阿頼耶識の存在論証 滅尽証(22)第五・経言無属難(8)
『述記』の釈から、「此の定(滅尽定)をも無心定と名くが故に」と、経量部の末宗の転計(末計)を破斥しましたが、ここで経量部からの反論がでます。それは、第八識の問題です。護法さんが立てられるは八識別体の論法から云えば、滅尽定でも第八識が存在するというのは有心定ではないのかということです。『述記』の釈を読んでみます。「述して曰く、初に心有りというを破する中文分かって三とす。初に名に違するを難じ、次に理に違するを難じ、後に意趣を結す。此れは即ち初なり。」本科段は初の「名に違する」ことを批判してきます。つまり、「此れは計を牒して此れは理に応ぜずと非す。此の定を亦無心定と名づくるが故に。故に知りぬ、第六識有ることを得ず。此れは並びに二家の『摂論』と及び『成業論』とを對勘するに、義更に違うこと無し。而も彼救して言く、無心定と...阿頼耶識の存在論証滅尽証(22)第五・経言無属難(8)
2018/04/30 15:51