見るとなく池を眺むる秋思かな一平(みるとなくいけをながむるしゅうしかな)・・・・・・・雨模様の日であった。今日こそはとの思いで、午前中、お寺参りに行ってきた。忙しそうなご住職とも話ができて、有意義な日であった。寄り道もせずに帰ってきたので、雨にも遇わず、ラッキーだった。しかし、多少は疲れた。情けないことだ。秋の池
大晦日が迫ってきました。そんなとき、パソコンの写真を処理する機能が、壊れてしまいました。(私の操作ミスが原因です)今や、いろいろな人たちのアドヴァイスを頂かないと回復できない状態です。その人たちは年末年始の休暇に入ってしまい、私の力では如何ともなし難い状態です。私にアドバイスを下さっていた方々が、正月が明けて出社されるまで、このブログをお休みとさせていただきます。読者の皆々様には、どうぞ良いお年をお迎えください。私もしっかり休養し、一月のなかば頃には、カムバックするつもりです。良いお年をお迎えください
哀しみは語るべからず枯芙容ひよどり一平(かなしみはかたるべからずかれふよう)・・・・・・・喜寿だの米寿だのと生きて来れば、出会う哀しみは数えきれず。そんな一つ一つを口にしたらキリがない。言えば哀しみは増えるばかりだ。そんなものは、人生の道端にある枯草みたいなものかもしれない。・・・・・・・体調不良でウダウダ言っていたら、若い友人からガツンとやられた。「私はあなたの年齢ほど生きられないかもしれないけれど、そんなことを気にしていたら、日常が楽しくは廻らない」なるほど、なるほど、それは、そうだ。そんなものかも知れない。どうせ、なるようにしか、ならないのだから。少し胸のイタミが軽くなった感じがする。日常を楽しく充実させるには、細かな体調不良なんぞにイチイチ悩まないほうがいいですよ」なるほど、そんなものかも知れぬ。哀しみは語るな!
寒禽を見やる漢の孤独かなひよどり一平(かんきんをみやるおとこのこどくかな)・・・・・・・この小鳥の名前を知らない。雀のようだが、違うかもしれない。小鳥にしても、花にしても、知識が乏しいので、おおいに困っている。知識が乏しいというより、勉強をしないでいい加減に処理をしているところに問題があるのだ。写真を撮ったり、俳句を作ったりということに趣味があるのなら、植物の名前や小鳥の名前などにも興味を持たないといけないのだ。万事に中途半端なところに、問題があるようだ。・・・・・・・コロナ禍に伴う2年ほどの禁足の結果、カラオケの歌唱力がかなり下がった。私の場合、ひと様と競争したりコンクールに出たりということは考えてはいない。しかし歌うからには、昨日の自分を乗り越えている今日の自分を見たいと思っている。他人に見せたいわけでもな...寒禽
にんげんも水仙もみな嫌ひな朝ひよどり一平(にんげんもすいせんもみなきらいなあさ)・・・・・・・雨模様で、ひどく寒い朝だった。ところがどうだ、今頃になって晴れている。私は騙された。こんな朝はすっきりしない。だから、嫌いだ。今日は雨が降らないと言って、出かけようとした家内に、「降るから傘を持って行け」と言った手前もある。今になって、わが部屋に差し込む日差しのこの柔らかなこと。どんなに暖かくても、こんな朝は嫌いだ。みな嫌い
冬の薔薇心細さを隠さずにひよどり一平(ふゆのばらこころぼそさをかくさずに)・・・・・・・歩いていたら、冬の薔薇に出合った。心細げに咲こうとしていた。「無理をして咲いてくれなくてもいいんだぞ」と声をかけたくなった。つらいときには「つらい」と言って、じっとしていていいんだぞ。今、私もつらい。だから、じっと我慢だ。いつまで我慢すればいいのか判らない。死ぬまで我慢かもしれない。でもほかに方法がないから、我慢をしているのだ。我慢以外に方法がないというのも、なかなかつらいものだ。じっとしていていいんだ
柚子湯して午後を豊かに過ごしけりひよどり一平(ゆずゆしてごごをゆたかにすごしけり)・・・・・・・数個の柚子を湯船に浮かべ、首まで湯に浸かった。それだけで、十分に豊かな午後となった。豊かな午後
