2024年4月11日大安の日に、私の著書、三冊目の本、「続・英語が出来ないおばさん海外移住アドベンチャー」が出版されました。(Amazon本で検索してください。オンライン販売のみです。)予約販売から待っていてくれた、レアな濃いある読者の方から、発送され日曜日に
英語が全くできないアラフィフのおばさんが、海外に移住することが出来るのか。
英語が全くできないのに、息子が海外の学校に合格したため、一緒に暮らすのに、それまでの生活から、海外に暮らすことにしたが、どうやって住居を決めたり、生活ができるようになったか。 そして1年の海外生活を終え戻ってきてからの日々の生活。
最近髪の毛が薄くなり、かつらでも被るしかないか?とふと考えだしていた。アラフィフにもなると、若かったころの様な毛髪にこしがなく、ぺったりしてくる。周りを見回すと意外にかつらをかぶっている人が多くいる。例えば電車に乗ってよく見ていると、一つの車両に一人くら
昔は勉強が好きな人の気が知れませんでした。たぶんそれは自分の意志というより、学校からやらされていて嫌々やっていたからでしょう。子供はある程度その方法しか仕方がないですが、中高年にもなるとやらされる必要はありません。やりたければやればいいのです。別にやめて
ここの所かなり勉強していました。大学のレポートをできる限り完成して提出していたのです。卒業できそうになく、せっかく受かったテストすらレポート出し忘れて最初からやり直しとなり前に書いた記事の通り、心は折れかかっていました。しかし通信の勉強会にZoomでなるべく
昨日の仕事上のセミナーで重要なことを知ったので、この気ままなブログをのぞきに来てくださるあなたに教えてあげましょう。そして私もこの先も忘れないようにこのブログに残しておきます。人間は全員死ぬのは平等に起こる事実であり、死なない人間はいません。それがいつ来
ブログをたまに除きに来てくださっていた皆様ずっとすっ飛ばしにして、大変失礼いたしました。相変らず、仕事と家庭としぶとくあきらめずに勉強しています。通信の大学を卒業できる見込みは非常にほど遠い状況ですが、元気に頑張っております。そして人生初めてアバター作っ
ちょっとこちらのブログの更新をすっかり忘れていた。というのも、仕事もこれまでとは違う形にシフトしていた。コロナ禍が数年続き、オンライン化が進み、仕事の形態も変わってきた。周りにいた多くの中小企業が閉鎖した。ある日突然、空き店舗になっているのには衝撃的に驚
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2024年4月11日大安の日に、私の著書、三冊目の本、「続・英語が出来ないおばさん海外移住アドベンチャー」が出版されました。(Amazon本で検索してください。オンライン販売のみです。)予約販売から待っていてくれた、レアな濃いある読者の方から、発送され日曜日に
ここのところまたとんでもないことが起きていた。本当に想像すらしていなかったのだが、人生は意外にも想像を絶することは起きるものである。そんなわけで現実が忙しすぎたため、本の出版のことも忘れていたが、やっと確認してみたら、無事に3月末日出版予定まで進んでいた
「続・英語が出来ないおばさん海外移住アドベンチャー」の出版日ですが、2024年2月末出版には間に合いません。興味無しかもしれませんが、超レア人間の私のブログの、本の読者様にお知らせです。申し訳ありません。表紙に修正箇所があり、出版社より戻ってきてしまうた
フィジー旅行から帰って来ました。六年ぶりに行ったフィジーは、次々と相変らず色々なことがおこり、良い事悪い事全て含めて、素晴らしい体験の連続の日々でした。これまでに色々な旅行に行っていますが、こんなにありとあらゆる経験豊富な旅は無かったと思います。これこそ
夢のフィジーがとうとう明日となった。フィジーに行く旅行のため、日本の家と会社の業務、その期間の空白になる分をやり切っておこうと、ここのところとんでもなく忙しかった。まだ今日もその続きをやらなければ。あすまでかかってしまいそうで、こんなにギリギリまで仕事に
早朝から出勤し、急ぎで仕事をやり、その後、素晴らしい人たちばかり集まっている会合に行ってきた。食事会もそのあとあったが、そこもちょっといつもよりお高いお食事であったが、夜景の綺麗な場所だった。そこで出会った人がみんな社交的で温和で柔らかい人当たりなのに、
女性の社会での働き場は相当良い環境に進んできていると思っていた。表面上はそう見える。しかしそうではないのかも?と思うことがあった。その人は非常に綺麗な人で独身である。もうすぐ40歳過ぎくらいかもしれない。そのくらいまで独身で会社に勤めていると、あらゆる魔の
戦後日本人はガムシャラに働き、高度成長を遂げ、バブル期がきてはじけ、その後頑張るもリーマンショックで落ち込み、そこから30年近く物価も上がらず、給料も上がらない状態だった。給料は上がらなくても物価も上がってなかったのでやってこれたが、最近他国の戦争等で貿易
