2025/02/10
終活の整理には想い出に残る写真も多く処分することに苦しむ、玄制流空手時代からの弟子の1人、加藤賢司5段錬士、居合術の心得があり埼玉県躰道協会の普及活動では多大な力を発揮して頂いた。全県下では50年間、会員数は上位に位置し、祝嶺最高師範より指名された県主任師範として面目を保つことができた。城西大学、東京国際大学、防衛医科大学、東洋大学、大東文化大学の部員数も多かったが、狭山市、所沢市、志木市、初期には東村山市の道場など関東地区では一早い各市体育協会へ団体加盟として立ち上げる事が出来恵まれた環境にあった。躰道草創では武道として認めて頂くため、命を張っての「躰道剣」真剣での演武、埼玉県躰道演武会など、媒体拡充の一環として行い普及に努める。3年後となったが第1回埼玉県優勝大会を実施した、当大会には選手して出場した...2025/02/10
2025/02/10 08:41