反省を込めてカラオケ年惜しむひよどり一平(はんせいをこめてカラオケとしおしむ)・・・・・・・「いよいよこれで今年も終わりかなァ」そんなことを思いながら、過日、友人とカラオケに興じた。内容としては反省することばかりだった。あまりにも下手過ぎる。反省することもカラオケの楽しさなので、十分に楽しむことができた。採点の仕組みが変わったようだ。まだ馴れていないが、下手は下手なりに、面白いような気がする。オミクロン株が気になるが、年内に、あと二回は行きたいと思っている。カラオケ
万物の枯れ進むなか猫二匹(ばんぶつのかれすすむなかねこにひき)・・・・・・・不忍の池のほとりで撮った猫の光景。よれよれの二匹の野良猫が、ひなったぼっこをしていた。じゃれ合うでもなく、にらみ合うでもなく、ほぼ固まったままだった。通りかかった私に対しても、なんとなく視線を送ってくるだけ。邪魔をしないように努めながら、私の押したシャッターは二枚。はじめから終わりまで、猫どもは私のほうに興味を示さなかった。猫二匹
肩寄せて語らふ二人枯れ木道ひよどり一平(かたよせてかたらうふたりかれきみち)・・・・・・・寒い日が続いている。病魔は、抜き足、差し足、忍び足だ。私は、医師の一言二言に怯えている。情けないと思うが、これが真実だ。幾歳になっても、生きたい気持ちは変わらない。そんな気分で過ごしているのだが、それにしては、まあ、のんびりした俳句が出来上がった。嘘でもいいから、のんびりと過ごしたい。特に、ひと様とも揉め事はイヤだ。先が短いのだから、機嫌よく過ごしたいものだ。嘘でもいいから
冬木立思考乱れて意味なさずひよどり一平(ふゆこだちしこうみだれていみなさず)・・・・・・・このところ、私の思考は思考の態を為していない。ひどく乱れている。病状が思わぬ方向へ逸れる気配を見せているので、狼狽えているのだ。幾歳になっても生きたいのだ。情けないものだ。・・・・・・・昨日、友人を誘って、新宿でカラオケに興じた。コロナで休んでいる間に、カラオケの採点の仕組みが変わってしまった。進歩したのだ。もう一度取り組みをし直さないと、低迷したまま終わってしまいそうだ。また、一人カラオケを続けようと思う。思考の乱れ
これまでと悟り促す返り花ひよどり一平(これまでとさとりうながすかえりばな)・・・・・・・そうか、そうか、もういい加減に諦めろってことなのか。まあ、そうかもしれないな。そもそもの段までさかのぼってみても、今さらどうにもならない。ほどほどのところで諦めろってことか。むしろ、ここまで生きられたことに、感謝すべきなのかもしれない。悔しいね。口惜しいね
枯るる中水音も風の音もなしひよどり一平(かるるなかみおともかぜのおともなし)・・・・・・・やや自信喪失気味のこの頃だ。失敗めいたことが続いてしまった。年齢の所為だと決めるのは口惜しいし、そのように思われたくもない。検査の結果、身体的な異常は無さそうなので、元気を回復させ、年末年始を過ごしたい。オミクロンとかいう新しい波がやってきているが、なんとか避けながら、元気に行動したい。さし向きはカラオケの再開だな。・・・・・・・日常の行動が消極的になると、俳句のほうも停滞してしまい、ブログにも気分が向かない。これでは老化が進むだけだ。一念発起と行こう!一念発起!
枯るる中水音も風の音もなしひよどり一平(かるるなかみおともかぜのおともなし)・・・・・・・やや自信喪失気味のこの頃だ。失敗めいたことが続いてしまった。年齢の所為だと決めるのは口惜しいし、そのように思われたくもない。検査の結果、身体的な異常は無さそうなので、元気を回復させ、年末年始を過ごしたい。オミクロンとかいう新しい波がやってきているが、なんとか避けながら、元気に行動したい。さし向きはカラオケの再開だな。・・・・・・・日常の行動が消極的になると、俳句のほうも停滞してしまい、ブログにも気分が向かない。これでは老化が進むだけだ。一念発起と行こう!一念発起!
