戊辰・会津戦争32 白虎隊の自刃1
白虎隊の自刃1会津古城研究会長石田明夫1868年8月23日、会津藩白虎隊の篠田小隊は、飯沼貞吉が書いた『顛末記』によると、戸ノ口原で西軍に敗北したあと、北側に後退し、前日夕方までいた新選組と交代した菰土山の陣地跡に寄りますが、戦死者のみで誰もおらず、さらに、上強清水の集落に行くと、会津藩の戦死者が多数横たわっていたという。そして、強清水から食糧基地だった会津若松市湊町赤井の小坂を目指したのです。白河街道の赤井の一里塚を通り、食糧基地の小坂に行ったものの、誰もおらず、食糧もなかったのです。そのため、城に戻ろうと広場のある小坂地区南の地蔵前にあった芝の広場で休んでのです。時間は8時から9時頃。そこで、16人であることを確認しました。そして、地蔵の前にあった石の窪みに誰かが持っていたおにぎりを置き、水を加えて皆で食べ...戊辰・会津戦争32白虎隊の自刃1
2019/02/24 04:15