今年も残りわずか。2024は古刹・名刹の三重塔・五重塔を意識して巡った。お恥ずかしいことだが信心が深いわけでなく本堂や三重塔、五重塔が城閣のごとく好きなのであ…
伊豆修善寺への道中、函南市の慶音寺へ寄る。富士の大巻狩での曽我兄弟仇討事件の乱闘で、兄・曽我祐成を討ち取った仁田四郎忠常がここに眠る。忠常は、富士の大巻狩では…
亡き妻の故郷、そして義父母の眠る横須賀市浦賀の乗誓寺の住職は、かの曽我兄弟のご子孫という。知らなかった、境内に兄弟像が。意外、こんなところで曽我の兄弟に会える…
亡き妻の実家で懐かしく義弟夫婦らと談笑して、名残惜しく浦賀の地を後にする。今日の宿は娘夫婦孫の待つ鎌倉へ。コロナの影響で、この間浦賀にも鎌倉にもなかなか来れな…
館山市の館山城へ。山の上の模擬天守は高さ70㍍ほど。海が! 相模湾が一望!天守は小田原城がモデルという。天守からの海。山城の天守から大海原が望める景色が城めぐ…
投稿して2週間も連絡なし。ボツか…「仕方なし」とあきらめていたところへ連絡が。「ホホ、やった!」あな嬉し! さらに待つこと2週間、5月末の地元タウン紙に載った…
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今年も残りわずか。2024は古刹・名刹の三重塔・五重塔を意識して巡った。お恥ずかしいことだが信心が深いわけでなく本堂や三重塔、五重塔が城閣のごとく好きなのであ…
雪がぱらつく信州からみどりの木さんが届けてくれる関西方面の錦秋残るレポに惹かれ観心寺、延命寺へ一路 迎えてくれたのは観心寺門前の楠木正成公像、碧空、深い紅葉。…
2024墓参行。一番の衝撃は豊臣国松公墓所だったか。国松は享年7…。そして木曽義高12歳、平敦盛15歳、武田信勝16歳、さらにさらに…。幼な児の死はただただ……
はや師走。今年は7月来、病魔に次々と襲われ、入院こそしなかったが。医者通いとクスリ三昧の夏から秋。よって長く計画を練っていた奥州・蝦夷への長期遠征を断念、無念…
音に聞こえた絶景の山城、播州・波賀城(兵庫県宍粟市)へ。宍粟(しそう)市の市街から北へ数㌔、山城のかなりのところまで車で行けるという。嬉しいね。 ひろ~い駐車…
「まだ残っているか、紅葉の景が信州伊那の高遠に…」高遠といえば「天下一の桜」なれど、秋の紅葉や如何にと、久々高遠城へ、車を走らせた。おぉ、残ってた!桜の木々は…
なんとか間に合ったか! 木曽、義仲の里錦秋の候。木曽義仲の墓塔が立つ木曽福島の萬松山興禅寺へ。 境内入って勅使門のあたり。いい絵だ! 興禅寺は、京・竜安寺に負…
兵庫県のお寺やお城を巡ってレポしてる今、世の動きに目をやると…。 兵庫県知事選の結果の私の当てがはずれ、苦笑&憫笑、モチ自分自身にである。アメリカ大統領選も、…
「逆賊・明智光秀を祀る神社??」初めて見る高さ41㍍という壮大な福知山城の天守閣に驚いたのだが…。おぉ、小天主も。 まずは御霊神社をさっそく訪ねた。「逆賊・逆…
仙石氏の出石城にて仙石氏初代当主・仙石秀久を久々に思い出す。地元タウン紙の連載『信州往来もののふ列伝 巻39 仙石秀久伝』は2012年8月。その後拙著『信州往…
但馬国・豊岡市出石城へ。登城橋、登城門、左右の石垣が城郭の雰囲気。城は階段状、ひな壇のように山のふもとから石垣が作られているようだ。登城門をくぐると下の丸→二…
京都府舞鶴湾に面した舞鶴市の田辺城へ。あの豊臣有力家臣の細川幽斎・忠興が築いた城。築城当時は舞鶴湾に面した城郭だったという。田辺城資料館として再建された堂々た…
若狭の国へ、日本海を眺めながら小浜城へ。といっても今年の五月。小浜城は石垣が残り、天守台から海が望める。また小浜は、幕末の尊王攘夷運動の先駆者梅田雲浜のふる里…
今年も、我が新米を亡き母の実家へ「奉納」に。従兄夫婦が大規模な林檎園を経営していて…。お返しの美味しい林檎が目当て(笑)。 いつもながら昔話で談笑・哄笑して、…
真田昌幸から始まった真田一党伝、いよいよ最後のつわもの真田信繁(幸村)。真田の郷、真田三代レリーフ像左端は信繁なり!かつて高校生が描いてくれた信繁像。強そう!…
北信越秋季大会、松本第一、小松大谷高校を破ってベスト8に進出するも! あぁ、強豪・敦賀気比高校に敗れ、ベスト4ならず。夏に向かって頑張れ! 一方、先輩の牧(D…
真田一党伝、長く空いてしまった。この間、大河「真田丸」を見たがすっかり「忘れてて!」楽しく見れた(笑)。今日の主役、幸隆さんは出てこないが。 真田家・真田一党…