カトレアや若き日の恋触れもせでひよどり一平(カトレアやわかきひのこいふれもせで)・・・・・・・カトレアはその豪華さから、ランの女王と呼ばれているのだとか。絵画や写真は知らないが、俳句となると、私如きのヘボな俳句作りでは、なんとも手に負えない。「カトレアが大好き」という女人のてまえ、何とか俳句にしようと思ったが、とてもとてもタイヘンな感じ。熱にうなされそうだ。後日、頭を冷やして、また考えてみようと思う。手に負えない
蓮枯れて空を支へるものとてなくひよどり一平(はすかれてそらをささえるものとてなく)・・・・・・・もちろん、蓮が空を支えていたと思っていたわけではない。ただ、蓮が枯れて、ここまで頼りなくなってしまうと、水面に映る空がなんとも心細げだ。蓮枯れて
吹かれ来て階段覆ふ落葉かなひよどり一平(ふかれきてかいだんおおうおちばかな)・・・・・・・上野の山の銀杏落葉だ。なかなか丈夫な落葉で、上に乘ったら滑るので、危険な落葉でもある。吹かれ来て
気付かぬにいつしか咲いて枇杷の花ひよどり一平(きづかぬにいつしかさいてびわのはな)・・・・・・・枇杷の花も実も極めて地味だ。「もうそろそろ、咲いているかなァ」と思って見ないと、見落してしまう。私は鼻の感覚が鈍いせいか、匂いでもキャッチできない。いつの間にか咲いていて、いつの間にか実になっているという感じだ。せめてトマトほどの色使いをしてくれるといいのだがと思う。こんな願いは、創造神に対する冒涜になるのかも知れない。枇杷の花
枯れきって怒りはとうに失せにけりひよどり一平(かれきっていかりはとうにうせにけり)・・・・・・・午前中、床屋さんへ行ってきた。そのせいか、かなり寒さを感じるようになってしまった。コロナを言い訳にして、お寺やお墓には長い間ご無沙汰だった。明日こそは、お寺へのご挨拶や墓参りだ。・・・・・・・年賀状の整理がついた。今年は家内の応援があったので、例年より少し早かったかもしれない。怒りはとうに
白鳥の何を思ふて首都の濠ひよどり一平(はくちょうのなにをおもうてしゅとのほり)・・・・・・・なんともしようのない日だったので、このような写真をアップした。こんな景から、詩が生まれるとは思えない。この白鳥は、いつも浮かんでいる白鳥かもしれないし、今日降り立った白鳥かもしれぬ。・・・・・・・今日は十二月八日。大東亜戦争が始まった日だ。特別の日と思わなくなったところに、問題が潜んでいるこも知れぬ。首都の濠
寒鴉疎んじられてゐたりけりひよどり一平(かんがらすうとんじられていたりけり)・・・・・・・子供の頃、鴉の子を育てたことがあった。父親が貰って来たのだ。鴉の子は、やっと歩く程度だったので、私が餌係となって、工夫をしながら食べさせた。はじめの頃は、われわれが食べたご飯を、小さく握って食べさせたり、ミミズや蛙を食べさせたりもした。なんとか成長し、屋根の上まで飛べるほどになった。四六時中、私の周りにいた。私が学校へ行くときは、うしろからついて来るので、鴉小屋の中に入れて、来れないようにした。屋根の上に止まっていると、見ず知らず(?)の鴉が、周囲に集まって来るようになり、なんとも気味悪い感じがした。少し離れた地域の友達が欲しがったので、その友人に譲った。その後の動静は記憶にない。そんな経験があるので、私は鴉を疎んじるとい...疎んじられて
寒晴れや空中都市の軋む音ひよどり一平(かんばれやくうちゅうとしのきしむおと)・・・・・・・冬の乾燥した日には、都会の高い建物が軋む音を立てるような気がしてならない。『木の葉から木の葉へ夜露の落ちるらしい音も聞える。そうして、ふと信吾に山の音が聞えた。・・・・・信吾は海の音かと疑ったが、やはり山の音だった。・・・・・死期を告知されたのではないかと寒けがした。』上の『』内は、川端康成の「山の音」のなかの一部だ。それを考えれば、都会には都会の音が聞えてもなんの不思議もない。空中都市の音