そうはいっても息子が一刻を惜しんで、充実させて生きている姿を垣間見れたのは、本当に幸せなことである。私の子育ては成功している。本当に頼もしい理想の息子に育った。オーストラリアで会えないのは残念極まりないが、しかし今はZoomという優れたものがあり、すぐに顔を
私がニヤニヤしていたのには、フィジーに行くことともう一つ理由があった。長男が今ワーキングホリデーでオーストラリアにいるのだが、一緒に車を買った友人は日本に帰国することにしたようだ。ファームの仕事は思った以上にきつく、日本で生まれ育った青年には厳しすぎるだ
最近どんなに疲れていても早く起きてしまいそのまま昼寝とかもしない。そんなに眠れないのである。しかしここのところ出張が頻繁でさすがに疲れていたようだ。自分でそれほど自覚していないのだが、いつものように休日だろうと関係なく早朝おきて、色々用事をやり朝食を食べ
物語はまたにして、また素晴らしい時間だったので、書き留めておこう。仕事の管理物件で大きな古い庄屋さんの家だった、古民家があるのだが、そこで飲食店を始めたいと言い出す人が現れた。その話は三か月ほど前に聞いていたのだが、その詳細プレゼンの日だった。他に大家さ
私はあることを長い間研究している。人間の健康寿命についてである。長く生きることはできるが、健康寿命となるとまだ未解決分野である。健康寿命だけではない。自分も周りもみんなが幸せになる人生の過ごし方を追求している。そのためには、最後まで人を悲しませず、しかも
今日から大掃除をやろうと決意したのに、もうできなかった。三日坊主にもならない。まずはとにかく行動と思って、タンスを開けて見たが、もしかしたら着る場合もあるから捨てるというわけにはいかないと考えだしたら、捨てるものが無かった。タオルも捨てたほうがよさそうな
連休の一日は、主人の実家の庭に主人と次男と一緒に、庭の草刈りに行った。前は一年に一度お手伝い程度に行ってたが、空き家になった今では年に3回やらないとジャングルになる。私の実家の家にある草刈り機を持っていく。私の実家の庭の草刈りもある。あっちもこっちも、や
連休である。出張も続いていたし疲れたので、ダラダラしようと思ったが、寝ていられない。お昼まで寝るとか、若いころは出来たが、そんなに寝ていられない体質になってしまった。どうせすごい人ごみだし家の中で、データがいっぱいになったスマホの写真の整理をしようと思っ
私の出張先の仕事は結構ハードなのだ。小さい会社はできることは自分で何でもやらないと続かない。贅沢三昧リッチな社長を気取ってはいられないのだ。そういう美しいエレガント社長ってテレビでみかけるが、そんな社長は今はちやほやされているが、本当に会社がいつまでもも
前にツタの絡まるカフェのことを書いただろうか。初めて見つけた一回目は人が多過ぎていて、入れないと断られ、二回目は1席空いてたので食事してまた三回目に入店した。ちょうど一人お客さんが帰るところで、その人が店から出たら私とオーナーと二人きりだった。と思ったら
私の若いころには考えられない事だったと思う。若いころ、20代の頃と言えば30年くらい前なのか。30年前ってすごい前である。知らない間にこんなに月日が経ったのだろう。そのころは山梨県も栃木県も日帰りの場所ではなかった。一泊していくようなちょっとした旅行先だ
いつもSNSを続けるべきか?と考えつつも細々とやめずに色々続けている。前にフィジーに住んだ時に繋がった外国の友人たちがいる。12月に6年ぶり?7年ぶりなのか?フィジーに行く。そんなに会っていなかったらもう忘れてしまうのが普通だろう。しかも外国人で外国に住んでい
前の記事の続き他にもいろいろな場所はあるのに、なぜかうちにこだわる人だった。しかしこの時完全に賃貸借契約終了し、既にカルチャースクールは辞めることになっていた。20年近くやってきたものをやめる決心をして、次のステージへの準備完了した途端に、この人がやって
また新しい人との出会いがあった。私は不動産業とカルチャースクール事業をやってきたのだが、カルチャーの時代は終わったと考え、辞めようと思ったのだ。20年近くもやってきたことをやめる決断と言うのは非常に難しいものである。本業の不動産業の方で食べていけるから、
多様性を受け入れるということは、性別云々とかの大きなことよりも,もっと身近に小さな価値観の違いにより、問題衝突はよくあることである。何を大切にしているかというところで、それぞれの生活の動きが違う。それなのに、いまだに自分と違うことをしている人は、ダメだとい
私はある意味ずっと都会育ちなのだが、運よく幼いころは私の家の周りには豊かな自然で囲まれていた。今は無くなった川があり、田んぼがあり、山があった。今では川は道路になり、田んぼには家やマンションが建ち、山も切り崩され住宅地になった。しかし本当に運よく、幼いと
