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「記紀」の編纂にあたって、安万呂はまず何をしたのでしょうか。幸いなことに、彼はその手掛かりを後世のために残しております。序文には、彼が『古事記』を撰録するとき、稗田阿礼をその道案内としたと書いております。その稗田阿礼が手がかりなのです。 稗田阿礼については性別やその他様々の見解があるようですが、一致していることは阿礼が猿女の君の一族で大和の稗田にいたのではないかとする説です。猿女の君の先祖は、天の岩戸で有名な天の宇受売の命です。彼女は天孫の降臨の際、先頭に立って道案内をしています。 つまり、安万呂時代の過去と今との道案内をしたのが稗田阿礼、神代時代の高天原と地上との道案内をしたのが天の宇受売の…
周知のように、倭人伝は魏志の東夷伝の中では意外とも言えるほど字数の多い記事内容となっています。このことは陳寿が倭を特別視していることの表れと見えます。従って、前回で述べたような陳寿の意図があるとしたとしても、強ち見当外れとはならないはずです。しかし、それはそれとして、後漢に朝貢した倭の二つの国が同じであるということを別の観点からもう少しだけ補足をしておきましょう。 その前に、例えば野生動物の場合ですが、彼らは、早く大きく、早く強くなったものが生き残る確率が高く、しかも長い間優位性を保つことが出来るといわれています。そしてこれは、人の世界、特に古代においては人にも国家にも当てはまることだと思いま…
さてお気付きのように、図.47bでは定説に違えて法隆寺の瓦を一番最初に掲げました。それは、もし法隆寺が川原寺の後に出来た寺ならば、おそらく法隆寺式の瓦と言うよりも斑鳩文化圏そのものが存在しなかったと思われるからです。なぜなら、川原寺に続く薬師寺、藤原宮、紀寺、大官大寺、そして平城宮は全て川原寺式の蓮弁文様を持つ瓦が使われているからです。つまり、川原寺式にはそれほどの強い力があるのです。また、このことは、川原寺式以前とはいえ法隆寺式が広がったのは、法隆寺式にも強い力があったということを同時に教えてもいるのです。 そもそも法隆寺は官寺です。しかも大和を遠く離れた奈良の時代、法隆寺はなおもその伽藍の…
私が生まれた時代、飛鳥に都があった時代ですが、その当時関と言えば、不破関(美濃)、鈴鹿関(伊勢)、愛発関(越前)の三つを指しました。それがテレビの当世風時代劇の見すぎなのでしょうか、いつのまにか、関と言えば先ず箱根の関所を思い浮かべるようになってしまいました。 それにつけても、箱根の関所の代官、時代劇では悪い奴が多いようでございます。 ✎..................................................................................................................................…
勝てば官軍、負ければ賊軍。この言葉ほど明治維新と直結した言葉はない。言葉の意味は、たとえ道理に合わなくとも、戦いに勝った者は正義となり、負けた者は不義になるということ。そして、明治維新で薩長土肥軍に負けた幕府軍が噛み締めた言葉でもある。 ✎......................................................................................................................................... あれは二十代そこそこ、そう今から50年近くも前1970年頃のことです。私は会津生まれ…
最近、健康食品メーカーの大幅値下げの宣伝が目につきます。思うに、これは少子高齢化によるものかもしれません。おそらく健康食品利用者数が最大限に達し、減少に転じ始めたことによるものと見えます。 日本は既に高齢化社会に入っていると言われていますから、ここ迄は健康食品利用者数が右肩上がりであったことは確かでしょう。しかし、これからは同じ高齢者といっても後期高齢者と呼ばれている人の割合が増えてきます。この後期高齢者と呼ばれる人達は健康食品よりも病院の処方箋による薬を利用する機会の方が多くなってきます。つまり、少子高齢化社会では、新たに健康食品を利用する人より後期高齢者となって健康食品を止めていく人の方が…
政府の提唱するIR法案が成立し、葛城村でもこれの誘致に向けてなにやら騒いでいるようです。とりあえずはチンプイ放送でも聞いてみますか。 ☊.......................................................................................................................................☊ 「村議会が、統合型リゾート施設JAの誘致に向けてなにやら画策しているようですが」 「今回のこうした動き、ご隠居さんにはどう映りますか」 --☏-- 「そうじゃのう、良いか悪いかは別として、葛…
