2021年6月
心を打ち砕かれている真っ只中にあるとき、 順調に進めていけるだろうという予想が裏切られて 立ち行かない現状を目の前にして どうしようもない絶望感に包まれているとき、 自分で自分を責めてしまうものです。 どうしてこっちを選んでしまったのだろう。 あっちを選択していたら、こうならずに済んだのに。 こんなことになってしまったのは自分のせいだ。 自分の判断ミスのせいでこのような事態を招いてしまい 大切なひとを苦しませ悲しませてしまい申し訳ない… どうにか目の前に立ち塞がる問題を切り抜け すこしでも安らかな方向を模索して動き続けながらも、 心のなかでは鉛のような自責の念が重たさを増したままでいるのです。…
「救急車の音が聞こえたら、 親指をかくさないといけない。」 と、友だちから教えられたのは 小学生時代に集団登校をしていたのときのこと。 田舎の言い伝えなのかわからないけれど、 何か不吉なことが我が身に起きることを 防ぐために親指を隠す必要があるのだという。 みんなが知っていたその話を はじめて聞いた私はとても衝撃を受けた。 以来、なんとなくピーポーと聞こえたら ポケットのなかでぎゅっと拳をにぎりしめて 親指を隠すようになった。 高校生になり、 仏教校でなにかを感じとったのかもしれない私は なんとなく… 救急車の音に対して親指を隠すという反応をする、というのは 「ちがうな。」と思うようになった。…
ちゃんと勉強しているのに、悲しいくらい 思うような結果がでないとき。 もっと勉強したいのに、どうしたって 状況がそれを許さないとき。 それでも、なんとかしなくちゃ、 なんとかしたい、という想いは膨らみ 焦りだけが日々増していくとき。 本心は、 もどかしくて、悔しくて、辛すぎるのでしょうか。 自分の気持ちをぎゅっと閉じて 平気なふりをして淡々と日々暮らしています。 我ながら、悩みや苦しみを周りに見せずに なかなかうまくやっていると思います。 それでもやはり人間ですから、 ときどきこっそり心の窓を開けて 空気を入れ替えたくなる日もあります。 スマホは勉強とは相性が悪いと良く耳にするので、 試験勉強…
『続けていくこと』 『日々積み重ねていくこと』 簡単にできるときもあれば、 すごく難しいときもある。 そのちがいはどこからくるのか。 これまでを振り返り考えてみた。 たどり着いたのはここだった。 《自分が想いを注いでいる対象から 自分もまたエネルギーを受け取ることができている状態》 にあるか否か、である。 自分の場合、 家族の生活を支える家事や こどもを育むことは、この状態にあてはまる。 毎日、まいにち… およげたいやき君の嘆きのごとくおなじことが繰り返され、 夜中に部屋を片付けては、 ボタンを押し間違えたのか 突然始まる元気100倍アンパンマンの自己紹介に腰を抜かし、 レゴブロックによる足裏…
こども自身が必ずもつ《育つ力》を信頼して 自分の役目としては、育つ様子をそばで見守り 必要とあらば、あらよっと、 こどもの邪魔にならないように気をつけて、 ちょろちょろ水を注ぐ。 といった感じで、こどもを育んできた。 なので、あまり自分からこどもに対して 「こうするべし!」という方向で力を加える 言動をしたことがない。 もちろん。 命や健康に関わること、 自他の心に傷を与える危険があること、に関しては、 とくに幼少期、その越えてはならない線に こどもが触れぬよう徹底して伝え続けてはきたけれど、 それ以外の物事に関しては、こども自身が そのちいさな身体のなかから どんな選択や判断を生み出すのか、…
お母さんって『挫折』したことある? 塾のテキストに漢字を書き込みながら話す 小学生の娘に問われて、天井を見上げ考える。 これまで自分が歩んできた人生のなかで、 いや、しかし辛かったなぁ…くぅぅっ! と思うのは、 すべてを我慢して勉強一筋でやってきたのに、ずっと目指してきた京大には行けなくて 別の大学に進学してからの3年間と、 法律とは一切関わらない人生をこれからは生きていこうと決めて、 結婚してからの5年間、だ。 よくよく考えると、私の場合 『挫折』というのは 瞬間ではなく状態をあらわすもののようだ。 あなたは京大生になれませんよ、ざんねん! を受け入れた時点、 わたしゃ法曹にはなりませんよ、…
2021年6月
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