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tomo's diary ・:・。*・私の向かう先にあるもの
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2014/11/16

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  • 母の日

    両親の誕生日は同じ月なので通年、合同でお誕生日会をする。また、母の日と父の日も合同でパーティーをする。けれど、当日は当日で何かしら差し入れることが多い。特に母の誕生日や母の日は私が何か作ったり差し入れをしたりして本人が作らなくて済むようにしている。特に姉妹に集まるように言ってはいないのでたまたま予定が合えば来て一緒に食事ができる。そんな感じで母の日は手巻き寿司などにして一緒に食べることに。妹も来ることができて賑やかな日となった。ケーキも作ったのデザートに間食となった。今回は、果物がいろいろ美味しい時期なのでタルトを作ったが好評だった。穏やかないい1日になってよかった。母の日

  • きっと、やればできる

    私には一つ野望がある。ここでは言えないけれど、いつまでにコレをしたいという夢。けれども、一向に近づいていない。。。少しづつコツコツはやっていても目に見える成果がないのは私のダイエットに似ている。この夢に近づくために一つクリアしなくてはならないことがあるのに全然成果があがっていない。。。夢や劣等感を持つ大人は多い。けれど、それを手にしようと考えるより諦める人の方が多い。または、最初から自分事にはならないものと考えている。すると、またその人たちは誰かに嫉妬する気持ちが湧く時がある。私は、嫉妬するということはそこに劣等感や憧れがあるということなのでそれなら嫉妬しない自分になれるようにそれを手にするか近づけばいいと思うのだ。もしかしたら、形は変わるかもしれないけれど何かしら近づくことも手にすることもできると思って...きっと、やればできる

  • 隠された能力

    人は自分が普通にやってきたこと、やっていることについて何も深く考えない。自分が当たり前にできることは他人も同じようにできると思っている。それなのに、自分が簡単にできないと自分がダメな人間に思えたりする。自分のダメなところを、できている他人と比べている。どうして比べるのだろう?世の中で競争社会で生活しているから?そもそも全く違う人間なのだから同じ訳はないのに部分的に比べては自分で落ち込んでしまうと言ったおなしなことをしている。その上、自分ができることは普通で当然だと思い込んでいる。このことを考えてみると、自分の普通や当然できることも深く考えてみる必要があると思えてくる。その普通や当然は、自分が最も簡単にできていたことだからそう思ってしまうのだ。そこに、自分の秀でた特質がある。どう役立つのかはさておき、とにか...隠された能力

  • 変なところで年齢を意識する人

    先日、誰かが言っていて驚いたことがある。中高年のスピリチュアルや都市伝説好きなどを何とかと呼ぶらしいく、苦笑いという感じだった。言われてみれば、そんな年齢の人も多くYouTubeで発信している。20代、30代の人から見て親世代以上なのだろう。。。彼らが言うには、何でもテレビが言うことを信じていた世代が単に見るものがテレビからYouTubeに変わりまた自分が見たいものだけを見て鵜呑みにしていると。。。それを信じてさらに発信すると言ったことだった。言われてみれば、テレビ離れはしてもやっていることは変わっていないのだろう。。。その話は、少し見下げた感じのするものに聞こえた。けれど、私から見たらどちらも同じように見えるのだけれど?単に発信する場ができたから目につくようになったのだ。何を信じるのかは年齢ではなく若い...変なところで年齢を意識する人

  • 幸せになること

    「幸せになりたい」と思っている人は多い。何でも手にしているのに本人にとっては何かが欠けている場合もあるし何もかもが空回りしてしまっているのかもしれない。もしかしたら、過去の出来事に対しての後悔をずっと持ち続けている場合もある。人にとっての心の中の何かの不足。。。握りしめている痛みはまた少し違うのでどちらなのかは自分で見極める必要がある。どちらにしても、その痛みも認め幸せにならなくてはいけない。何かを手に入れたら。。。それは間違っている。それなら、今すぐに自分自身で幸せになれる。全て自力で幸せになれる。いつまでも外側に何かを探さなくてもいい。逆に外側に求めると手に入らない。誰かが幸せにしてくれる?何かが幸せにしてくれる?そんなあてにならないものをいつまでも探さない。いつまでも自分のそんな不足を誤魔化し続けな...幸せになること

  • いつでも素敵な振る舞いを

    先日書いた車の運転の翌日私がたまに睨まれる場所のすぐ先にも合流があってそこでちょうど事故を起こした現場に遭遇した。誰かがクラクションをうるさく鳴らした。見ると、2台が止まっているのでどちらも何で止まっているのかと思ったらぶつけていたのだ。直進してきた軽カーとそこを横切るようにして斜めに通った道を一時停止の後右折しようとしたバンがぶつかったのだ。書いたブラグの翌日の出来事なのでびっくり。直進してきた軽カーは正面の右奥が凹んでいたのでかなりバンが出ていたのに直進したのだろう。バンの方もスピードを落とさないできているのに出てしまったのだろうけれど。。。全くもって、譲らない人は何があっても道を譲らないのだから。譲り合い過ぎてももちろん迷惑だけれど程よく譲り合う精神が混雑を緩和する。これもたまになのだけれど、とても...いつでも素敵な振る舞いを

  • 何とかしては貰えない

    人は手っ取り早いことを探す。何につけそのようにできる魔法は無いかと。。。だから、自分自身で解決できるまたは解決しなくてはならないことも全て手っ取り早い解決法があるのではないかと思ってしまう。まず、誰かに教えてもらおう。まず、学校に通おう。まず、先生や師匠を見つけよう。まず、どこかの団体に入ろう。そうすれば雰囲気的に解決できるような感じがする。けれど、それを本当の意味で吸収するのは自分自身だ。奇跡的に本当に素晴らしい何かや誰かに出会ってもそれらがどんなに素晴らしいアドバイスとして多くの言葉などを使っても果たしてどれくらいの人が本当の意味を受け取れているのだろう?初めから丸投げしてなんとかしてもらうことをどうして考えるのだろう?延々と多くの時間語っても受け取りて自身に準備ができていないと穴の空いたバケツのよう...何とかしては貰えない

  • 車の運転から見る性格

    車を運転していて思う。少し込み入った道などは割り込ませて道を譲ってあげないと、いつまで経っても通れない場所もある。車が入って来ようとかなり出て来ていても絶対に行かせないで、更には自分が先に行くにも関わらずずっと睨みをつけていく人がいる。対向車も止まって行かせようとしても自分が先に行かなくてはダメなのだ。彼らは、決まって人相が似ているのは間違いない。睨み続けるので、相手の顔をよく見ることができるのだ。必ず同じ行動をする。単に意地悪に行かせないだけでなく睨み続けながらながらゆっくり通る。真っ直ぐ前だけみて進む人はいない。不思議なくらい同じだ。私が女性だからか、稀にそう言った男性に遭遇するのだけれど私ならそんな男性とは付き合わない。心に余裕が無く「何でも自分」といった精神の持ち主は自分勝手だし、わざわざずっと睨...車の運転から見る性格

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