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uparupapapaの徒然草 ~第2章~ https://blog.goo.ne.jp/uparupapapa

念願だった退職後の生活。 どう過ごしていくか暗中模索の日々で、 思いついた事をつらつら記していく

uparupapapaの徒然草 ~第2章~
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2015/09/29

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  • 奇妙な果実〜鉄道ヲタクの事件記録〜第7話 南満州鉄道と百合子の二度目の懐妊と島村の結婚

    今回からこの物語の名称を『奇妙な果実』という表題を加え、【奇妙な果実~鉄道ヲタクの事件記録】としました。今回は内容の一部に、残酷な説明描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。1910年の日韓併合後、日本は清国と直接国境を接する事となる。前話(第6話)で触れたが、当時日本は日露戦争で辛勝したにもかかわらず、依然ソ連ロシアの脅威に晒され続けていた。その紛争の火種となる地域はやはり中国東北部の満州。強大な国力を誇るソ連ロシアに対抗するには、満州を緩衝地帯として日本が掌中に収めておく必要があった。当時の朝鮮と満州の国境「豆満江」の中州に『間島』と呼ばれる朝鮮族の居留地があったが、その朝鮮族は間島を超え、次第に国境北部の満州地区に増殖し、清国との間に軋轢が生じた。日本は新たな日本人となった朝鮮族保護を名目に在間...奇妙な果実〜鉄道ヲタクの事件記録〜第7話南満州鉄道と百合子の二度目の懐妊と島村の結婚

  • 鉄道ヲタクの事件記録 第6話 嵐の前の幸せ

    僕が鉄道局技師になったのは人事の都合で予定から一年ほどお預けとなり、正式辞令が出たのは1929(昭和4)だった。転勤により職場環境が変わっても、職責の重さは変わらない。僕は秀彦の誕生以来、激務をこなしながら出来るだけ早く帰宅するよう習慣がついた。その前から職場内では『マイホームパパ』の印象が定着していたが、長男誕生の喜びようと云ったら、思わずニヤケてくる締まらない表情が尚一層の愛妻子煩悩亭主として名をはせていた。それにあれ以来、お手伝いさんのおアキさんは影山家に無くてはならない不動の存在となり、なし崩し的に家事全般を任せるようになった。夕食等の食事の憂いも解消している今、僕に家庭内の不安材料はない。玄関を開け、「帰った。」と云うのももどかしく、秀彦の顔を覗きに行く。「あなた、お帰りなさい。まぁまぁ、何です...鉄道ヲタクの事件記録第6話嵐の前の幸せ

  • 鉄道ヲタクの事件記録 第5話 長男誕生

    妻百合子が母ナツに連れられて高輪の実家に里帰りするのと入れ替わりに通いのお手伝いさんがやって来た。彼女はおアキさんと云って、以前藤堂家に長年仕えていた元召使い。妻の里帰りでひとりになった僕がさぞ難儀するであろうと、母ナツのたっての願いで、秀則の家の掃除、洗濯、食事の支度を任されたようだ。ベテランだけあって、高齢ではあるが手際が良い。料理のメニューは煮物が多く年寄り臭いが、バラエティーに富んでいて且つ、家庭料理の暖かさと懐かしさがあり、とても美味い。ただ僕を「旦那様」と呼ぶのはムズムズして少々こそばゆい。「おアキさん、その「旦那様」は何とかならないかなぁ~、その呼び名は若輩者の僕としてはとても相応しいとは思えないんだ。」「アラ、そうでございますか?でも私、以前奉公させていただいた藤堂家では、ご主人さまの事を...鉄道ヲタクの事件記録第5話長男誕生

  • 鉄道ヲタクの事件記録 第4話 妻の目標と日記

    妻の体調の異変に気付いたのは、島村の来訪から数日後だった。相変わらず多忙な僕が妻の日常の微妙な変化が分る筈はないが、何か言いたげなのは流石に空気で読める。だがそれ以上の意思表示をしようとしない。「あなた、行ってらっしゃい。」「ああ、言ってくる。」「お気をつけて。」この繰り返し。だが、それからまた数日後、妻の百合子は改まって「あなた、お伝えしたいことがございます。」「何ですか?」「今夜は早く帰ってこられそうですか?」(いつになく真剣な表情で突然そうこられると、身構えちゃうよ。)「ああ、約束はできないが、百合子が早く帰ってきて欲しいと云うのなら、出来るだけ早く帰ろう。」「そうしてくださると嬉しいです。」「分かった、出来るだけ早く帰ろう。それじゃ、行ってきます。」百合子の言いたい事?何だろう?随分勿体ぶって念を...鉄道ヲタクの事件記録第4話妻の目標と日記

  • 鉄道ヲタクの途中ですが

    日本人として知っておくべき、あの時代の日本人の使命を紹介します。あの時代、過ちもあった。慢心もあった。傲慢もあった。でも自分の信じる正義のために自らの生命を捧げ、統治する国のため賭けた者たちがいた。真摯に統治する民に向き合った者達がいた。それに比べて今の私たち。できない言い訳、やらない言い訳なら、いくらでもできる。それを誰も非難しない、非難できない。ただあの時インドネシア独立のため、オランダからの独立戦争にインドネシア人独立義勇兵と共に、日本兵2000人が立ち上がり、1000名が生命を落とした歴史的事実は覆せない。インドネシア独立に寄与した事実は誰も消せない。彼らの行為を非難したり、歪曲する勢力(中韓米)が如何に侮蔑しても、準国歌の存在が歴史の書き換えを阻止し、拒絶している。私は小学生の頃、学校で敗戦史観...鉄道ヲタクの途中ですが

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