駅までの道のり幾歩日の短か(えきまでのみちのりいくほひのみじか)・・・・・・・この交差点から東京駅までの道は、タクシー利用でもいいのだが、「健康第一」を考えれば、余程のことでもない限り歩くことにしている。しかし、この頃は足を使わなくなったため、耐久力が衰えた。気持ちの上で、すでに負けている。加齢の為などの言い訳を認めているのだから、情けない。道のり幾歩
冬枯れの枝に優しき息吹きありひよどり一平(ふゆがれのえだにやさしきいぶきあり)・・・・・・・不忍の池。この季節は、多くのものが枯れきっていて、寒々とした光景だ。しかし、私はこの季節のこの池が好きだ。池に漕ぎ出している小舟が少ないことも、好きな理由の一つかもしれない。小舟が無ければ、考えを乱されることも少ない。遠景のビル群を眺めながら、枯木を吹く風に打たれるのも一興。こんな時、俳句はほとんど浮かんでこない。才能が無いのだから仕方がない。浮かぶのは古い演歌の一節程度。不忍の池
競い立つ白き大根二、三本ひよどり一平(きそいたつしろきだいこんにさんぼん)・・・・・・・冴えない日が続いていた。冬であれば、このようなものかもしれないし、年齢を考えれば、不満を言えないかもしれない。ささやかな散歩をしようと家庭菜園の辺りを歩いた。運がよいのか悪いのか、知人が大根の収穫中。「好きなだけ持って行け」となり、収穫済みの二本を頂くことになった。当然ながら、そこで散歩は終わり。写真は、抜かれる前の大根。大根二本
おしゃべりが得意なりけり枇杷の花ひよどり一平(おしゃべりがとくいなりけりびわのはな)・・・・・・・え?考える前に、枇杷の花は、おしゃべりを始めている。他愛ないハナシがほとんどだ。だから、いちいち咎めだてをするほどでもない。本人も、おしゃべりを止める気がない。そんなとき、「やっぱり枇杷の花は可愛いな」と思う。花言葉は「小さな愛」、「細やかな愛」などだとか。おしゃべりな花
寒晴れや私鉄電車の曲がる音ひよどり一平(かんばれやしてつでんしゃのまがるおと)・・・・・・・見事な晴れ。けたたましい軋み音を出して私鉄電車が走って行った。こんな日の私には、軋む音がとても心地よく聞こえる。金属と金属が噛み合って生み出す音は、長い時間待っていた音だった。私はそのように感じた。・・・・・・・隣家の犬はよく吠える。絶えず吠えている。空腹で吠え、退屈で吠え、寂しくて吠えている。多くの場合、隣家の玄関の中に向かって吠えている。困った隣家の主人が、犬を家の中にいれたら、まったく吠えなくなった。やはり、寂しいから吠えているのだと思った。曲がる音
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見るとなく池を眺むる秋思かな一平(みるとなくいけをながむるしゅうしかな)・・・・・・・雨模様の日であった。今日こそはとの思いで、午前中、お寺参りに行ってきた。忙しそうなご住職とも話ができて、有意義な日であった。寄り道もせずに帰ってきたので、雨にも遇わず、ラッキーだった。しかし、多少は疲れた。情けないことだ。秋の池
朝から雨。出鼻をくじかれ、お寺参りを中止とした。雨の一日だと思ったからでだ。ところが、「お寺参りは中止!」と決めたとたん、空は明るくなった。雨があがったらしいのだ。しかし、「雨があがった!」となっても、すぐさま「よしっ、外出だ!」とはならない。「グズグズ、グズグズ・・・」と、無為な時間を過ごしている。「仕方がないから、ブログでも書こうか?」と思い直してみたが、あまり気分が乗らない。妙な一日になってしまった。何があっても、明日は墓参りに行こう!不決断の一日
私は「ふるさと」が好きだ。それも「故郷」ではなく「ふるさと」であるところが、微妙。「ふるさと」を辞書で引くと,おおかたは「古里」「故郷」などと書いてあり、「その人が生まれ育った土地」などとなっている。私の場合、断然、ひらがなの「ふるさと」でなければならない。愛郷心「素朴派」の心情
ここのところ幾日間か、カラオケに行っていない。私にしてみれば、マア珍しいことだ。体調が悪いわけではない。近々には、仲間たちとの「カラオケ会」も予定されているのだ。明日はカラオケに行こうか・・・?いや、その前に、是非とも自室の整理整頓か?うーん、それが難題だ!それが難題・・・?