世間は私のことを修験道の祖などと誤解しておられるようですが、私は先祖代々公共土木を担当するしがない役人の一人に過ぎないのでございます。ただ、その当時一世を風靡していたフジワラノミクスに異を唱えただけなのでございます。 今もって脳裏に焼きついてございますが、それは大変な工事でございました。何せ、赤駒の腹ばう田居を都にするのでございます、多くの役民が犠牲となりました。思い出すのもつろうございますが、私はその役民を監督する立場にあったのでございます。 ✎..........................................................................…
遠い昔、沖縄は西表の島をさまよったことがあります。下に載せるのはその時の事を思い出しながら書いた記事です。その記事を書いてから既に3年。西表からだと40年以上が経過しています。時の流れというものは、本当に早いものです。 「時が解決してくれる」 昔何度も聞かされた言葉です。しかし、解決できないものがあります。益々複雑になって行くものがあります。古い話でございますが、暇ならどうぞお読みください。誠惶誠恐、頓首頓首。 ✎...........................................................................................…
金あっての現代社会、一攫千金を夢見ても子ネズミの身であってはネギをしょった鴨にされるのがこの世の定め。金は貧しきから富める者に流れ、権利は弱者より強者に託される。資本主義と呼び、民主主義と言うが、貧者や弱者から離れた金や権利が再び彼らの元に還ってくる時は、インフレ・増税・福祉切捨て、見る影もないほどやせこけた姿をしています。 ✎.......................................................................................................................................…
『古事記』には15個(①~⑮)の崩年干支があります。下表.3aがそれです。 - 表.3a『古事記』記載の崩年干支 - ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ 推古 崇峻 用明 敏達 安閑 継体 雄略 允恭 反正 履中 仁徳 応神 仲哀 成務 崇神 戊子 壬子 丁未 甲辰 乙卯 丁未 己巳 甲午 丁丑 壬申 丁卯 甲午 壬戌 乙卯 戊寅 これを1501年(19年×79章)の干支年表に貼り付けてみましょう。おそらく、誰もが推古天皇の崩年干支、戊子年から始めると思います。この戊子年は『記』・『紀』共に一致する最初の干支で、それは628年に当たります。あとは順次遡って崇神天皇崩年干…
「捨てる神あれば 拾う神あり」と申しますか、亡国の民陳寿にとって晋は正に拾う神そのものだったようです。陳寿にとって『三国志』あるいは『魏志』を書き上げることが晋への恩返しだったのかも知れません。 『魏志』は30巻。「魏志倭人伝」はその30巻中の最後の巻の最後にあります。この次に来る歴史書はいわゆる「晋書」です。言ってみれば「魏志倭人伝」は、『魏志』より「晋書」へとその誉れを引き渡す栄えある役目の書であると。 漢委奴國から邪馬壹國 前章までの段階で、奴國を伊都國に取り込み、奴國の戸数2万戸の消化が可能となり、また漢委奴國も伊都国の前身として取り込むことが可能となっています。つまり、3章の仮説図の…
『日本書紀』は、法隆寺の前身とされる若草伽藍の焼亡を670年と記しています。もしそれが事実だとすれば、斑鳩文化圏が成立したのは壬申の乱以降ということになります。また、『日本書紀』は壬申の乱の翌年から高市大寺の造営が始まったとも記しています。そうすると、斑鳩に高市とは異なる斑鳩文化圏と呼び得るものがある以上、おそらくは高市にも高市文化圏と呼びうるものがこの時期には成立している、ということになるのではないだろうか。 それにしても、決して広いとは言えない奈良の盆地のたとえ西のはずれと東南の隅という互いに離れた立場にあったとしても、共に太子道で結ばれている斑鳩と高市、果して特徴の異なる文化をそれぞれが…
