高3生たちの大学受験が始まり、 自習室に来る彼らの顔つきが 変わってきた… 今は塾の授業はなく 3階の自習室から1階にある事務室を 何度も往復し ひたすら赤本をコピーし 問題を解いている
早稲田大学卒.在学中に塾の講師となり、現在、埼玉県鴻巣市で稲穂進学予備校を主宰。
埼玉県鴻巣市で30年の歴史を持つ学習塾です。 入塾時の学力の制限を一切廃して、中学受験、高校受験、大学受験まで対応。塾長以下ベテランの講師たちが毎日夜遅くまで指導しています。生徒ひとりひとりが卒塾するまでに各自の目的を遂行していきます。
高3生たちの大学受験が始まり、 自習室に来る彼らの顔つきが 変わってきた… 今は塾の授業はなく 3階の自習室から1階にある事務室を 何度も往復し ひたすら赤本をコピーし 問題を解いている
先日、私どもの通信制高校を 卒業し、大学に進学した K子の母親から ラインで連絡がある。 着物を着たK子は 少し、恥ずかしそうに笑っている 成人式の写真であろう ラインには 今、元気で
確かに 何のために生きるのか? という身勝手で、手前がってな 自己完結の生き方より 君たちはどう生きるのか? と、問いかけた方が いいのかもしれない… 若い頃の 自分は 朝に道を聞か
今日は通信生の生徒たちと 年内最後の特別活動として 今年の春から借りている 菜園で春に植えた里芋を収穫した 内心、地中の中で ドッサリとその実力を 示す里芋を 大いに期待していたが、
洋の東西を問わず 古代、支配者が支配者 足り得たのは 雨を降らすことであった… 逆説的に言えば いざというときに 雨を降らすことのできない支配者は その座を奪われていった… そればかりか
自分が、この歳になっても 塾生や通信制の生徒たちに 教えているのは 意識の変革に他ならない-… ありがたいことに、 優秀かつ熱心な先生たちのおかげで 生徒一人一人が、 それなりの成績を
昨日は 少し気になる生徒を教えたあと 約束していた ある高校の校長と飲んだ 当然、現役の方なので 自分よりも若いのだが、 若くして校長という重職に就くのだから 優秀かつ人間性に溢れた人で
10月の終わりからずっと 高校進学相談会 鹿島学園通信制の 個別相談 中学生の三者面談等で つっぱしってきた… 先週は身も心もぼろ雑巾状態であった その中でも、ありがたいことに 小6のY君
勉強するということは 知識の総量を いかに増やすかということになるのだが その知識が社会に貢献しなければ 全く意味がない… 若い頃は そのような考えかたが とても嫌だった すべての物事
日々、肌寒くなるこの頃であるが 生徒たちを見ていると みな、元気である。 中学生の中間テストは中高一貫の 公立は、別にして終わり 今週は高校生の中間テスト期間となる。 自分の担当する高2のO
このところ 中3生の顔つきや 授業に向かう態度が変わってきた… 昨日、T男が私に話があると言うので 何かなと思ったら 夏休み明けに中学校で受けた 実力テストの結果を見せ 夏休みにあれだけ勉
このところ 中3生の顔つきや 授業に向かう態度が変わってきた… 昨日、T男が私に話があると言うので 何かなと思ったら 夏休み明けに中学校で受けた 実力テストの結果を見せ 夏休みにあれだけ勉
R.Cサクセションの 「僕の好きな先生」という歌がある 初めて聞いたのは 高校3年生の時だと思う いや、浪人の頃か…さだかではないが 忌野清志郎のあのブルースぽい 声と 情景が目に見える歌詞
今日は台風が近づき どうしょうかな? と思いもしたが 教える約束した生徒の顔を思いだし、 鴻巣に… 月曜日は自分の担当する 授業はないのだが 少し気になる生徒を 一本釣りで教えている
この年になるまで 自分という存在を 曲がりなりにも 認めていただいた 人びとに 少なくとも自分はその恩を返さなければならない… すでに遠く彼岸に行った人たちに 自分はなぜ今、存在している
9月に入り 中学3年生の顔つきが 少し変わってきた… 夏休みにあれだけの時間を 費やし、勉強することの意味や意義を 考えさせ 少しづつ顔つきが変わってきた。 高3は優秀である 毎日、自習室
