歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の町から一歩も出ず 井の中の蛙だった柳居子を、東京へ呼んで頂き、拙い話し乍 五回も京語りをする機会を作って頂いた 松井孝治さんには感謝している。 中学校を卒業して直ぐに理容の道に入って、自分
客のニーズに合わすと言うのが、商いの大鉄則と思うのだが、客のニーズを創り出すのも 当世風かと思う事がある。 仕事帰り 食品スーパーへ立ち寄る事が多いのだが 御惣菜と言って買って直ぐに食べられる『
八十路に手が届くという柳居子が、一人で営業する事には、自ずから限界を感じる事がある。 昨日も整形外科の定期検診と投薬を朝一番に済ませての営業開始 遠来の客人が四人続き 日本人の一見さんと続いた
昔は良かったという話しをする人が、客人の中にも居られる。 昔を知る人と言うのは 当然の事ながら 人生経験豊かなお年寄りである。 概ね 若かった時の嫌な想い出と言うのは、忘れる事が出来る様に人間の
面白い日曜日だった。 お出掛けコースの概要は、朝の珈琲屋から始まって 祇園切り通しの進々堂での お茶屋の女将大女将連中といつも通りの会話 終わって 高島屋で開催中の院展にて 絵画観賞 出展の板倉画伯
柳居子の店は、二階に在る。 狭い階段を登ってお越しになる客人は、お年を召されると 敬遠 若しくは柳居子がご自宅まで 散髪に出掛ける事になる。 未だ階段昇降の限界年齢には遠いが、若者でも無い寝具会
昨夜は、久し振りのカラオケのお誘いが有り 二時間程唄いまくった。御一緒した人は 柳居子より少し上 ほぼ同年代。 古いド演歌が良かろうと、何を唄うか頭巡らせている内 作曲家船村徹の作品リストのサイトを
睡眠のスタイルが大きく変わってきた。 若い時と比べてと言うより 加齢による必然性の様な事と考える。 若かった時代、 誰もが散髪刈りたてで無いと、お正月が迎えられないと思って居た頃は。徹夜仕事が当
水曜日は 朝の珈琲屋の常連席が、何時も超満員になる。皆が其々思いおもいの話しをする。 円卓の真向かい同士 卓上の花を挟んでの会話は 当然の事ながら声が大きくなる。 共通の話題に興じる事も有れば 隣同
昨日 テキサスからやって来た夫婦連れ 店に入って来た時 日本人の御常連の仕事をしていた。 少し待って頂く事になりますがと英語で断りを言う。眼の前の客人の仕事はほぼ終わり掛けていた。六フィートに余る髭
江戸時代の身分序列を『士・農・工・商』と学んだ。武士が世を平定して、序列が動かないというのは、争いの無い時代 見方によっては平和な時代という捉え方も出来るだろう。 東京で京都の事を話す機会を頂い
遠くから来た懐かしい人 昨年 生きるか死ぬかの大病を患い 九死に一生を得てある程度回復して 活躍の場 アメリカから わざわざ日本に来て 京都に泊まり 柳居子の店を尋ねてきてくれたのだ。 二十年
会話と云うのは難しい。幾つになっても。 言う事 聞く事 双方の思惑が 完全に一致する事等無いだろう。 先日お越しの同世代の客人との会話 『最近 耳が遠くなって、こちらが喋る事は問題ないのだが 相
先日 奥さんと思しき女性を伴った日本語の判らない客人は、韓国からお越しだった。 店に入って来るなり 予め打ち込んだスマホの画面 日本語文を見せられた。 『五か月前 このお店に来たのですが、カード
ブログ記事プリント版を差上げる時、『内容はともかく 忘れていた漢字 これ見て思い出して下さい』と、言って手渡す。漢字の多い少し長めの文は、今の時代受け入れられない。『わっ 漢字多い 長い。』それだ
直接 お目に掛った記憶が無いのだが、親しくしい頂いている書家 Yayoi Inagaki さんの 父君が亡くなった事を 彼女のF・掲載B記事で知る。 書家としてご活躍の娘さんに、ご無理を言って 柳居子自作
いよいよ 世間の第一線から 縁遠く取り残されているなぁと思う事の一つに 肩書きのカタカナ表記がある。 柳居子は、長年名刺を持った事が無い、 そもそも名刺を渡して覚えて頂くという職域では無いし 昔は
昨日 朝一番にお越しの客人との会話は、上目線 下目線 右往左往と言うのか 次から次に飛び交う様な話しを交した。 散髪の椅子に座るなり 開口一番 『七十八歳最後の日の散髪 明日から七十九歳 柳居子
昨日は、母の日だった、 母の生前 特別 親不孝を掛けた事も無かったと思うし 親孝行をしたと言う思い出も無い。 父 柳居が店を始めたのは、未だ柳居子が。小学校に通っていた頃 開店直後の繁忙もあって
店頭での量り売りと言うのが少なくなった。父の命で酒を買いに行かされた時 瓶を酒屋に持って行って 『何合要ると言うたはった?』と。いつも聞かれた事を覚えている。 今は 酒の量り売りなんて無いだろう
朝の珈琲屋にやって来るメンバーは、実に色々な職種 又其々のシーンで大活躍されたか 余韻を感じる人ばかり。名前を出す事憚る公人も居られる。 柳居子は 畏まって次から次に出てくるお話を拝聴するのが役
国と国との境界 国境を意識する日本人は 昭和二十年の八月から、極端に少なくなり、常の会話に出て来る事は先ず無い。 周囲を海に囲まれているから 国境線が無い。 考え方や外を見る眼は、他国とは異なる。
