公安が来た ④なぜ、私は公安の訪問を受けたのか

公安が来た ④なぜ、私は公安の訪問を受けたのか

公安が来た④なぜ、私は公安の訪問を受けたのかこれまでの話。私の住んでいる町近辺で起こった過激左派による「真岡猟銃強奪事件」は約一年後の1972年2月19日「あさま山荘事件」へと拡大し、警察官2名、民間人1名の死傷者と警察官26名、報道関係者1名の犠牲者を出し、10日目の2月28日警察の強行突入により、犯人(連合赤軍)5人は逮捕され、人質は219時間ぶりに救出された。多くの死傷者を出しながら、犯人側が無傷で10日間も抵抗できたのは、警察庁長官の指示により「無事救出」を最優先とし、犯人は全員生け捕り逮捕、火器使用は警視庁許可(犯人に向けて発砲しない)、ことがその理由の一つに挙げられている。(写真4枚当時のことが生々しくよみがえります。視聴率89.7%という数字が視聴者の関心の高さを物語っています。)公安が来た...公安が来た④なぜ、私は公安の訪問を受けたのか