備中高松城の攻防・宇喜多直家の病死
備中高松城跡高松城主清水宗治は地元高松では、己を犠牲にして城内の数千人を救った恩人として、今も人々の心の中に生きています。攻防中に直家は病死、蓮昌寺にて火葬。宇喜多系図の現代語訳から抜書きします。・天正10年(1582)4月、直家先鉾にて備中に入り、忍の城・土田城・小田城を攻め落とす。・高松城に取り懸かるに、城主清水長左衛門(清水宗治)よくこれを守る。・秀吉公この城水攻めの術をなすべくして三里余の堤を築き水を堰いる。・輝元諸将小早川等五万余り猿懸不動嵩・岩崎山に対陣す。・宇喜多直家病気につき、岡山に帰りて子息八郎秀家・岡豊前守等を差し添え、高松に遣わし八幡山に陣す。・直家病気重くして天正10年(1582)5月14日死去す、乱世により死を隠し夜隠蓮昌寺地内に火葬なり備中高松城の戦いは天正10年6月4日に清水宗治が...備中高松城の攻防・宇喜多直家の病死
2011/02/28 18:11