過ぎ去りし昭和を詠う ①我が街にはたくさんの店があった
過ぎ去りし昭和を詠う①我が街にはたくさんの店があった映画館、銭湯、駄菓子屋、鶏舎消え虚しき言葉「地方創生」……朝日歌壇篠原俊則私の棲んでいた田舎町は、大きな川が東の端と、西の恥を流れ更に北から南に流れる自然豊かな町だった。その町の外れに私が育った町があった。小さい街だったが、県道を100㍍ほど行くと国鉄の線路があり、この踏切を超えると田んぼが一面に広がる純然たる農村地帯に入る。町の外れであり、農村地帯に入る入り口でもあった。映画館や銭湯は隣の町まで行かなければなかったが、小さな町だったが生活に必要な店は何でもあった。魚屋、米屋、乾物屋、酒屋、材木屋、篩(ふるい)屋、材木屋、自転屋、下駄屋、馬車屋、駄菓子屋、自転車屋、洋品店、床屋などが軒を並べて小さな共同体を形づくっていた。八百屋がなかったのは、隣の農村部...過ぎ去りし昭和を詠う①我が街にはたくさんの店があった
2025/03/18 06:30