなく、週4日実家へ行っているにも関わらず。 母はギャラリーのオーナー夫妻と馴染みらしく、親しげに話していた。 母の友達もいて、その娘さんもいたのだが、中学以来ぶりに会う私の同級生でもあった。 特に仲が良かったわけでもなく、25年ぶりに会うのだから、初対面のようなものだ。 私が、「どこかで会っても気づかないね!」と言うと、 「のいちゃん、全然変わってない。すぐにわかるよ!…

  • 「私」は、ただ「反応」しているだけ。

    やる気を出したい、ポジティブになりたい、楽しくなりたい、 そんなときには、「気持ち」をなんとかしようとアレコレ考えるのではなく、 「周囲」を変えることにエネルギーを使った方が上手くいく。 「周囲」の中には、自分の身体も含まれる。 お風呂に入ってさっぱりするとか。 井上陽水の名言↓ 温泉ってすごいですよね。悩みのある人で、温泉に2回ぐらい入って、まだ悩んでる人がいたら見てみたいなあって。3回目でまだ深刻な顔してる人を見たことないですねえ (斎藤孝『軽くて深い井上陽水の言葉』角川学芸出版、2010年、118頁より引用) 私、井上陽水の話を聞くのが大好きで、特にタモリと話しているときが好きで、 私に…

  • 今日は、雨宮まみの命日

    ちょうど2年前、2016年11月15日、 雨宮まみが亡くなった。 40歳だった。 知ったときにはまず驚いて、少し泣いて、 少し泣いたことに驚いて、 しかし、その後どんどん悲しくなっていき、 結局、1日3回くらい号泣する日が数日続いた。 パートナーは完全に引いていた(笑) 私が、「能町みね子は、1日15回くらい泣いてるって!」と弁解したけど、 友達でも何でもない私がそんなに泣くのはおかしい、と言われた。 確かによくよく考えてみると、その通りなわけで。 なぜこんなにも悲しいのかと考えた。 私はそのとき37歳で、 雨宮まみの著作を読んだり、連載コラムを楽しみにしていたけど、 全ての著作を読んでいたわ…

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春總 のい子さん
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