歌を忘れたカナリヤは 後ろのお山に棄てましょか いえいえそれはなりませぬ 歌を忘れたカナリヤは 背戸の小藪に埋け(埋め)ましょか いえいえそれもなりませぬ 歌を忘れたカナリヤは 柳
夏期講習も なんとか無事に終わり 学校説明会やお盆休みで 欠席した生徒たちの補講も あらかた終わった。 このコロナ禍で 塾も例外にもれず 生徒やその家族 講師の家族がコロナにかかり
この塾は 下は小学6年生から 上は高校3年生まで在籍しているが 今年の高校3年生は特に優秀である だからという訳ではないが 彼らにさらに快適な空間を 提供すべく 奮発して3階の自習室の エ
ずいぶん前から1週間が 1か月が、そして1年が あっという間に 過ぎ去っていく感じがある アインシュタインではない このぼんくらな頭では 時間は常に平等に流れていると思いきや そうではない
先週、今は大学3年生になるR男と 高校2年生になるK子の母親が 久しぶりに塾を訪ねてきた 一番下の中1のお嬢さんの件である。 話の途中、母親が言うには 7年前にまだ中学生だったR男の面談の際、
今、読んでいるのはフロイトから 袂を別れた「アドラー心理学」について のものだが、 以前から、自己啓発に名を借りた 胡散臭いセミナーに騙される若者がいて この思想の元はなんだろう?と 思っ
先週から高校生の 今週は中学生の中間テスト 自分も含めて6人の先生たちが 少しでも 生徒たちに良い点を取らせるために 授業時間外に呼んで教えている。 試験前のいつもの風景である・・・ 今年
今日は連休中に やっておかなければならない 最後のこととして 車を飛ばして 千葉の館山に行く 主のいない敷地は 春に来たときは違い 雑草が生い茂り荒れ放題であった その旧い母屋の 鴨
連休中 近くの銭湯に行く 土曜日には、孫の空ちゃんと銭湯に行った 「じじは銭湯友達がいる?」と聞かれ 「最近、いるかな、じじよりもうんと年の上の 外国のおじいさんだけど・・・」 その老人は、話
塾の授業も通信制の授業も ゴールデンウィークで休みとなった 日本人は一斉に休み 一斉に行動するのが常であるから 期間中はどこへ行こうが 混雑する 少しはこの行動形態を考えた方がいい・・・ 4
ニュースを見る限り 世界経済は円安で ドル買いが増え 以外にルーブルは安定しているのだと言っている マキャベリ的に言えば 一朝ことがあれば、 義を見てせざるは勇なきなり より 衣食たり
この塾ですでに18年近く 事務をしてくれる 今井さんから. 今度、新しく入塾してくる Y子のお父さんは この塾の元塾生ですよ、と聞き Y…Y…Y…と昨日から 記憶の底を たどっていたのだが、
先週、金曜日は 埼玉公立高校の合格発表日 朝方、まだ世田谷にいた私のところに K子から携帯に連絡があった。 埼玉でも難関校に入る私立のSY高校を 一般で合格し、その余勢をかって 県内でも毎
昨年の連休頃に ウクレレを始め 不登校の中学生のS君と 何か心が、通じるものがあればと思い もう一台買い You-tubeで習いながら 勉強を教える 合間に にわか先生で一緒に 楽しんでいた
神は超えられない試練など 与えない というのは嘘である… 近代以降、神の存在は 人間の欲望のままに その存在を利用されてしまったが すでに19世紀後半 ニーチェが指摘したように 神は死ん
その考えが いかに稚拙であっても いや、稚拙だからこそ自分の 心をわしづかみにするのだろうが 生徒たちの質問はおもしろい。 自分も面白がって 授業をしている… 今週は3回にわたった オー
自分が67歳の 現役講師でいられるのは 常に生徒たちから 「教えていただく」からである それは言葉どおり 私の知らないことであったり 彼らの感受性であったり 彼らの見せる、一瞬の ちょっ
今日は通信制の高校生の 特別活動のため 午前中に世田谷の家を出る 生徒たちと「書を捨て街に出よう」 といきたいものだが 緊急事態宣言が解除されたとはいえ このコロナ禍ではいささか 躊躇す
