静岡県島田市船木(ふなき)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、墳頂に庚申塔(こうしんとう)が建てられた未発掘の円墳です。単独で築かれた中規模の円墳で、主体部(埋葬施設)は石室以前の木棺直葬(もっかんじきそう、もっかんちょくそう)の可能性があります。主体部(埋葬施
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
古墳時代後期(6世紀)以降の円墳4基 ネット初公開 上屋敷古墳群 (静岡県焼津市策牛字上屋敷)
静岡県焼津市策牛(むちうし)の上屋敷古墳群(かみやしきこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築造された横穴式石室を有する円墳4基で構成されています。静岡県道213号 焼津岡部線(高草街道)東側の丘陵に3基、西側に1基の古墳が分布。上屋敷古墳群
戦国時代 武田・徳川軍が戦った向原古戦場 小山城攻防戦死者慰霊碑 (静岡県榛原郡吉田町神戸向原)
静岡県榛原郡吉田町神戸(かんど)の向原古戦場(むかいばらこせんじょう)は、戦国時代に武田・徳川軍が度々激しい戦闘を行ないました。元亀2年(1571年)、甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけだ しんげん)の重臣 馬場美濃守信春(ばば みののかみ のぶはる)が、大井川下流右
江戸時代の東海道 さわたりの手児万葉歌碑 子授地蔵大菩薩 (静岡県静岡市駿河区丸子1丁目 佐渡公民館前)
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)1丁目の佐渡(さわたり)公民館前には、さわたりの手児(てご)万葉歌碑と子授地蔵大菩薩(こさずけじぞうだいぼさつ)があります。国道1号「佐渡」交差点から旧道に入ると、昔は松並木が続いていた江戸時代の東海道です。府中宿(ふちゅうしゅく、
古墳時代後期以降の円墳7基 永源寺古墳群 (静岡県掛川市各和1925-1 曹洞宗 大昌山 永源寺)
静岡県掛川市各和(かくわ)の永源寺古墳群(えいげんじこふんぐん)は、各和原段丘にある曹洞宗 大昌山 永源寺の境内に分布。古墳時代後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)以降の築造と考えられる、7基の小円墳(直径約10m以下)で構成されています。永源寺古墳群
丘陵に築かれた円墳16基 ネット初公開 下山古墳群 (静岡県島田市岸字下山)
静岡県島田市岸(きし)の下山古墳群(しもやまこふんぐん)は、曹洞宗 岸谷山 龍江院東側の東西に細長い丘陵の尾根に築かれた円墳16基で構成されています。昭和40年(1965年)頃、西駿考古学会会員の踏査で発見されました。発掘調査が行われていないため、古墳では無い可能性も
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 ネット初公開 相沢古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)菅ヶ谷字相沢)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)菅ケ谷(すげがや)の相沢古墳(あいざわこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築造された横穴式石室を有する円墳です。文献によっては、複数の円墳で構成された相沢古墳群となっています。相沢古墳群
小丘陵上に築かれた円墳 ネット初公開 園古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大沢寺下)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大沢(おおさわ)の園古墳群(そのこふんぐん)は、南遠道路 大沢IC北西の小丘陵上に所在。蜜柑園(みかんえん)・茶園などとして利用される丘陵に、複数の円墳が分布しているようです。丘陵の斜面には、園横穴群が分布。園古墳群
直径10m以下の円墳? ネット初公開 謎の古墳 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井 日帰り天然温泉「遠州 和の湯」西側)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)には、謎の古墳があります。場所は、日帰り天然温泉「遠州 和の湯」(えんしゅう やわらぎのゆ)西側の茶園です。墳丘の四方を開墾で削られた、直径10m以下の円墳かもしれません。謎の古墳
古墳時代中期(5世紀頃)の円墳3基 観音山古墳群(五ヶ山C古墳群) (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽・浅名)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)・浅名(あさな)の観音山古墳群は、古墳時代中期(5世紀頃)の築造と考えられる円墳3基で構成。別名は五ヶ山C古墳群(ごかやましーこふんぐん)で、古墳4基とする文献もあります。岩松寺観音堂南側の、五ヶ山(ごかやま)と呼ばれる丘陵