松本第一高校も、今はかなり施設が整った。学校近くには、ダイヤモンドがすっぽり入る室内練習場も。だがその後出来たグラウンドをみるのは初めて。「DeNAの牧選手の…
やったぁ!勝ったぁ!松本第一高校!長野県高校野球秋季県大会で優勝ぞ!準決勝で上田西高校を大逆転して勝利! 翌日決勝、松本国際高校を破って長野県大会優勝! 北…
「真田幸村と真田十勇士」!私の真田はこれ一辺倒で真田信尹(のぶただ)は長く知らなかった。2016年大河「真田丸」にて信尹を栗原英雄さんが扮し注目された。信尹は…
岡崎から北へ。豊田市の、今や何百(千)万石のトヨタ城下町のビル街、工場群を抜けて。豊田市寺部町の守綱寺。家康十六神将の一角「槍の半蔵」と敵味方に畏怖された渡辺…
今年も残り10日余り…、1年の総まとめを城郭巡りの回顧にて。きつかったなぁ…… 三峯城、佐和山城、佐伯城、思い起こしてもゥゥゥ…涙泪涕が。 尼崎城(兵庫県) …
今までの家康物のドラマの中で、家臣団と家康の物語がかなり詳しく描かれたこと、これがいちばん私は良かった! 特に「酒井忠次、榊原康政、井伊直政、本多忠勝」の四天…
「初代天皇は神武天皇」と知っていたが、そうか、生誕地は日向の地か。 奈良の畝傍山へ行った際、すぐ近くに「神武天皇陵」が、壮大にして静寂の中にあった。初めてここ…
4日ぶり、九州西国行レポへもどります。 一路、宮崎市内から都井岬の野生の馬へ会いに出陣。おおげさだけど、小学校以来の「ゆめ」だった。野生の馬を見ることが。「へ…
「おい、静かに、走るな、危ない!」孫たちの喧騒そのまま、みなで会場前へ行くも、場内のぞくと講演中にて静か、かなりの聴衆が。 ここは日比谷図書館文化館コンベンシ…
「赤松小三郎って、知ってる?」娘息子孫、友人知人…、何人かに聞いた。「ウーン…分からない、知らない」。私の「赤松小三郎伝」が載ってる拙著を持っていても、これで…
宮崎市から南へおよそ40㌔の日南市の飫肥の城下町。観光客がそぞろ歩きしている街並みを飫肥城の大手門へ向かう。 飫肥城は、戦国時代に島津・伊東氏が争ったが、秀吉…
10月1日レポです。所は九州、日向国。延岡城から佐土原城へ。今旅の最初、関ケ原古戦場で墓参したあの島津豊久が一時城主であったという城。復元された鶴松館御殿の前…
きのう(9月29日)、登城に喘いだ豊後・佐伯城。松本城主だった石川康長は、1614年に改易され、ここ佐伯城下へ配流された。昨2022年、康長公の位牌を安置する…
「本丸まで20~30分ぐらい」と地元の方。ウーン…、帰ってこれるかが不安。しかし、本丸の石垣を下から仰ぎ見ると、登ってみたい。 標高140㍍。「行くぞ‼」。 …
魔女様から万葉秀歌について、さまざま教えていただき。また奈良へ行かないとなぁ、などと思いつつ…、自分の寿命を思いつつ…。四国路をクルマを西へ走らせる。 今治城…
「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」高校時代、古典の先生が天井を見つめながら、酔ったようにこの額田王の歌を…
屋島城で熱暑にうたれ、ホテルではバタンキューダウンだったが、翌日なんとか快復!西へ一路、四国中央市の川之江城へ。瀬戸内海が天守から一望とか。おぉ、模擬天守が碧…
九州へは四国の伊予・八幡浜港からフェリーで渡る予定にて、明石海峡大橋を通過、淡路島から四国へと向かう。 淡路島の、道の駅・あわじから美しい瀬戸内海を望むも、世…
旧友・整ちゃんの逝去にずっとこだわりながら…。取り残されたごとく自分は生きている、ズルズルダラダラ生きていくのか。旅の途中訃報に接した西国九州の旅レポ、もう旧…
旧友の急逝にあたり、ブロ友様各位からお悔やみ・励ましの言葉をいただきました。ありがとうございました。一つ一つ返信も出来ず、ダラダラと日を過ごして、すみませんで…
ついに来た!ここへ来てみたかった!今、南さつま市にて書いています…。 何回も日本への渡航に失敗、盲目となっても頑強な意志でついに日本へきた鑑真和上。その鑑真が…
後醍醐天皇・南朝を強力に支えた四人の武人を、後世、略して「三木一草」と称し、讃えた。結城親光(ゆうきのき)、 名和長年(伯耆守のき)、楠木正成(くすのきの木)…
東日本大震災の翌年、長駆、石巻市の大川小学校へ向かった。児童・先生80名以上が犠牲となったという強烈な印象が残っていて、北上川河口近くの小学校へ行ってみたかっ…