今週は 教員希望の高3のT子が 指定校推薦で 学習院の教育学部に 内定し バングラデシュ出身の O.兄妹の二人が この塾に併設している 鹿島学園通信制の 9月卒業がなんとか決まり 地元
今週から中学3年生の三者面談 昨日月曜日は 祝日ということもあり 午後から夜まで 16人の保護者と話す 最後は目がしょぼしょぼして さすがに疲れた が、保護者の半分は 自分が若い時に教え
自らの時間と金を交換し 働き、その対価として金を得る そして、その金で物を消費する・・・ 今まで自分もそうやって生きてきたし これからもそうは変わらないだろう・・・ が、このコロナ禍や気候変動は
黒澤明の名作のひとつに 「生きる」という映画がある 役所の定年間近の主人公が 自らの癌を知り 今までの役人根性を恥じ 病を押して、子供たちのために 命をかけて公園を作る話なのだが 今春、
夏期講習も無事終わり 週末はオリンピックを 見ながらゴロゴロしていた そして 旨いビールを飲む ただそれだけのために 夕陽の落ちる前に近くの銭湯に通った。 一番、期待というか このメン
先先週、大手町にある自衛隊の 大規模接種会場で 2回目のワクチンを打った 翌日から熱が出て 体がだるい 自分も人並みであることに 今更ながら苦笑した なんとか乗り切ったが その間は
いわゆる生きとし生けるものは いくら傷ついても その修復を図るものである 結果として それは生命のリレーとなる 人間の子とは そのような一つの 生命体なのだ 決して機械では、ないはずで
先週はよくTVに出てくる 大手町の大規模接種会場に行き コロナのワクチンを打ってきた 数日、少しだるいような気もしたが、 おかげさまで無事である・・・ やはり70%ぐらい接種率を上げないと 集
"Guaranteed" On bended knee is no way to be free Lifting up an empty cup, I ask silently All my destinations will accept the one that's me So I can breathe 膝をついては自由になる術はない
明け方、久しぶりに 30台の終わり頃 インド・ネパールを旅した夢を見た・・・ デイパックごと 財布やパスポートを盗まれた それでもなんとか 目的地に着こうとするのだが やっと目的地に 着い
今、世界で起きている 気候変動や コロナ禍で はっきりとしたことは 問いに対して用意した 今までのソリューションは 用無しになったことかもしれない・・・ 毎日TVで 芸能人が気の利いた
「善人なをもて往生をとぐ いはんや悪人をや」という 聞いた、誰もの度肝を抜く 信仰のパラドックスが書かれた 歎異抄(たんにしょう)は ご承知のように 鎌倉時代後期に 弟子の唯円によって
30年ほど前に 塾の記念樹として植えられた 木蓮の白いつぼみが 春の饗宴を前に 風雨にさらされている・・・ が、もう、あと数日もたった ある暖かい日には その白い肉厚の花弁を 絢爛に咲か
明後日、水曜日は 鴻巣準看護学校で 特別授業をする 昨年のうちにお断りした 経緯があったのだが また頼まれた… ということで 今はその授業のことで 頭はいっぱいだ 互いに、このくそ忙
自分は土日の休日には なるべく近くの銭湯に行く 世田谷の この地域にはまだ細々と 銭湯がある 話は変わるが 最近、10年以上乗ったfitから 中古の国産セダンに 乗り換えた ここ世田谷は
物を知っている つまり知識の塊のような人は 世の中にはたくさんいる。 学歴も 申し分ない… しかし知識の行方は ノートや教科書や参考書を 離れた行動であり、 弱者の痛みを共有することで
年末から始まった冬期講習も終わり 一昨日から平常授業に戻った 昨日は世田谷の家を出て 鴻巣に行く前に 原宿でおり 明治神宮に行く 冬枯れた森の 木々を吹き渡る風は 冷たく、ボブ・デュラ
塾というのは いや、少なくともこの塾は いつも思うことだが 知識の垂れ流しをもってして その対価を得ることを 良しとはしないにもかかわらず、 今年はこのコロナ禍の中でも 多くの生徒を預け