幕末の万延元年(1860年)に移転 旗本 久喜藩分家米津氏 平芝陣屋跡 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽字平芝)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)字平芝の平芝陣屋跡(ひらしばじんやあと)は、久喜藩(現在の埼玉県久喜市)分家米津氏の陣屋跡です。江戸時代前期の貞享元年(1684年)、初代久喜藩主 米津田盛(よねきつ ただもり)の長男 米津政武(よねきつ まさたけ)は、父の死去で
全長約30mの前方後円墳1基と円墳5基? 宇佐八幡境内古墳群 (静岡県袋井市国本字岡山2)
静岡県袋井市国本(くにもと)の宇佐八幡内古墳群(宇佐八幡宮古墳群、宇佐八幡境内古墳群)は、前方後円墳1基と円墳5基?(2基?、文献によって異なる)で構成されています。宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)境内には、前方後円墳の1号墳と円墳の2号墳が残存。宇佐八幡内古墳群
短甲・銅鏡・馬具などが出土 古墳時代中期(5世紀後半) 直径27mの円墳 石ノ形古墳 (静岡県袋井市国本 北原川石ノ形333)
静岡県袋井市国本(くにもと)の石ノ形古墳(いしのがたこふん)は、古墳時代中期(5世紀後半)に築かれた円墳です。墳丘の規模は直径27m、高さ3mで、幅5m、深さ30cmの周溝(しゅうこう)が巡っています。発掘調査が実施され、東西2ヵ所の主体部(埋葬施設)を検出。西主体部は、短甲
2基の円墳 ネット初公開 海蔵寺裏古墳群 (静岡県袋井市堀越764-1 曹洞宗 祥雲山 海蔵寺の裏山)
静岡県袋井市堀越(ほりこし)の海蔵寺裏古墳群(かいぞうじうらこふんぐん)は、曹洞宗 祥雲山 海蔵寺の裏山(本堂の北東)に分布する円墳2基で構成。周辺には、他にも複数の墳丘らしき地形があります。海蔵寺裏古墳群
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 能光寺境内古墳 (静岡県袋井市愛野3079 曹洞宗 金峰山 能光寺の墓地)
静岡県袋井市愛野(あいの)の能光寺境内古墳(のうこうじけいだいこふん)は、曹洞宗 金峰山 能光寺(のうこうじ)の墓地にあります。横穴式石室の奥壁付近が一部残存しており、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた円墳と考えられる古墳です。能光寺境内古墳
古墳時代中期(5世紀後半頃) 直径約36mの円墳 法明寺古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)和田)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)和田(わだ)の法明寺古墳(ほうみょうじこふん)は、古墳時代中期(5世紀後半頃)の築造と考えられる、菊川上流域で最大級(直径約36m、高さ約5.5m)の円墳です。平成20年(2008年)5~8月、静岡県道79号 吉田大東線の改良工事に伴う発掘調査を実施。古
古墳時代中期(5世紀頃) 墳長63mの前方後円墳 市指定文化財 大徳寺古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済1559 曹洞宗 高田山 大徳寺の墓地)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済(はんせい)の市指定文化財 大徳寺古墳(だいとくじこふん)は、古墳時代中期(5世紀頃)の築造と考えられる前方後円墳です。墳丘の規模は、墳長約63m・後円部径約32m・後円部高さ約4mで、幅約2mの周溝(しゅうこう)があります。市指定文化財 大
横地城の中にある 古墳時代前期? 全長36mの前方後円墳 庚申塚古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)神尾字山脇758)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)神尾(かんのう)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、古墳時代前期(3世紀中頃~4世紀後半頃)の築造ではないかと推測される前方後円墳です。山城の横地城(よこちじょう、よこじじょう)の中にあり、菊川市内では唯一保存状態が良い前方後円墳で
山頂に築かれた直径約20mの円墳? 野田山古墳(仮) (静岡県島田市野田 野田山)
静岡県島田市野田(のだ)の野田山山頂(標高143.3m)には、未調査の直径約20mの円墳があると考えられています。山頂に築かれた比較的規模の大きい古墳であるならば、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)以前の有力者が埋葬された首長墓(しゅちょうぼ)かもしれません。遺跡地
