梵舜との関係を確認するために、舜旧記に登場する人の当時の地位・年齢等を調べ始めた。まず、1年ほど前に書いた寛永八年二月二十七日の<「國土記」と令(しむ)>に記載のある「花山院」、次の廿八日「浄勝院」・廿九日「西洞院」から。花山院:鎌倉時代中期以降に家の号として用いられるようになった。『舜旧記』に登場する花山院は翻刻には「定好」と注記があり、自分の下調べと合致!21代当主。『公卿補任』によると、寛永七年権中納言従二位三十二、寛永八年権大納言従二位三十三。このことから寛永八年二月には権中納言従二位であった。廿八日次浄勝院依不例、為見廻餅一重進之了浄勝院:吉田兼治の妻・伊也(細川幽斎女)。卜部家系譜によると兼従(兄・兼見の子兼治の子)の母。1568~1651。当時63歳。廿九日次西洞院松庵来儀也、暫雑談也、晩食...『舜旧記』の登場人物