自分は 決して理系の人間ではないけれど 昔、テレビやラジオの 裏の怪しく光る真空管に 心をときめかせる 少年の一人だったことは 言うまでもない。 今、振り替えれば あまりに牧歌的な世界
楽しいから笑うのではなく 笑うから楽しい 悲しいから泣くのではなく 泣くから悲しいのかもしれない つまり私たちは 脳が感情の指令を出していると 思いがちだが 実はそうでもないのかもしれな
月日があっという間に 過ぎ去っていく・・・ こんないい天気には 斎藤和義の歌ではないが 少しボーッとしながら 「走る街を見下ろして 雲がのんびり泳いでゆく 今日は歩いて帰ろう 歩いて帰ろ
自分は 生徒を比較はしない なぜなら自分もまた 自分という存在を 他の誰かと比較されるのは嫌だし 教えるという行為は 比較することではなく 個がどれだけ それなりに伸びていくかが 大
塾であるから 知識を教える それはそれでいい が知識はつねに What forであることを いい教師は 問い続ける 知識の行方とは 現在を肯定するものではなく また否定するものでもなく 疑
昨夜は少し時間があったので 久しぶりに寿司屋のかね八に 顔を出す 二代目も我が塾の生徒である そして時が過ぎ 今では、二人の小さな息子の父である。 自分はくれば必ず500円玉を 二枚用意し
今週の月曜、火曜日の 旗日の休日は 高校受験の中学3年生の親や 中学受験の親 大学受験の親と面談した 当たり前のことだが それは普段の授業よりは はるかに疲れる 人が、発するエネルギー
今宵、maykissのシェフの 堀田さんから電話があり 塾の元保護者であるKさんと 3人で飲むことになった Kさんは元塾生の父でもある その一人息子を 事故で失った… それから10年以上経つだろう
いずこも そうであろうが この夏はコロナ禍で 夏休みのスケジュールが 変更され 塾の夏期講習も かなりハードなスケジュールとなった その間、ブログを書く心の余裕もなく 日々、生徒を教え
考えは言葉となり、 言葉は行動となり、 行動は習慣となり、 習慣は人格となり、 人格は運命となる。 とはイギリスの元首相で鉄の女と言われた マーガレット・サッチャーの 言葉であるが、
私たちの未来は 環境的に 政治的に 経済的に どんなに変わろうと 学問の本質はリベラルアーツにある それは知識が 個人の立身出世を 離れて 社会に貢献することかもしれない 人が生き
近いところでは 1980年代の 実体経済のない バブル経済の 終焉や 2008年のリーマンショック 2011年の東日本大震災 そのつど私たちは 路頭に迷う… こうすればああなるという 予定調和
先週、外装工事も終え 中学受験のクラスを教えていると 事務の今井さんとこの塾に 30年近く講師としている F先生があらたまって 「塾長、塾をきれいにしていただきありがとうございました❗ 講師一
塾の外装工事もほとんど終わった。 職人が数千枚のレンガを一枚一貼っていく様子は 日々、感動であるが その前のレンガをはる墨付けや 材料を無駄にしない段取りにも 職人の心意気を感じる 何事も
今日は久しぶりに 中3のある生徒を 叱咤した この塾は自分が塾長であるかぎり 勉強ができる、できないで 君たちを見ているわけではなく それぞれが自分なりに そのスタートラインから どれ
どう考えても このぼんくら頭の 自分には 知の本質は 自分への限りのない洞察と 弱者へ共感であると思う それなくしては 知は無用の用となる 今日、みな元気に 中3生の2クラスが、塾に
政府の自粛要請が 解かれることを前提に 塾の方も6月1日から zoomを使ったオンライン授業を をやめ、対面の授業形式に切り替わる こととなった。 中学生や高校生によれば 学校の方も1日から午前
さて今週から 塾の外装工事が始まった 今はオンライン授業だが 生徒たちが 通塾できる頃には レンガが貼られた おしゃれな建物になるだるだろう その様子は 少しずつ報告したい ところで
入試がすべて終わり 生徒や保護者への責任を 果たしたら そして新年度の募集も 8割がた埋まり 熱心な講師たちの今年度の仕事も確保できたら 自分には2つしたいことがあった 1つは築30年の塾
