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2014/10/10

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  • 2025年を迎える

    2025年元旦を迎える平凡であるが祝杯を挙げ、ニューイヤー駅伝による旭化成の健闘を祈っている脳梗塞(失語症)による「聞く力」を失っているが、クヨクヨしないで、新しい年に生きていこうと思っている。90歳時代に栄えあれ!2025年を迎える

  • 90歳を迎えて何が変わるか

    89歳を閉じようとしている…何も変わっていない。90歳を迎えようとしている…何が変わるであろうか?去年今年貫く棒の如きもの高浜虚子90歳を迎えて何が変わるか

  • 90歳までの「人生の記録」⑤…資本論の研究

    私が『資本論』を読み始めたのは、大分大学にいたマル系教師ご三方に教わったのが始まりであった。重光教授に価値論(資本論第一巻)、竹村助教授(当時)に金融論(同第三巻)、山本講師(当時)に地代論(同第三巻)と『家族、私有財産および国家の起原』、『空想より科学へ』など小論文を含め教えてもらった。しかし、銀行業務の労働密度、組合活動の多忙に負われ、腰を据えて、じっくりとやる資本論研究など出来なかった。銀行退職後となり第二の人生となったが、それはそれとして(旅や酒など)、十分な研究など出来なかった。(資本論もそれなりにやってきたつもりであったが)資本論の研究については、ようやく全三巻の構想を取りまとめ、やっと腰を据えて研究を始めたのであった。それは80歳になって出来たことであった。組合の後輩たちで、10~20名を集...90歳までの「人生の記録」⑤…資本論の研究

  • 90歳までの「人生の記録」④…旅(海外旅行と日本の全県)

    私たちの銀行生活は、全く多忙に追いかけられ、旅という思いすら何もなかった。52歳になってようやく銀行に退職し、いわゆる第二の人生を初めて、三井ホームの中で「自ら計画をもって生きる」というゆとりを持ってきた。「そうだ。旅に行こう」「せめて一年に一度は海外旅行をやろう」と動き始め、先ずアメリカに出かけた。53歳、1988年6月、北米はシカゴ、ナイヤガラ、ニューヨーク、ニューオーリンズを出かけた。そして最後は、76歳、2011年、オーストラリア(シドニー、メルボルン)までが海外旅行の記録であった。23年間、北米・中米、西欧・中欧・北欧、アジア一帯(含む豪州など)に及び、海外旅行数としては、22回、25か国、75か都市を回った。出版物としては『旅のプラズマ~心に残る街・人・言葉』と『旅のプラズマパートⅡ~世界の酒...90歳までの「人生の記録」④…旅(海外旅行と日本の全県)

  • 90歳までの「人生の記録」③…酒2「酒純米酒フェスティバル」

    酒について、その酒1「酒造と酒食」について書いたが、その後半である2000年から2018年(コロナの始まり)まで、約20年間、純米酒フェスティバル運動について書いてきた。これは、戦後の酒界に飲まれたニセモノ酒「アル添三増酒」に対し、ホンモノ酒である純米酒を宣伝し、拡大する運動を目指しできた。これは、高瀬斉委員長、中野繁事務局長を中心にして、堀江修二、橋本毅、首藤和弘と3氏を加え「純米酒普及推進委員会」を設立した。2001年4月、東京椿山荘で第1回を開催し、1200名(昼と午後、各600名)参加した。酒造蔵は50蔵に及び、約300銘柄の50ブースが広かれ、壮大な催しが続いた。約20年間、総開催数は東京で36回、大阪で11回、名古屋で3回、合計50回を開催した。純米酒普及推進という力も果たしてきたと思っている...90歳までの「人生の記録」③…酒2「酒純米酒フェスティバル」

  • 90歳までの「人生の記録」②…酒1(酒造と酒食)

    私は、学生のころから既に酒を飲んでいた。しかし、意識的に酒の研究をしようとして取り組んだのは、1980(昭和55)年の45歳ころから始めたことであった。そしてコロナが始まった2020(令和2)年まで続けてきた。(85歳まで40年間)最初に酒に接したのは広島時代(三井銀行広島支店)で、賀茂鶴酒造との銀行取引を契機に酒の道に入った。K副社長をはじめ杜氏や蔵人の方々にじっくりと指導してくれた。なにを聞いても「酒とは何か?」という疑問ばかりを続けていた。次に向かったのが、新潟県和島村の久須美酒造。1990年4月に蔵を訪ね、1年4か月間も宿泊を通いながら「亀の翁」造りを学び、『酒は風~「亀の翁」をつくる人びと』を発行した。写真家英伸三夫妻の素晴らしい写真を共著して、1991年11月出版した。以降、酒を学びながら日本...90歳までの「人生の記録」②…酒1(酒造と酒食)

  • 90歳までの「人生の記録」①…銀行と組合活動

    1958(昭和33)年、学生生活を終えて社会人をスタートした。同年4月1日、21歳、三井銀行に入行した。(4月23日で22歳)まもなく迎えた1960年代は、発展時代として猛烈な忙しい時代に襲われていた。しかし、その銀行生活はともかく措いて、組合活動は楽しかった。楽しい、と言っては申し訳なかったが、とにかく「生活向上」に向かい、「賃上げ」、「長時間短縮」、「福利厚生の要求」を向けた戦いを続けていた。併せて、民主主義と人権擁護も戦ってきた。もちろん、経営側からも攻撃されていた。また、それだけに若者組合たちも戦い続け、銀行退職後も続け、「心友会」などを組織して、長く折衝を続けてきた。その数十名の方々は、既に80歳代を超えている。銀行生活自体は、22歳から52歳まで30年間を超えていたが、その充実した生活は遥かに...90歳までの「人生の記録」①…銀行と組合活動

  • 今年もカキを食べました

    今年もSさんに、恒例の広島カキ(牡蠣)を頂きました。早速、殻付きカキ、カキフライ、クリーム煮、をたくさん食べました。加えて呉の銘酒『雨後の月』純米吟醸がありましたので、酒食最高の味を味わいました。嬉しかった!いうことナシ!!カキ身が大き過ぎて、カメラがぼけた食べ散らしてゴメンナサイ食べ散らした後、きれいに並べ直しました今年もカキを食べました

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