薩英戦争の笑話(奈良原家に砲弾が当たった話など)——市来四郎談(史談会速記録)
生麦事件、またそれに引き続く薩英戦争によって薩摩藩は「攘夷の先鋒」や「攘夷のチャンピオン(芳即正氏の表現)」とみなされ、攘夷急進派からもてはやされたのであるがそれは実態のともなわないものであった。そうした藩内の情況については市来四郎が詳しく語っているので、前回と同じく『史談会速記録』から紹介したい。 市来四郎が母に謝罪した話 市来四郎は、斉彬に抜擢され集成館事業に携わったほどの有能な人材であり、生麦事件以来の攘夷派の熱狂には苦々しい思いを抱いていた開明的な思想の持ち主であった。しかし、その市来ですら、イギリスが砲撃したとしても市街地にまで被害が及ぶとは想定していなかったようで、開戦の前々夜、母…
2016/03/20 07:18