都知事の小池某曰く 9月入学について 「こういう時にしか社会って変わらないんじゃないか とも思うし、その一つとして、ありではないか」 とのコメントを聴き 彼女が政治家として 無能か有能である
不謹慎な言い方になるが この新型コロナ渦で 休日なのに 外にも出ることもはばかれて TVを見るか、老眼をかけて本を読むか ネットをするか、酒を飲むか だいたいこんなものである・・・ いずこも
いわゆるゲームに出てくる パーソナリティーが リアリティーを持てば持つほど それは現実から遠くなる ただ 注目すべきは そのパーソナリティーに ゲームをする者の 代弁を つま
今週から塾では 一部の授業を除き 塾の授業はzoomを使った オンライン授業なのだが 今日、自分が授業した ものを リアルタイムで見ていたが 塾長として これがお金をいただくに値する 商
現行憲法を姑息に変えながら 自粛強制は憲法違反だというのは 情けない。 あまり政治の話は したくはないが 自分と同じ年齢の プライムミニスターには 呆れてしまう 天災ならまだしも こ
この状況で 教えることを中断せずに かつ、塾を存続させるには どうしたらいいのか 試行錯誤の日々だったが 来週からのほとんどの塾の授業を オンライン授業ですることになった。 この3週間は
受験ロードの最後の結末は 高3のSが日大に 同じくT男が 何とか北里の看護学校に滑り込み 終了・・・した 特にS男については中学2年の時に 不登校になり、いまの彼からは 誰も想像さえできないだ
答えはもちろん水になるのだが 氷が溶けたら春になる というのも 少し肩透かしされたような気もするが 考えさせられる… 春だというのに 心は重い それは人生でおそらく初めての 選別であ
衣食足りて礼節を知る とはお隣の中国の言葉だが 残念ながら いつの世もそれはかなわない ただデマや流言飛語だけは せっかくホモサピエンス から進化した私たちにとって それを善しとすること
緊急告知 政府発表のコロナウィルス感染拡大防止を目的による 3月2日からの小・中・高の休校に関連した当早稲田国際学園の 対応を次のようにいたします。 3月2日以降の塾の授業に関しましては通常通り行い
高3生は受験真っ最中 中3生は今月28日に 公立高校の受験を控えている。 今日は祝日だが 塾も朝から教室を開放している 昨夜、授業中に電話が鳴った 「塾長、とりあえず滑り止めの2校が合格しました
情けない話だが 自分の娘たちには 教えるというより 自分が教えている姿しか 見せられなかったが 彼女たちの中に 尊敬できる存在があれば うれしい。 今日は鴻巣準看護学校の 特別授業も
昨年末からの冬期講習も終わり センター試験や 中学3年生の私立高校の受験も終わったが 昨年末からずっと頭の中にあるのが 今週にある鴻巣準看護学校での 特別授業のことである・・・ 今春卒業してい
「学校で勉強なんかしなくても 実社会で体得する直感や経験則のほうが 生きていくうえでずっと有効なのではないか 」という問いかけに 筆者は次のように答える 「いいえそれは違うと思います かつ
昨日もまたかくてありけり 今日もまたかくてありなん… 藤村の千曲川旅情の歌の ありけりのけりは 詠嘆の助動詞のけりで あることを教えてくれた 我が心の師もすでにいないが 今日もまた 経
しっかりとした料理人なら 自らの扱う素材が、 マーケットで売られるような サランラップで包装された 生命の一部ではなく それが命の結実である 全体をイメージし 感謝し、人様に具することが
一昨日、3階のフリースペースで 難関私立を受ける 中学3年生のKの 英語の長文を 教えている傍ら、 同じようにS先生が 高校3年生のO子に英語の長文指導をしている お互い知り合ってかれこれ38年
中学3年生の期末テストも ほとんど終わった 後は受験に向け 学力をつけるのみだ 教科書の内容も塾では ほとんど終わった 昨日、数学の標準クラスで 期末テストが終わったばかりの 中学3年生