江戸時代 全国の社寺を巡礼した六十六部の記念碑 廻国供養塔 (静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)下小杉)
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)下小杉(しもこすぎ)の廻国供養塔(かいこくくようとう)は、江戸時代に全国の社寺を参拝する六十六部(ろくじゅうろくぶ)廻国巡礼を行なった巡礼者が建立した巡礼(順禮)塔です。宝永6年2月19日(1709年3月29日)、遠江国(遠州)榛原郡下小杉村の横
西國三十三所供養塔,石経千部供養塔 戦国時代の天文11年創建 曹洞宗 宝積山 大智寺 (静岡県榛原郡吉田町大幡181-2)
静岡県榛原郡吉田町大幡(おおはた)の曹洞宗 宝積山 大智寺(ほうしゃくざん だいちじ)は、室町時代(戦国時代)の天文11年(1542年)8月に盤石寺(焼津市中島)6世 建国晃立和尚が開創。江戸時代中期の正徳2年(1712年)、大井川の洪水で被害を受けました。本尊は周智郡大日山(現在
古墳時代前期 古式土師器が出土した崖 宮奥遺跡 (静岡県周智郡森町一宮(宮代)字神沢 小國神社の北)
静岡県周智郡森町一宮(宮代)(しゅうちぐん もりまち いちみや(みやしろ))の宮奥遺跡(みやおくいせき)は、遠江国一宮 小國神社(おくにじんじゃ、おぐにじんじゃ)境内を流れる宮川の遊歩道沿いに所在。平成8年(1996年)、土壌調査中に遊歩道で削られた崖から、古墳時代前期(3
弥生,古墳時代の集落 奈良~平安時代の掘立柱建物群 宮ノ西遺跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)加茂宮の西)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)加茂(かも)の宮ノ西遺跡(みやのにしいせき)は、菊川右岸(西岸)の沖積地に所在する弥生・古墳・奈良・平安時代・中世・近世の複合遺跡です。平成18~23年度、宮の西土地区画整理事業に伴う発掘調査を実施。弥生時代から古墳時代にかけての集落
室町時代 勝間田氏が築城 市指定史跡 穴ヶ谷城跡(中村城址,中村城の壇) (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)中字穴川266-1)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)中(なか)の穴ヶ谷城(あながやじょう)は、室町時代初期に勝田郷を支配した豪族 勝間田(かつまた)氏によって築かれたと考えられています。中村城址・中村城の壇とも呼ばれる、東・西・南の郭(曲輪)で構成された連郭式(れんかくしき)の山城です
珍しい家形土器が出土 弥生,古墳,奈良,平安,鎌倉時代 鳥居松遺跡 (静岡県浜松市中央区森田町,神田町他)
静岡県浜松市中央区森田町(もりたちょう)・神田町(かみだまち)の鳥居松遺跡(とりいまついせき)は、弥生・古墳・奈良・平安・鎌倉時代にかけての複合遺跡です。これまでの発掘調査では、弥生時代の集落・水田、奈良時代(8世紀)から鎌倉時代(13世紀)にかけての推定幅30m以上
戦国時代 殺害された服部小平太を弔うため建立 臨済宗方広寺派 宗安寺跡 (静岡県浜松市浜名区細江町(旧引佐郡細江町)中川 旧姫街道)
静岡県浜松市浜名区細江町(旧引佐郡細江町)中川(なかがわ)の臨済宗方広寺派 宗安寺は、安土桃山時代(戦国時代末期)の天正15年(1587年)に200m南にある姫街道 長坂で何者かに殺害されたという、服部小平太(はっとり こへいた、服部一忠(はっとり かずただ))を弔うために建立
縄文時代の石鏃製作址 古墳時代,中世の複合遺跡 勝田井の口遺跡 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田字井の口)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の「勝田井の口遺跡」(かつたいのくちいせき)は、勝間田川(かつまたがわ)中流右岸の埋没した河岸段丘(標高26~27m)に立地する、縄文時代後期後半~晩期前半・古墳時代前期・中世の複合遺跡です。石鏃(せきぞく)の完成品・未完成
横穴式石室を有する円墳6基? 駿河山古墳群 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)牛尾字本田山ほか)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)牛尾(うしお)の駿河山古墳群(するがやまこふんぐん)は、牛尾山(駿河山)と呼ばれる大井川の河岸段丘(標高約110m)上の南側に分布する6基の円墳?で構成されています。5基は南西に密集し、1基は南東に単独で所在。現在、墳丘を確認できるのは駿
明治時代 巡礼者が建立した當國札所善光寺供養塔 曹洞宗 九峯山 総善寺 (静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)殿167)
