半切に近代詩文書を書いた その3
綺麗なだけが「書」ではない。「書」を追及している人は、綺麗に書けて当たり前。綺麗な「書」は、個性があるとはいえない。それでは展覧会には通用しない。「書」の現代性を追求しよう。・・・等とアドバイスをいただいています。まだ数枚しか書きなぐってませんが、自分の書を確立するために、綺麗さから離れて下手に書くことがあります。(綺麗さも確立した書です)こういう「書」は、下手というのか、味があるというのか、面白いというのか、個性的というのか・・・。(今の展覧会の大先生の作品を観ると、もっと読めない書を感じ取れっていう時代でもありんす。)ある書籍の言葉を載せておきます。「文字とは、奇瑞を記し、吉兆を知り、天を動かすためのものである。個人のためにつくられたものではなく集団に与えられた恩寵だった。」古典を大切に書の勉強をしていると...半切に近代詩文書を書いたその3
2019/10/07 07:16