自分の指導者としての イメージは 尊敬されるべき対象ではなく 大人になったときに ふと思いだし にゃっと笑える 軽い存在がいい というのも自分が 今、少なからず、塾教師としてあり得るの
【館山の海に浮かぶ帆船】 昨日は先生方と 事務の今井さんに塾を任せ 車で館山に行く 父は36年前に 他界したが、私には母が二人いて いずれも90になる いわゆる産みの母と育ての母である…
毎年、この時期になると 埼玉北部の有志の塾が主催する 進学相談会が熊谷のホテル、マロードインで開かれる 昨日は日曜日で身体を休めたかったが 私どもの生徒もたくさん参加するので 朝から世田谷を
この数週間は 公私ともに忙しくしていて 少し体調を崩し、先週は人生で初めて 病院で点滴をしてもらった。 さて、塾の話である 中学3年生のT子が 何か言いたげに 私と事務の今井さんの前に立
ラグビーワールドカップが 日本の善戦とともに 盛り上がっている 昔、学生の頃 ラグビー部に体験練習に誘われ 練習試合で フォワードでスクラムを組み あまりの苦しさと このまま顔面から
塾の外で自転車の整理をする 早いもので来週は秋分の日である 陽も随分と短くなったようだ どこかで秋のおとづれを知らせる コオロギが鳴いている・・・ さて 思考は現実になる BSのNHKの特
夏休みも終わり 塾にも「平常」が戻ってきた というのも 夏休みの間は 夏期講習と平常授業のほかに 自主勉強をする中・高校生のために 先生方が毎日交代で 月曜から金曜日の朝10時に塾をあけ
自分とは何か? 自分の判断が 適切だった?のか 常に自分を疑ったほうがいい 自分には心があり 意識があるが 心も意識もどうも信用できない… 人間のすることは 理不尽であり 理解不能だ
自分の40年近くになる 生業(なりわい)としての 仕事は生徒を集め 教え、時には 預言者のごとく 時には 太鼓持ちのごとく また時には 教育者のごとく 時には芸者のごとく つまりは
この現実を前に 金に翻弄される人生なら 時間に翻弄される人生なら 学歴に翻弄される人生なら 拭いきれない愛情に 翻弄される人生なら つまりはギリシャ神話の パンドラの箱の寓話にて 少し
今日で中学生の夏期講習5日目 中学3年生は朝10時に来て 午前中はテストと解説授業 昼食をはさんで 午後から70分授業を5限 午後8時に終了し それから宿題をしたりして 午後10時近くに
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高3生たちの大学受験が始まり、 自習室に来る彼らの顔つきが 変わってきた… 今は塾の授業はなく 3階の自習室から1階にある事務室を 何度も往復し ひたすら赤本をコピーし 問題を解いている
先日、私どもの通信制高校を 卒業し、大学に進学した K子の母親から ラインで連絡がある。 着物を着たK子は 少し、恥ずかしそうに笑っている 成人式の写真であろう ラインには 今、元気で
確かに 何のために生きるのか? という身勝手で、手前がってな 自己完結の生き方より 君たちはどう生きるのか? と、問いかけた方が いいのかもしれない… 若い頃の 自分は 朝に道を聞か
今日は通信生の生徒たちと 年内最後の特別活動として 今年の春から借りている 菜園で春に植えた里芋を収穫した 内心、地中の中で ドッサリとその実力を 示す里芋を 大いに期待していたが、
洋の東西を問わず 古代、支配者が支配者 足り得たのは 雨を降らすことであった… 逆説的に言えば いざというときに 雨を降らすことのできない支配者は その座を奪われていった… そればかりか
自分が、この歳になっても 塾生や通信制の生徒たちに 教えているのは 意識の変革に他ならない-… ありがたいことに、 優秀かつ熱心な先生たちのおかげで 生徒一人一人が、 それなりの成績を
昨日は 少し気になる生徒を教えたあと 約束していた ある高校の校長と飲んだ 当然、現役の方なので 自分よりも若いのだが、 若くして校長という重職に就くのだから 優秀かつ人間性に溢れた人で
10月の終わりからずっと 高校進学相談会 鹿島学園通信制の 個別相談 中学生の三者面談等で つっぱしってきた… 先週は身も心もぼろ雑巾状態であった その中でも、ありがたいことに 小6のY君