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)殿(との)の曹洞宗 九峯山 総善寺(きゅうほうざん そうぜんじ) は、室町時代の文安元年(1444年)1月に真言僧 大覚龍道(だいかくりゅうどう)が真言宗の寺として開きました。室町時代後期(戦国時代)の天文23年(1554年)、今川氏に仕えたこの
古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の円墳 神明塚古墳 (静岡県掛川市岡津字神明塚)
静岡県掛川市岡津(おかつ)の神明塚古墳(しんめいづかこふん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられている円墳です。茶園が広がる段丘上にあり、墳丘も茶園になっています。神明塚古墳
古墳時代後期以降の円墳 神明神社古墳 (静岡県掛川市葛川字西田1113 神明神社)
静岡県掛川市葛川(くずかわ)の神明神社古墳(しんめいじんじゃこふん)は、古墳時代後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)以降の築造と考えられている円墳です。神明神社境内にある古墳ですが、現地に案内板が無く詳細不明。墳丘には石塔が建立されていたようで、五輪塔(ごりんとう)
古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の円墳2基 小山平古墳群 (静岡県掛川市下垂木字小山平)
静岡県掛川市下垂木(しもたるき)の小山平古墳群(おやまだいらこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられている円墳2基で構成。十二所神社(じゅうにしょじんじゃ)裏の丘陵に分布しています。小山平古墳群
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静岡県島田市船木(ふなき)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、墳頂に庚申塔(こうしんとう)が建てられた未発掘の円墳です。単独で築かれた中規模の円墳で、主体部(埋葬施設)は石室以前の木棺直葬(もっかんじきそう、もっかんちょくそう)の可能性があります。主体部(埋葬施
静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 地福山 種月院(しゅげついん)は、坂本龍馬を暗殺した京都見廻組 今井信郎(いまい のぶお)の碑がある事で知られています。種月院周辺では、開墾して茶園を造った際に多くの古墳が発見されたそうです。埋蔵文化財として登録されていない
静岡県島田市船木(ふなき)の新ノ宮古墳群(しんのみやこふんぐん)は、円墳6基で構成。新ノ宮2~6号墳は、昭和45年(1970年)頃に茶園開墾で消滅しました。唯一墳丘が残る新ノ宮1号墳は、直径21.3m、高さ2.1mの円墳です。墳頂に稲荷社(いなりしゃ)の祠(ほこら)が祀(まつ)られ、
静岡県島田市船木(ふなき)の南原古墳群(みなみはらこふんぐん)は、7基以上の古墳がありました。残存しているのは民家の庭にある円墳1基だけで、南原古墳とよばれています。発掘調査が行われていないため、詳細不明です。直径10m以下の円墳で墳丘が高く、古墳時代後期(6世紀
静岡県島田市阪本(さかもと)の森下古墳群(もりしたこふんぐん)は、東洋最大規模の茶園が広がる牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する円墳3基で構成。文献によって、森下古墳群が谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)に含まれて
静岡県島田市阪本(さかもと)の高根森古墳群(たかねもりこふんぐん)は、古墳11基以上で構成されています。高根森2号墳は、古墳時代後期(6世紀末)に築かれた疑似両袖式(ぎじりょうそでしき)の横穴式石室を有する円墳。大正4年(1915年)3月、装飾大刀(そうしょくたち)・金銅装
静岡県島田市大草(おおくさ)の仲山経塚(なかやまきょうづか)は、丘陵の頂上付近に築かれた経塚です。経塚からは、中世(平安時代後半から戦国時代(11世紀後半頃~16世紀後半頃))の陶質土器(とうしつどき)が出土しています。仲山経塚
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)上朝比奈(かみあさひな)の山ヶ谷古墳(やまがやこふん)は、明治時代の終わり頃 山林の茶園開墾中に三環鈴(さんかんれい)が出土しました。三環鈴はとても珍しい古墳時代中期(5世紀頃)の馬具で、これまでに県内では2例しか出土していません。山
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)門屋(かどや)の石田横穴群(いしだよこあなぐん)は、臨済宗妙心寺派 天寿山 長永寺周辺の丘陵に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝間(かつま)の法士古墳(ほうじこふん)は、丘陵上に築かれた円墳です。昭和37年(1962年)、茶園改植で成長の悪い茶樹の下を深さ30~40㎝掘ったところ、土師器 高坏(たかつき)と直刀(ちょくとう)が見つかりました。直刀は長さ104㎝・柄(つか)
