chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • Opinion

    Opinion世界混乱から安穏へ世界はさまざまに混乱している。いくつかの例として、イスラエルとパレスチナは先が見えず、ミャンマーの混乱、アフガニスタンではタリバンが政権を担当後、WFPによると1400万人が深刻な飢餓状態に直面している。日本では考えられない世界の情勢である。しかし、日本も疫病や北朝鮮の核問題、ロシアと中国が米国と友好国の日本を的にする問題、また、天災地震等あり安心できる状態でもない。日本の安穏は庶民の幸福でもあり、また、世界が安穏なってこそ日本国も安穏の道となる。故に、世界の情勢の監視は当然である。自分だけ幸福、日本だけ幸福であれば良いというのは考えにくい。ちょっとわかりにくいが、自分と日本国は一体、日本国と世界は一体なのである。要するに、自分と環境が一体、自分が変えれば環境が変わるのである。依...Opinion

  • 核兵器廃絶へ

    核兵器の恐ろしさピカッと、爆音、外に出ると、皮膚がワカメのように垂れ下っていました。全身真っ黒で、男女の区別もできない人もいました。ある日、父が負傷した青年を連れて帰ってきました。お兄さんの頭は、4の1ほどがなくなっていて、傷口からウジが群がっていました。ウジを取っても取っても、なくなりません。とうとう、お兄さんは息をしながらなくなりました。中島婦人(2020年9月20日(S新聞)近年の原爆の威力現在の原爆の威力というと80倍はあるとも言われ、広島型の6000倍の核爆弾が存在する。2017年1月にて、世界では1万5000発以上のの核弾頭があり、188発の核兵器が、即発射できる(高度警戒態勢)に置かれている。婦人(当時学生広島在)午前8時一舜の閃光(せんこう)直後爆風外に出た時、広島は地獄に変わっていた。真っ黒に...核兵器廃絶へ

  • 将棋

    詰将棋1995年9月作品何手詰みか?ヒント歩は大切勝利の源正解者には粗品抽選で1名答えを記入し住所、氏名を下記に送ってください。抽選で1名様に粗品をお送りします。締め切り10月末下記へanokunini@yahoo.co.jp将棋

  • クイズ

    クイズ日本に野球が来たのはいつでしょうか?ヒント1昭和5年2大正2年3明治5年日本の野球の始まりは米国人の紹介だった。このころは、投手はすべて下手投げ、ストライクは打者が決めていたのだった。正解者には粗品抽選で1名答えを記入し住所、氏名を右のアドレスに送ってください。抽選で1名様に粗品をお送りします。締め切り10月末下記へanokunini@yahoo.co.jpクイズ

  • Trip Memory 紙の博物館

    TripMemory紙の博物館平成27年5月2日に紙の博物館(写真)に行った。ここは、紙が出来る方法を詳しく知ることができる。バネルや模型で丁寧に説明されていた。説明によると、日本は60パアーセントが再生紙で作られている。日本人は年間一人220kを使用しているが、世界の平均は60kである。紙は大陸から伝わってきた。日本に普及したのが、仏教典等の関係もあって、聖徳太子が力を尽くしたのだった。聖徳太子といえば、仏派の蘇我氏と連合で、神派の物部氏と戦争をした。この戦争は聖徳太子ら仏派が勝利したのだった。宗教革命である。以後、仏教は生活、芸術など庶民に利益を与えた。しかし、年数たち、仏僧は慢心となり利益に貪り食い物にしていった。戦国時代には、信長に、比叡山は弾圧されたのは僧の堕落からである。いかに誤った仏教が怖いかの実...TripMemory紙の博物館

  • 詩 大きな心

    詩大きな心カモメ飛ぶグングングングンと大空へ大きな心ユーモア忘れず遊歩1995年9月作詩大きな心

  • 日記 1999年代

    日記1999年代風遊社会と言うと、壮年も青年も頑張っているので繁栄している。創価も、壮年、青年が平和の為に一生懸命で、愚者がいる川崎の木月も,その当時もリーダが先頭に立ち平和にと意気盛んであった。1999年2月10日勉強会禅宗は教外別伝といい、法華経を蔑如といているという。これは、国王を誑惑した妲己の如くである。妲己とは紂王の妃、妲己の美貌におぼれ乱行を尽くして武王に国が滅ぼされたことである。1999年2月11日横浜に行く、政治の相は街に出る。不況は庶民の生活を圧迫する。戸田先生は、私は今、一本の旗をかかげて、たった一人で濁流のなかに立っいているようなものだ。少しでも油断すれば、旗と一緒に濁流に流されてしまう。これを教訓とすれば、油断は禁物である。大聖人は弘教されたとき、まさしく悪口は暴風、台風のように集中して...日記1999年代

  • 旅 小田原

    小田原小田原漁港は人気小田原、提灯とかまぼこが全国的に有名である。漁業地の小田原のかまぼこは古く220年前の江戸時代。小田原の提灯は東海道の宿場、箱根があり、旅人が携帯ようにと。小田原は戦国時代、長年続いた領主の北条が秀吉に敗れ開城となった。のち、江戸時代は、徳川の部下の大久保が領土を支配した。小田原というと漁業地が人気ある。この日も、魚料理に観光客がいっぱいであった。駐車場には車が満杯で入りきれず。魚料理店も人々の行列であった。対象魚は、サバ、イワシ、カツオなど定置網は主力漁業。新鮮な魚の料理が観光客のお目当てである。港の年間の漁獲量は2万トンある。小田原駅は近隣に箱根など観光地があるので例年は賑やかであるが、現在は、コロナ問題で静かであった。コロナ問題の早期解決はどこの観光地の願いであろう。小田原港小田原近...旅小田原

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、 平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌さんをフォローしませんか?

ハンドル名
平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌さん
ブログタイトル
平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌
フォロー
  平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用