"母さん,僕のあの帽子どうしたでせうね"---森村誠一さん死去。

"母さん,僕のあの帽子どうしたでせうね"---森村誠一さん死去。

若き日の森村さんが霧積温泉に宿泊した。その旅館の弁当包み紙に書いてあった西條八十の詩が"人間の条件"執筆の原点だという。『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、『青山学院大学文学部英米文学科に進学[6]。在学中はハイキング部に所属し、山歩きに熱中した[6]。1年留年したが、1958年に25歳で卒業[6]』とある。私は1935年生まれだが、彼は1933年生まれ。3年生の私はハイキング部の主メンバーだったので、部室か何処かで顔を合わせているはずだが、残念ながら、そういうことは一度もなかった。Wikipediaによると、大学入学以前から卒業まで、あちこちに顔を出しているので、そうだったのであろう。だが、先輩としてリスペクトしているので、森村さんと呼ばせていただきたい。原作"人間の条件"は勿論、映画館へ..."母さん,僕のあの帽子どうしたでせうね"---森村誠一さん死去。