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2016/12/21

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  • 適応障害になった話(12)

    長くなりましたが、私が適応障害になった話でした。ずっと書こう書こうと思っていたのですが、涙が溢れて書けませんでした。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 「どうしてこれまでできていたのにダメなんだろう?」 「どうして私だけ適応障害になったんだろう?」「普通の人間になりたい」いろんな気持ちが巡り巡っていました。「こんな状態のまま生きてても楽しくないな」 「生きるの辛いな」そう思っていました。やっと、やっと書けました。書き終えることができました。私が伝えたいことはただ一つで「生きるのをやめないで欲しい」ということです。「生きるのは難…

  • 適応障害になった話(11)

    面談した内容を録音しておくのもおすすめです。 アドバイザーの方が私の話を聞いて再度口にしてくださる言葉が好みなことが多かったので、聞き直してメモし、転職活動時に活かしました。 (転職活動については別の記事書きましょうかね…) (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 最初の数週間はどれだけ出しても書類落ち。時期としては6月の中頃、だいたい今くらいですね。新卒の時も書類は比較的通っていたので、「こんなに落ちるのか!」と思いました。転職活動は本当に運の要素が強いです。今年のように新型コロナウイルスの影響で採用がなくならない限り、基本的には…

  • 適応障害になった話(10)

    インターネットで職業訓練について調べると、あまりいい情報は出てきませんでした。「どんなに周りの人が堕落的でも、私は引っ張られないようにしよう」と強く心に決めました。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 教室に向かうと定員の1/3程の人数しかいませんでした。同じ地域にもう一つ学校があったのでそこと分かれたのではないかと思います。講座によるのですが、私の場合は朝の9時頃から16時頃までの受講でした。昼休みもあります。クラスの人と仲良くなる気はなかったのですが、自己紹介をしてみると皆さんとてもまともというか、インターネットで出てきた情…

  • 適応障害になった話(9)

    定期の払戻しや、ハローワークで退職の申請を行い、この頃にブログで収入が得られるようにアドセンスのシステムも整えました。マイナビ転職や、リクナビ転職、インディードや、第二新卒向けのサイトに登録し面談を行なっていきました。(また感想は別記事で書くかもしれません) (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 改めて、仕事が自分にとってかなりのストレスだったと気付きました。国民保険料や年金、住民税などの支払いは予想以上に負担でしたが、少し蓄えがあったのでそれで補いました。それでも収入がないということは、なかなかの不安材料でした。インターネットで…

  • 適応障害になった話(8)

    低費用で確実な退職代行【退職代行ガーディアン】 「もうどうしようもない!」という方は上記のような退職代行にお願いするのもいいかも。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 退職届を上司に渡した後も勤務は続きました。 上司からさらに上の部長に話が行く形だったと思います。上司の反応を見て、引き止められることはないなと思ったので仲のいい同期にだけ話はしておきました。少し経って、部長と話す時間をもらったので、改めて退職の意思を伝えました。まだ新しい部署に来て担当も持っていなかったので、その日付で辞めることになりました。改めて社内用の退職届に…

  • 適応障害になった話(7)

    適応障害になる前から、好きなことを楽しめなくなっていました。だんだんと、自分から関われなくなっていっていたのです。自分から調べないので情報を知るのも遅くなっていました。少しづつ元気になっていく中で、調べる余裕も出てきて、久しぶりに趣味の時間を作ることができました。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); そこで気付くことがありました。いつもなら趣味の時間が終わった後、 「また頑張ろう」と思えていたのに、その時は思えなかった。 「終わって欲しくない」 「仕事に行きたくない」 「仕事に行くのが怖い」 恐怖で頭がいっぱいになっていました。…

  • 適応障害になった話(6)

    「とりあえず電車に乗ってしまおう」「しんどくなったら早退しよう」そう言って毎日乗り越えていました。勤務としては前回の部署とだいぶ変わり、庶務のようなことをしていました。変わらず毎日は苦痛でしたが、定時上がりだったのでなんとか定時まで乗り切るつもりで過ごしました。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); だんだん慣れてきて業務のルーティンも分かってきました。電話対応もできるようになりました。そんな日々を過ごす中で1人の方が別の部署に移ることになりました。自分が業務に慣れたこととその方が移動になったことで人間関係の問題が生まれました。ど…

  • 適応障害になった話(5)

    復職するにあたり、部署移動がありました。私も同じ場所での復職は無理だろうなと思っていたので、ありがたかったです。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 挨拶をしようとしても、これまでと同じように話せません。笑顔もうまく出来ませんでした。本当にぎこちなくて、「気を遣ってもらってこれか」と自分に落胆しました。復職日が決まり、1日1日復職の日が近づいていく中で症状は良くなりませんでした。でももう決めたことだし、やるしかないと思っていました。復職日、朝起きて電車に乗りました。久しぶりの勤務時間の電車です。緊張しました。涙もたくさんでました…

  • 適応障害になった話(4)

    もちろん職場の方も時間を作ってくれて、気を遣ってくれているわけですが、もうおかしくなってるので涙が止まらないんです。不安で、怖くて。面談で何を話したかは本当に覚えてなくて、ひとまず月末にまた話そうという話になりました。 それまでひとまず休職ということになりました。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 本当に生きている心地がしませんでした。お腹も空かないし、「食べた方がいいから」という理由で口に入れるだけ。ずっと家にいました。 好きだったものには触れる勇気さえも生まれませんでした。何も思わなくなるのが怖くて、触れられませんでした。…

  • 適応障害になった話(3)

    数日はちゃんと電話で連絡出来ていたのですが、それも出来なくなっていきます。職場からの電話も取れなくなっていきます。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 心療内科のカウンセリングも泣いてばかりでした。自分の小さい時の話をする時も泣いていたし、就活の話をした時も泣いていた。 仕事内容を話す時も、職場での不安を話す時も。でも一貫してたのは、同部署の人は優しかったということ。虐められていたりはしていないということでした。 「この仕事は私にあってないと思います。」 結局はそれを伝えたかったのだと思いました。適応障害という診断が下りました。…

  • 適応障害になった話(2)

    仕事は医師事務。 病院に行った際に医師のそばにいる人をイメージしてもらうといいでしょう。 患者さんと医師の間に入る形ですね。人によっては看護師さんと思われてる方もいるかも。医療の勉強をしたことない人間が、検査の同意書を書いてもらうわけです。もちろん説明は医師がするわけですが、同意書は待合室で書いてもらうことが多いので、結果そうなります。新卒で入った時、「一気に覚えようとしなくていい」と上長から言われたのを今でも覚えています。知識のない自分が、分かったように説明するのがすごく怖かった。気まぐれな医師も多かったですし、分からないことにずっと囲まれているのが怖かったです。調べれば、勉強していけばいい…

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