伊東静雄ノート4
いかなれば今歳の盛夏のかがらきもうちにありて、なほきみが魂にこぞの夏の日のひかりのみあざやかなる。夏をうたはんとては殊更に晩夏の朝かげとゆふべの木末をえらぶかの蜩の哀音を、いかなればかくもきみが歌はひびかする。いかなれば葉広き夏の蔓草のはなを愛して會てそをきみの蒔かざる。會て飾らざる水中花と養はざる金魚をきみの愛するはいかに。(「いかなれば」全行)「いかなれば」という詩にも仮定の以外の負性のようなものを感じられるだろうか。そしてそれは日本の近代詩が負性のようにかかえている,言い換えれば詩人を取り巻く宿命のようなものの側面を時代的にとらえているものではないかと思えてしかたがない。いま伊東のやってくるまでの詩人に思いをいたしてみよう。伊東以前の詩人自らがその思想を詩のなかで表現というよりも、そこには時代的な大きな壁...伊東静雄ノート4
2019/01/31 22:20