冒険すること、旅行に行くこと、勉強することは、同じなのだと思った。知らなかったことを知りたいのである。知りたいから行動したのだ。そしてたくさんのことを体験する。それが生きているということだったのだ。出来なかったことや、知らないことを何らかの方法で出来るよ
週末二日連続、大学の試験日であった。試験日なのに大した緊張感もなく、やれるだけやればいいという状況で望んでいた。若いころのような気合が入らない。入れたいのだが、眠気に勝てない。というわけでそんな感じで臨んだ割に、上っ面しか勉強していない割に、なぜか人生教
昨日3月31日は主人の永年勤続の退職日であった。私はこの日にあったマンションの退去立会日を、プライベートで申し訳ないが断り、無理を言って日程変更してもらい、この日は午前中だけ仕事して家に帰った。自宅での食事作りや室内のデコレーションの為である。主人は永年勤続
ここのところずっと仕事で山梨に泊まりでいた。3月は退去する人と、引っ越してくる人で、別れと出会いの時である。大学のそばのワンルームの退去立会もいくつもあった。大学を無事に卒業し、就職でまたは実家に戻る等、それぞれの旅立ちである。部屋をあとにするとき、懐か
私の母は、非常にアクティブで若いころは色々しでかす人であった。しかし80歳を超えてから、かなりおとなしくなったというか、普通の人になった。とはいえ、最近ある体操教室の先生の資格を取ったらしい。(私の妹と一緒に)妹が母の近くに暮らしている。そのため妹は色々
最近街中でも、高齢者の人を目にすることは非常に多くなってきている。そんな中、またいぶし銀な81歳のダンディな人格者に出会った。というか、私はある団体の役員をしているのだが、そこの相談役たちがすごかった。相談役、顧問、等の肩書を持つ方達へ、今期の活動報告だ
高円寺という町は古きお店がたくさん残っている。その町のはずれに「ネルケン」というお店がある。看板には名曲ネルケンと書いてある。うっそうと緑が生い茂り、お店の中が見えないので入るには敷居が高い。しかしドアを開けると、いきなり世界観がすごいのである。その中だ
ある店主が話していた。こちらのお店は夫婦二人で切り盛りしてきた飲食店だ。永年地元の常連さんが通う飲食店何歳までこのお店をやっていようかと話していたらしいが、コロナ禍でお客さんが激減し、ほぼ閉店と同じ状態になった。その間、何をしていたかというと、奥さんの方
最近外を歩くといろんな知人に会うようになってきた。普通の暮らしが戻ってきている証拠だろう。私の年齢だと、親の介護中か、もう終わったかと言う感じである。高齢者が多くなり、一人暮らしの老人、自宅で介護される老人、老人ホームに入居する(される)高齢者といろいろ
昨日も事務所で急ぎの賃貸借契約書を作成していた。今は大学生が卒業するのと、入学するのでワンルームの出入りと、原状回復工事の手配で忙しい。雨が降っていたのだが、バイクでびしょ濡れのレインコートを着た人が突然会社に入ってきた。ヘルメットを外すとその人は、地域
何事もそうだと思うが、自主的で積極性があるということは、非常に重要だと感じる。とかく人任せ、人に支持されたことをやる、例えばどこかの会社に所属していれば、そこの会社が決めたことをやり、指示がくるまで、待っている。何かいいチャンスが向こうから来ないか待って
本「今を生きる練習」というベストセラー本を読んだ。自分の人生が間違った方向にいっていないか?人生最後の日だったら、今やっていることをやるか?日々幸せを感じているか?この生き方に満足していると自信をもって言える人はそのまま続行すればいい。忙しさに紛れて何が
昔から会社に飛び込み営業マンはきたが、これまではいい記憶がない。長い話を聞いた後、結局自社の商品の売り込みだからである。だからほとんどずっと門前払いにしていた。しかし最近やってくる営業マンは会社のホームページを読んでから、必要と思う部分が合致しているとい
通信の大学の勉強は相変らず、隙間時間にやっているが、先日、慶友会でいった鎌倉七福神めぐりの時にあった人に、大学の図書館で声をかけられた。この人は大学の図書館を使えることを知らず、学生証があれば入室できる事を教えてあげたのだが、はじめてきたらしい。その人は
これからの日本は老人がどんどん増える。今日の平日の昼間、郵便局で見た光景。私も決して若くないが、周りには私よりも10歳以上年取った人しかいなかった。そして一つの窓口ではおばあさんがずっと話している。窓口の人も何度も同じ話をしているようで困惑していた。もう一
幸せと感じる価値観は人ぞれぞれ違う。それなのに人と比べてどうこう言う人がいる。人が思うほどその人は幸せではないかもしれないし、不幸せでもないかもしれないのである。他人がごちゃごちゃこれをやったからこうなったとか、分析したりする人がいるが、だいたいはお門違