上野の公園から不忍の池に降りる階段で撮ったカラスです。私を追って来たカラスでした。高く、遠くへ飛び去ることもせず、私の周囲を飛んだり降りたりしてました。そして時折り、やや抑えた調子の声で、「ギャア、ギャア・・・」と鳴くのです。「目下警戒中!」の鳴き声です。私が公園下の道路に降りたとたん、カラスは一声上げて、飛び去って行きました。妙なカラスでした。妙なカラス
農業用水の向う岸の藪の中で、立派な烏瓜が垂れている。用水の川幅は数メートルほどあり、しかも深さが数十センチもありそうだ。立派な烏瓜は妨害されることもなく、ゆったりと垂れているのだ。烏瓜に異様な興味を持つ私でも、おいそれとは近寄れない。私以外のなにびとも近寄れない。つまり、烏瓜が誰かに持ち去られる心配はないのだ。だから私は、毎年、豊かな気分でこの季節を過ごしている。豊かな気分で
しばらくの別れの余情秋日傘一平(しばらくのわかれのよじょうあきひがさ)・・・・・・・別れには「秋の日傘」は似合わない。秋とは言え、日傘をさすほどの日和であれば、別れの悲嘆はさほどない。写真を眺めながら、そんな不埒なことを思った。無神経なヤツ!無神経なヤツ
揺れ止めて何を思ふや吾亦紅一平(ゆれとめてなにをおもうやわれもこう)・・・・・・・花とも思えない吾亦紅に、私はとても魅かれている。団子のように見える花は、じつは多数の小さな花が集まった花序、いわば偽花なのだとか。そんな吾亦紅を、私は長い時間をかけて、じっと眺めていたい。・・・・・・・然りながら許す気も無し吾亦紅一平(さりながらゆるすきもなしわれもこう)・・・・・・・午前中に駅前の書店へ行った。目当ての本は無く、まったくの無駄足になってしまった。かなり蒸し暑い陽気だった。が、秋は確かな足取りでやって来た。私の不得意な季節が近づいて来ているのだ。吾亦紅
昨年の写真の「つくしんぼ」です。つくしんぼは心を和ませてくれます。「このつくしんぼの広場」は、広い立派な自動車道路になっています。今や、散歩コースには使えません。道路に変身!