静岡県掛川市細谷(ほそや)の枕田古墳群(まくらだこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる円墳2基で構成されています。掛川球場南側の丘陵に、権田ヶ谷古墳群(ごんだがやこふんぐん)と枕田古墳群が分布。枕田古墳群
静岡県掛川市岡津(おかつ)の庚申塚古墳(こうしんづかこふん)は、静岡県の重要遺跡とされている謎の円墳です。文献によっては、庚甲塚古墳となっています。庚申塚古墳
静岡県磐田市匂坂新(さぎさかしん)の欠山古墳群(かけやまこふんぐん)は、天竜川左岸(東岸)の磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)・後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)の古墳6基(前方後円墳1基、円墳5基)で構成。欠山1号墳は、
静岡県島田市元島田(阿知ケ谷・御仮屋・松葉町)の白岩寺古墳群(はくがんじこふんぐん)は、白岩寺山(標高約160m)中腹の南側から南西側にかけての斜面に分布。密集した古墳20数基で構成される後期群集墳です。発掘調査が行われた白岩寺1~4号墳は、古墳時代後期(6世紀)に築造
静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)笹間下(ささましも)の馬場平経塚(ばばだいらきょうづか)は、昭和60年(1985年)の道路建設の際に発見されました。24,520個の扁平(へんぺい)な河原石の経石(きょういし、きょうせき)が出土し、そのうちの10,086個の石に墨書(ぼくしょ)され
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)・手越(てごし)の金山古墳群(かなやまこふんぐん)は、古墳時代後期(6世紀後半)から終末期(7世紀)に築かれた、横穴式石室を有する円墳6基以上で構成。南北に細長い丘陵(金山)の、日蓮宗 照永山 妙音寺の境内と南側に続く尾根に分布し
静岡県焼津市栄町・焼津(塩津・道下・道添)の塩津古墳群(しおつこふんぐん)は、大井川水系が形成した沖積平野(ちゅうせきへいや)の焼津微高地上に分布。焼津東小学校周辺から焼津郵便局周辺にかけて埋没していた、古墳時代後期(6世紀中葉)から終末期(7世紀)の古墳7基(道下
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の岡部宿(おかべしゅく)は、東海道五十三次の21番目の宿場です。岡部宿北側の岩鼻山(西行山)中腹には、平安時代末期から鎌倉時代初期の歌僧として有名な西行(さいぎょう)法師ゆかりの「笠懸けの松・西住墓(かさかけのまつ・
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の榛原公園(はいばらこうえん)は、龍眼山城跡(りゅうげんざんじょうあと)です。龍眼山(標高76m)の山頂付近に築かれた平山城(ひらやまじろ、ひらやまじょう)で、遺構は曲輪(くるわ)・土塁(どるい)・堀切(ほりきり)。戦国時代、
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の松雲寺古墳群(しょううんじこふんぐん)は、曹洞宗 西河山 松雲寺の境内と周辺に築かれた円墳6基で構成されています。少なくとも円墳5基は、古墳時代後期(6世紀)以降の横穴式石室を有する古墳です。発掘調査では、須恵器、大刀(た
静岡県静岡市清水区(旧清水市)吉川(きっかわ)の吉川氏館跡(きっかわしやかたあと)は、鎌倉幕府御家人 吉川氏の居館跡(きょかんあと)です。平安時代末期の寿永2年(1183年)頃、源頼朝から駿河国吉河荘を所領として与えられた豪族 入江(いりえ)氏が地名の吉河(吉川、吉香)を名
静岡県静岡市清水区(旧清水市)吉川(きっかわ)の吉川氏館跡(きっかわしやかたあと)は、鎌倉幕府御家人で駿河国能島荘を支配していた吉川氏の居館跡です。吉川氏の本貫地(ほんがんち)で、代々160年間この地を支配。鎌倉時代前期の正治2年(1200年)におきた「梶原景時の変」(か
静岡県静岡市清水区(旧清水市)大内(おおうち)の梶原堂(かじわらどう)には、鎌倉時代前期の正治2年(1200年)に「梶原景時の変」(かじわら かげときのへん)で敗れ、自害した武将 梶原景時(かじわら かげとき)親子の墓があります。五輪塔(ごりんとう)1基と宝篋印塔(ほうきょう
静岡県静岡市清水区(旧清水市)梅ヶ谷(うめがや)の鹿島古墳群(かしまこふんぐん)は、古墳時代後期~終末期(6世紀後半~7世紀)頃の、横穴式石室を有する円墳数基で構成されています。鹿嶋神社が鎮座する小丘陵に分布していますが、何基の古墳があったのか不明です。須恵器が
