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六文銭を追いかけて ⑤
”真田の赤備え”は弟 信繁(幸村)が大坂の陣で用いて有名になったが、「いつものことくあか武者たるへく、指物はあかね」と信之の武者揃えも赤備えだった。信之の血脈は松代の地で続いて行く。信之は晩年は病気がちであり、しばしば隠居願を幕府に出していたが、その都度酒
2022/10/26 13:32
六文銭を追いかけて ④
1622年10月になった。真田信之は上田から松代へと出発する。信之は既に57歳になっていた。松代への道中、秋空を見上げながら信之は何を想ったか。上田合戦、関ヶ原の戦い、大坂夏の陣は遠い昔の出来事のようでもあり、つい昨日の出来事のような気もする。真田家の上田・沼田
2022/10/26 10:27
六文銭を追いかけて ③
上田城の駐車場に車を停めた。六文銭を追いかける旅の中で、何か新しい発見を期待したわけではない。真田幸綱(幸隆)から昌幸、信之・幸村兄弟へと続く血脈を考える上で、やはり訪問して置かなければならないと思っただけだ。1583年の築城から1874年の廃城までの290余年の内
2022/10/25 04:48
六文銭を追いかけて ②
真田家の始祖、真田幸綱(幸隆)は、海野平合戦で一度所領を失うが、信濃に侵攻した武田晴信(信玄)に仕えて旧領である真田本城(松尾城)近辺にしっかりと根を下ろす。現在の長野県小県郡真田町の辺りだ。以後、真田の庄が本貫となる。真田幸綱(幸隆) --- 真田信綱
2022/10/24 07:17
六文銭を追いかけて ①
ずっと同じ兜と鎧ではなかったと思うが、ある時の三人の鎧と兜。真田昌幸真田信之(信幸)真田信繁(幸村)
2022/10/23 07:03
松代 白鳥神社
真田信之(信幸)が松代に入部してちょうど400年が経つ。1622年(元和8年)江戸幕府により、真田信之は真田の本拠地である真田・上田・沼田から松代へ加増移封された。天下分け目の戦いの際に、父親の真田昌幸と弟の真田信繁(幸村)は豊臣方に附いたが、真田信之(信幸)は
2022/10/23 06:00
大本営象山地下壕
やっている時は必死でも、後からとんでもない無駄だったと気が付くことってある。終戦間近の9ヵ月間に突貫工事で大本営象山地下壕が造られたが、使われることはなかった。追記相当な距離を歩いたつもりだったが、僕が歩いたのは全体のほんの一部だったようだ。地下壕の総延長
2022/10/21 09:30
2022年10月 (1件〜100件)
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