馴染みの公園です。一羽のカラスをレンズに収めようと追いかけていました。私の魂胆を承知のカラスは、私を揶揄うように、草原に降り立ったり、樹上に飛び上ったり・・・。掲げた写真は、その中の一枚です。孤独なカラスだったのかも知れません。孤独なカラス
今日はふるさとの浜辺です。すでに撮ってあったものの再度の掲載です。ふるさとの波はまーるく寄せて、ブツブツ音を立てながら、ゆっくりと引きます。私の大好きな光景です。ふるさとの浜辺
今日は妙な日だ。なんとも妙なカラスだ。先ほどから、私を追ってきている。私がカラスを見ると、カラスはそっぽを見る。私が視線を逸らせば、カラスは私のほうを見る。妙なカラスだ。妙なカラス
今日はカラオケをお休みとした。家人はそれを不思議がった。体調が悪いのかと思ったらしい。体調のせいでカラオケを休んだわけではない。単にカラオケを休んだのだ。怠けごころというところだ。こんなでは、上達は覚束ないな。上達はムリだ
町内の一郭にある遊具が三基。この頃は誰も遊びには来てくれません。年頃の子共が少なくなったこともあるし、それに暑い!十年幾年か前は、私も孫娘を伴って毎朝の散歩に来ておりました。その孫も大学生です。来春の卒業後は、小学校の教師になるのだとか。もちろん、嬉しいことは嬉しいのですが、胸中はなんとも妙です。嬉しいは嬉しいけれど・・・
早朝のいっときです。池から上がった鴨たちが、草っ原(左のほう)を目指して移動を始めました。子供たちの跳んだり跳ねたりしている様子に、興味があるのでしょうか。もっとも、早くも引き返す鴨がいるのだから、早くも興味を失ったのかもしれませんね。そんな鴨も、カメラを構えている私には、とんと興味がなさそうです。鴨たちの興味?
今朝は少しばかり早起きをした。七時前に起きて、外へ出た。涼しくはなかったが、酷暑と言うほどではなかった。歩いてみようという気分になった。2500歩ほど歩いて戻ってきた。やはりかなり厳しい残暑だった。・・・・・・・現在の時刻は20時ちょっと過ぎ。今日も何もなかった。今日も何も無かった
川越市で撮った羅漢さま。眠っているのか泣いているのか判らないが、顔を隠している様子が気になって仕方がない。此処へ行くたび、「泣き羅漢」と勝手に思いつつ、レンズに収めている。ひょっとしたら「居眠りをしている?」のかも知れない。まだ誰にも訊ねてはいない。羅漢さま
暑くなる前に歩こうと思い、少しばかり早起きをした。「歩こうと思い」とは言ったが、さほどの距離を歩いたわけではない。スマホがカウントした歩数は3千歩弱だった。でもまァそれなりに満足だ。歩かないよりはよほどいい。・・・・・・・高齢ドライバーの事故を避けるため、先ごろマイカーを手放した。その結果、日常がかなり不便になった。私もどうやら「クルマ依存症」になっていたようだ。クルマ依存症
ここのところ、一人カラオケが多くなった。もちろん、友人たちと会えば、ワイワイガヤガヤのカラオケとなるのだが、友達と会う予定の無い日は、「一人カラオケ」となる。そんな時は、興に乗れば同じ曲を繰り返し唄うのだから、傍からみれば常軌を逸していると見えるかも知れない。それでいて一向に上達しないのだから、我ながら呆れている。・・・・・・興の赴くまま、「サピエンス全史」を読み始めた。「なぜ人類だけが繁栄したのか?」という副題に魅かれたのだ。面白そうなのだが、読了できるかどうかが問題だ。カラオケ談義
「新・ほろ酔い気分」を再開します。宜しくお願い申し上げます。・・・・・・・近頃は、身体能力の劣化もあって、ゴルフの機会がめっきり少なくなり、併せて飲酒の機会も激減傾向にあります。そのぶんカラオケの機会がかなり増加傾向にあります。私の場合はほとんど「一人カラオケ」なのですが、十八番と言えば古い演歌ばかり。興に入れば、同じ曲を幾度でも歌うのですから、まさに常軌を逸しているようです。「新・ほろ酔い気分」を再開します
着ぶくれてなほ血気あり他所の猫(きぶくれてなおけっきありよそのねこ)・・・・・・あちらこちらで見かける猫だ。住所不定らしい。猫は猫なりの目的があるらしいが、此処では良し悪しを問わない。良し悪しは問わないが、私にとっては至極目障りなので、見れば追い払うことにしている。猫も追われることを承知しているので、私を見れば姿を消す。着ぶくれて
冬の夜や替はりばんに友の声ひよどり一平(ふゆのよやかわりばんこにとものこえ)・・・・・・・またまた体調を崩し、鬱々として食欲もなかった。そんな夜、「はらわたの会」の友人たちから電話があった。一イッパイ呑んでいる席かららしく、「かわりばんこ」に友の声が聞けた。東京駅付近の席で、呑んでいたらしい。とても嬉しかった。常ならば、私も参加していたものを!と思い、残念でならなかった。またほかの友人からも、「ブログ」が滞っていることで、叱咤・激励の電話があった。そうだ、そうなんだ!今、こんなことで、へこたれてはいけなかったのだ!今夜はこれで寝るとしても、明日からはキリっと動きたい。頑張ろう!
