任那日本府の謎
学校で教わった日本史の教科書には任那日本府が562年に滅びたということが出てきた。不思議なことに、ではいつ出来たかと言うことについては何も書いてなかった。 日本書紀の仲哀記には神功皇后の三韓征伐という記事があるが、魚が船を運んで新羅中央に飛び込んだら戦わずに新羅は降参してしまい、ついでに百済や高句麗も服属するようになったといった荒唐無稽な内容だ。仲哀天皇や神功皇后の実在自体が極めて疑わしいものだ。どうも任那日本府はこの時にできたと想定されているらしいのだが、まさかこれを史実とするわけにも行かないから教科書には出てこなかったのだ。 日本書紀はこれ以降、朝鮮三国が日本に朝貢する記事が何度も出てくる。しかし、これは全くあてにならない。何しろ中国(呉)まで日本に朝貢したことになっているくらいだ。朝貢は貢物を持って行って、見返りとして称号や文化知識、多大な恩賞をもらうのが目的だから、これ..
2017/01/30 08:52