大官大寺の出発点を示しているかもしれない吉備池廃寺という道標からは随分と離れてしまいました。しかし、吉備池廃寺からの降り道がはっきりとしない以上、この道標からは離れ、藤原京大官大寺から遡るのが順当ということになります。それに、今のところと言うより、おそらくこれからも吉備池廃寺を大官大寺の最初とする見方は変わらないものと思います。 そうしますと、藤原京大官大寺から吉備池廃寺へどのような流れが模索できるかということになるのですが、前回、川原寺を高市大寺に、法隆寺を天武紀大官大寺に想定しています。つまり、時間の流れは逆になりますが、大官大寺⇒川原寺⇒法隆寺⇒吉備池廃寺という流れが可能かどうかを模索す…
このコーナーは本来記事カテゴリーとしては「古代雑記」の役君小角の一言コーナーというものでした。しかし、現ブログからこうした記事は全て「平成雑言」に取り込むこととしました。従って、内容は「古代雑記・安万呂の設計図」と併せ読まないと分かりづらいと思いますので少し説明をつけておきます。また、「古代雑記・安万呂の設計図」もいずれ掲載することとなりますので、興味のある方はお読みください。 これは私論ですが、私は天皇即位、正確には即位の礼つまり即位の令というのは飛鳥浄御原令の施行以後のことではないかと思っています。浄御原令の施行は持統天皇即位の前年ですから、天武以前の天皇というのは正式に即位した天皇ではな…
叩いた者は叩いたことを忘れるが、叩かれた者は叩かれたことを忘れない。というのが世の常でございます。 これも古い話ですが、確か数年以上も前の葛城村チンプイ放送での御隠居と葛城山彦との会話だったと思います。 ☊.......................................................................................................................................☊ 「従軍慰安婦はなかった。南京虐殺はなかった。近頃またぞろこのようなニュースが耳に入ってまいりますが、御隠居さんにはどのよ…
強者が弱者を追いつめて悪事に走らせる。これを悪の論理と言います。無論私の勝手な雑言ですが、暇のある方はお読みください。 ✎......................................................................................................................................... 悪の論理は社会の至る所で実践されています。また、この論理は狭義には狩猟をする動物全てが持っているもので、おそらく人類はこの論理を長い狩猟時代の間に学んだものと思われます。 人も動物もそうですが、彼らが単…
最近、邪馬台国に関しての新しい知見が得られなくなりました。それは、古代史ブームが去ったということにもよるのでしょうが、もしかしたら新たな発掘の成果待ちという歴史家の消極的な研究態度によるものも又あるのではないかと思ったりもします。 ところで、これは初回でも述べたことですが、いわゆる邪馬台国は「魏志倭人伝」の中にのみ存在する国家です。したがって、もしこの国家に謎があるのだとすれば、その謎は当然「魏志倭人伝」の中に於いてこそ解かなければならないという事になるのでしょうが、あるいは、もしかしたら「魏志倭人伝」の中に於いてのみ解ける謎であるのかもしれません。 戸数が示す邪馬台国の構図 前章では、伊都國…
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これは歴史ブログの合間に入れるべく書いたものですが、投稿の折りもなく今日に到ってしまいました。歴史ブログは斑鳩東方朔が担当ですので、東方朔のボヤキをうけての六無斎の更なるボヤキということになります。 内容は陰陽五行思想の拡大解釈を行っていますので少し説明をしておきます。暇な方はお読みください。 五行では西は「金行」で、西に行くことを「金行」を行うと言います。「金行」を行うと五行相生の「金生水」が成立します。そうすると水は陰性で女性を表わし、金は宝をも表わしますからこれを綺麗な嫁さんというふうに読み解きます。 また、南は「火行」でこれを行うと「火生土」が成立します。土は国土を意味し、火は麗をも意…
大官大寺の出発点を示しているかもしれない吉備池廃寺という道標からは随分と離れてしまいました。しかし、吉備池廃寺からの降り道がはっきりとしない以上、この道標からは離れ、藤原京大官大寺から遡るのが順当ということになります。それに、今のところと言うより、おそらくこれからも吉備池廃寺を大官大寺の最初とする見方は変わらないものと思います。 そうしますと、藤原京大官大寺から吉備池廃寺へどのような流れが模索できるかということになるのですが、前回、川原寺を高市大寺に、法隆寺を天武紀大官大寺に想定しています。つまり、時間の流れは逆になりますが、大官大寺⇒川原寺⇒法隆寺⇒吉備池廃寺という流れが可能かどうかを模索す…
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