勉強するということは 知識の総量を いかに増やすかということになるのだが その知識が社会に貢献しなければ 全く意味がない… 若い頃は そのような考えかたが とても嫌だった すべての物事
日々、肌寒くなるこの頃であるが 生徒たちを見ていると みな、元気である。 中学生の中間テストは中高一貫の 公立は、別にして終わり 今週は高校生の中間テスト期間となる。 自分の担当する高2のO
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R.Cサクセションの 「僕の好きな先生」という歌がある 初めて聞いたのは 高校3年生の時だと思う いや、浪人の頃か…さだかではないが 忌野清志郎のあのブルースぽい 声と 情景が目に見える歌詞
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9月に入り 中学3年生の顔つきが 少し変わってきた… 夏休みにあれだけの時間を 費やし、勉強することの意味や意義を 考えさせ 少しづつ顔つきが変わってきた。 高3は優秀である 毎日、自習室
歌を忘れたカナリヤは 後ろのお山に棄てましょか いえいえそれはなりませぬ 歌を忘れたカナリヤは 背戸の小藪に埋け(埋め)ましょか いえいえそれもなりませぬ 歌を忘れたカナリヤは 柳
夏期講習も なんとか無事に終わり 学校説明会やお盆休みで 欠席した生徒たちの補講も あらかた終わった。 このコロナ禍で 塾も例外にもれず 生徒やその家族 講師の家族がコロナにかかり
この塾は 下は小学6年生から 上は高校3年生まで在籍しているが 今年の高校3年生は特に優秀である だからという訳ではないが 彼らにさらに快適な空間を 提供すべく 奮発して3階の自習室の エ
ずいぶん前から1週間が 1か月が、そして1年が あっという間に 過ぎ去っていく感じがある アインシュタインではない このぼんくらな頭では 時間は常に平等に流れていると思いきや そうではない
神は超えられない試練など 与えない というのは嘘である… 近代以降、神の存在は 人間の欲望のままに その存在を利用されてしまったが すでに19世紀後半 ニーチェが指摘したように 神は死ん
その考えが いかに稚拙であっても いや、稚拙だからこそ自分の 心をわしづかみにするのだろうが 生徒たちの質問はおもしろい。 自分も面白がって 授業をしている… 今週は3回にわたった オー
自分が67歳の 現役講師でいられるのは 常に生徒たちから 「教えていただく」からである それは言葉どおり 私の知らないことであったり 彼らの感受性であったり 彼らの見せる、一瞬の ちょっ
今日は通信制の高校生の 特別活動のため 午前中に世田谷の家を出る 生徒たちと「書を捨て街に出よう」 といきたいものだが 緊急事態宣言が解除されたとはいえ このコロナ禍ではいささか 躊躇す
今週は 教員希望の高3のT子が 指定校推薦で 学習院の教育学部に 内定し バングラデシュ出身の O.兄妹の二人が この塾に併設している 鹿島学園通信制の 9月卒業がなんとか決まり 地元
今週から中学3年生の三者面談 昨日月曜日は 祝日ということもあり 午後から夜まで 16人の保護者と話す 最後は目がしょぼしょぼして さすがに疲れた が、保護者の半分は 自分が若い時に教え
自らの時間と金を交換し 働き、その対価として金を得る そして、その金で物を消費する・・・ 今まで自分もそうやって生きてきたし これからもそうは変わらないだろう・・・ が、このコロナ禍や気候変動は
黒澤明の名作のひとつに 「生きる」という映画がある 役所の定年間近の主人公が 自らの癌を知り 今までの役人根性を恥じ 病を押して、子供たちのために 命をかけて公園を作る話なのだが 今春、
夏期講習も無事終わり 週末はオリンピックを 見ながらゴロゴロしていた そして 旨いビールを飲む ただそれだけのために 夕陽の落ちる前に近くの銭湯に通った。 一番、期待というか このメン