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の山田ヶ谷南横穴群(やまだがやみなみよこあなぐん)は、丘陵斜面に掘られたA群1基・B群2基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)3基で構成されています。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の西ノ谷A横穴(にしのやえーよこあな)は、丘陵斜面に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。金山神社近くの南向きの丘陵裾が削られて、横穴墓の奥壁のみが残存。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の十二所居館跡(じゅうにしょきょかんあと)は、浅羽低地(あさばていち)の微高地(河川が運んだ土砂の堆積した自然堤防上)に築かれた中世居館跡です。諸井十二所居館(もろいじゅうにしょきょかん)、心宗院居館跡(しんそういんきょか
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の釜原城跡(かまっぱらじょうあと)は、菊川市(旧小笠郡小笠町)との境界付近の丘陵(標高66m)に築かれた連郭式(れんかくしき)の平山城(ひらやまじょう)です。昭和47年(1972年)に廃寺となった山田ケ谷の曹洞宗 聖道寺(しょうどうじ
静岡県静岡市駿河区有東(うとう)の有東砦(うとうとりで)は、室町時代中期頃(戦国時代)に駿河今川氏の家臣 福島氏が、今川駿府館の支城砦として独立丘陵の有東山(標高35.4m)に築きました。室町時代後期(戦国時代)の天文10年(1541年)、甲斐(山梨県)の守護大名・戦国大名 武
静岡県静岡市葵区大岩本町(おおいわほんちょう)の臨済宗妙心寺派 花屋山 富春院(ふしゅんいん)には、今川義元公慰霊塔(今川義元の墓)があります。境内の地蔵堂は、今川義元ゆかりの伝説がある墨崎延命地蔵尊(高さ約80cm)を祀る駿河一国百地蔵尊 第52番札所です。今川義元公
静岡県藤枝市立花(たちばな)の郡遺跡(こおりいせき)は、弥生時代から平安時代までを中心とする複合遺跡です。律令期(奈良・平安時代)には、駿河国益頭郡(するがのくに ましずぐん)の郡役所 益頭郡衙(ましずぐんが)が置かれていたと考えられています。出土した弥生時代の高
静岡県藤枝市南新屋(みなみあらや)の秋合遺跡(あきあいいせき、あきあわせいせき)は、国指定史跡 志太郡衙跡(しだぐんがあと、御子ヶ谷遺跡(みこがやいせき))に隣接する奈良・平安時代の遺跡です。発掘調査で見つかった井戸跡が、青島北地区交流センター「にこにこ広場」に
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の十石坂観音堂(じっこくざかかんのんどう)には、市指定文化財の河野蓀園碑文(こうの そんえん ひぶん)があります。江戸時代後期の文化8年(1811年)3月、駿府町奉行 服部久右門貞勝(はっとり きゅうえもん さだかつ)が『駿河
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
静岡県静岡市清水区(旧清水市)尾羽(おばね)の尾羽廃寺跡(おばねはいじあと)は、広義の飛鳥時代(592~710年)のうちの後半に相当する白鳳時代(7世紀後半)に建てられた寺院跡です。金堂跡(こんどうあと)・講堂跡(こうどうあと)・中門跡(ちゅうもんあと)などの遺構が発見され、
静岡県御前崎市(おまえざきし)は、離島を除き県内最南端の岬「御前崎」がある海の街として有名です。地名の由来は、御厩崎(うまやざき)から転化したという説があります。平安時代中期に編纂された古代法典『延喜式』(えんぎしき)には、白羽官牧(しろわのかんまき)が置かれ
静岡県島田市波田(はだ)の立石稲荷(たていしいなり)は、岩陰(いわかげ)に稲荷社(いなりしゃ)が祀られた磐座(いわくら、神が降臨する場所とされる巨岩)です。「波田のお稲荷さん」とも呼ばれ、商売繁盛・大漁祈願・家内安全などに御利益があるとされています。御神体(ごしん
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の祖父ヶ谷経塚(そふがやきょうづか)は、近世(江戸時代)の築造だと推測される経塚です。お経を扁平(へんぺい)な河原石に一文字づつ墨書(ぼくしょ)した、一字一石経(いちじいっせききょう)が出土。天災・飢饉(ききん)・疫病(えき
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗妙心寺派 吸江山 平田寺(きゅうこうざん へいでんじ)は、鎌倉時代の弘安6年(1283年)に龍峯宏雲(りゅうほう こううん)が開きました。平田寺の裏山には、西国三十三番観音霊場札所巡りにならったミニ巡礼コースがあります
静岡県島田市阪本(さかもと)の曹洞宗 京満山 法林寺は、旧幕臣の伊佐新次郎峯(岑)満(いさ しんじろう みねみつ)の墓所です。幕末の安政3年(1856年)、タウゼント・ハリスがアメリカ駐日総領事として来日し、曹洞宗 瑞龍山 玉泉寺(静岡県下田市柿崎)にアメリカ総領事館を開