無造作に大根二本抜かれあり一平(むぞうさにだいこんにほんぬかれあり)・・・・・・・散歩途中のこと。家庭菜園の大根が二本、無造作に抜かれてあった。畑の主や大根の主の姿はなかった。???怪訝に思ったが、私は予定の散歩を急いだ。帰路の道すがらその辺りを通った。先ほどの大根二本はそのまま。そのあたりに人の姿はなかった。大根二本
岩砕く波音遠し石蕗の花ひよどり一平(いわくだくなみおとたかしつわのはな))・・・・・・・写真は五浦海岸で撮った石蕗(つわぶき)の花だ。五浦海岸には、今は亡き弟の案内で訪れた。断崖の上の石蕗の花だったが、苦心して撮った一枚だった。その2,3年後、弟はガンに侵され、帰らぬ人となってしまった。健康にあれほど留意していた弟が先に逝き、病気がちながらも、乱暴な生活態度の私が残っているのだから、なんとも判らないものだ。石蕗の花
病む我の生くる心や帰り花ひよどり一平(やむわれのいくるこころやかえりばな)・・・・・・・病気なんぞに敗けてたまるものか!と、常に心は大いに盛んなのだが、実態はなかなか。やれやれ無理は出来ないなァ、とぼやいて終わりだ。返り花
みんなゐてなぜかひっそり枇杷の花ひよどり一平(みんないてなぜかひっそりびわのはな)・・・・・・・なかなか上手くは行かない。仕方がないが、今夜のところはこれでよしとしよう。みんなひっそり
木守柿かくも寂しく晴れがましひよどり一平(こもりがきかくもさびしくはれがまし)・・・・・・・散歩の道すがら、目の保養にと思いつつ、カメラに収めた木守柿だ。この柿の木の持ち主が、意図的に残した一個の柿なのか、一個の柿がたまたま残ったのか、私には知る由もない。・・・・・・・病気以来、何かと不都合の多い日々を送っている。「病後なのだから、不都合の多いのは仕方がない」と、それなりに諦めてはいたのだが、八十代半ばでの病気が、かくも無残とは思わなかった。特に、脳の働きに及ぼした影響のなんと多いこと。一つ、一つ丹念に掘り起こしている次第だ。・・・・・・・カラオケには是非とも行きたいのだが、コロナ感染の恐ろしさや、永らく離れていたことによる気おくれがあって、矢張り、積極的には足が向かない。あれほど好きだった「一人カラオケ...せめて半分ほどでいい
木守柿木守柿
実柘榴や割れて秘すものなかりけりひよどり一平(みざくろやわれてひすものなかりけり)・・・・・・・柘榴の実は人肉の味がするのだとか、ほんとうなのだろうか。私は柘榴の実を手にしたこともなく、もちろん食べたこともない。この柘榴の実は、数軒先の家の庭先で撮影したものであり、今年初めて実をつけたのだ。レンズに収めたものの、柘榴の実を食べたこともなく、どのような句にすべきか思案投げ首。柘榴の実
枯すすき風に吹かれて輝きぬひよどり一平(かれすすきかぜにふかれてかがやきぬ)・・・・・・・先日の病気以来、「失敗しても自己責任」と、腹を括ったような行動は出来なくなってしまった。「自己責任」とうそぶいたところで、「自己責任」だけでは済まない。周囲に迷惑を掛けてしまうことになる。それに、十分に生きたつもりでも、まだ死にたくはなかった。これもまた、幾つになっても、普通の人情かもしれない。普通の人情