錦小路の 鰻・川魚屋の三田さんの、滋賀県にある別荘の庭に 柚子の木が在り 毎年沢山の実をつける。 朝の珈琲屋で同卓の誼で 柚子を沢山頂く。 周囲に配って 柚子風呂立てても 未だ沢山残っていた。ふ
連休明け 朝の珈琲屋も超閑散 繁忙の期間中 ウエイトレスの一日の歩行数も随分差が出る事だろう。歩数の多いのが頑張ったかと言うと 一概に言う事は出来ない。 小柄で歩幅の狭いのは歩数が上がると思うし、キ
万物の霊長を 誰もが自認する人間と烏との対比は、おかしい事と判っているのだが、共に地球上に命の有るという共通性だけを取り上げて 人間と烏の比較は無理を承知の話しである。 先日 ゴミ出しの日 ブル
連休中も 一日一人仕事をするようにしている。何処に出掛ける予定も無く、四日間も続けて休むと 連休あけ指先や手が尋常に働いて呉れるか? そういう事が心配になる お年頃である。 あい変らず 遠来の髭
慶応大学の教授をなさっておられた 松井孝治さんに請われて、東京で京都の事を喋る機会を五回もお招き頂いた。 下らないよもやまぱなしは、幾らでも出来ても 人前での一方通行の話しは 荷が重いと感じ 質問の
毎日 同じ様な記事を書いて 飽きられると思う読者も居られると思うが、書き手が 思った事 感じた事が大きければ、其れで良いと筆を進める。 日曜・祝祭日を一応 定休日と定めている。昨日憲法発布記念日
四月一カ月 遠来の外国人の客人が 62人を数えた。次の誕生日を迎えたら 八十歳になる男が 一人で営む理髪店 他にする事も無いし 未だ指先も手も動くから 頑張っているが、我ながら不思議な感じがする。ほ
近所の神社の、束ねをしていた客人 柳居子より一歳年上 体格は偉丈夫と言う二相応しい。 若い時はラグビーをしていたと思う。神輿も率先して担いでいたが 寄る年波 体調も悪しく 神輿担ぎはおろか 巡行に付
顧客として、お迎えする客人以外 お役人と接する機会は皆無の仕事である。 只 新聞紙面やインタビューを受けているお役人様の話す言葉は、我々が日常使う言葉とは少し違うように思う、 難しい表現 言う事と内
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歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
4月5日 6:50 · 柳居子自身は、名詞を持たない 作らないから 差上げる事も無い。コロナ騒動がおこる 大分前から身内を送る葬送の儀式は 家族だけでという流れになって来て このところ 親戚縁者以外の葬
4月4日 6:07 · 昨年十一月九日 掲載の記事を、お読み頂いた後 今日のブログ記事とする。 2024.11.09 リサイタル 昨日八日は、お招きを受けてディナー付きの シャンソン・リサイタルに出掛けた。乾杯
4月3日 11:30 · 若い時は空の色 夜明け 夕暮れ 月の満ち欠けとか 空を見ることに無関心だったのが 最近は空を見る事愉しみを見出してきた 満月の異名とか月ごとに表わす色の名前など色々と知るにつけ
4月2日 11:46 · 家の中で孤立 家族誰とも一日中喋らない 庭掃除だけが仕事と 愚痴をこぼしにやって来た友が居た、 細君が長い患いで介護施設に入ってからでも 二十年とか三十年経つ、稼業は息子に託し
家の中で孤立 家族誰とも一日中喋らない 庭掃除だけが仕事と 愚痴をこぼしにやって来た友が居た、 細君が長い患いで介護施設に入ってからでも 二十年とか三十年経つ、稼業は息子に託しては居るのだが 息子の
丑三つ時 ふと眼が覚めると。スイッチ切り忘れのラジオから、懐かしい『マントヴァーニオーケストラの、水の流れる様なメロディが流れ出ていた。何十年も前の昔 よく聞いた曲は 全力傾廰のモードになる。
三寒四温の時期と言うのは、丁度今頃の事を言うのだろうか? 地球温暖化とやらで、今年は三月中頃 記録的な高温 夏日を迎えた地域もあったが 今は三寒寒中である。 昨日も 早朝 春衣装纏って 表に出て
京都の旧市内 洛中の其のまた中心部 其の辺りに昔から住む人だけが判る 瑣末な話題で 掲載が憚られる思いがするのだが、住所表記とか 所在地表記に。東西 南北に交わる辻を上がる(北行)下がる(南行)東入
先日 「やとな」という記事を書いた時、しりがるな女と言う表現に対して、如何云う意味ですか?という問いが有った。やとなと言う仕事を蔑視する気は毛頭ないのだが、仕事柄女性で有る事を、色濃く出さねばならな
このところ 頭 丸剃りにしてくれ と云う注文を良く受ける。昨日も午前と午後 二人の頭丸剃りの仕事をした。ニューヨークとメルボルンからの遠来。 アメリカからお越しの客人は ヘアーカット ハリーさんの
単衣から袷(あわせ) 袷から単衣 昔は期日を以って、着るものの季節替えが。当然の事の様に皆が従った。自分の季節感覚に服装をあわらたら良いという新聞投稿文が載った事も有ったが、着るものの制約の有った時代
先日 高倉 松長に出掛けた時、柳居子をよくご存知の女性が沢山居られ 其の中の一人は、出逢った時は必ずハグを交す人だったので 何時も通りハグを交したら 其の流れで次から次にハグを交す事になって、松長で
今は 何処で有ろうが 誰で有ろうが 情報が瞬時に届く時代。昔の人が見れば信じられない不思議の世界になっているのだと思う。勿論生活 営みのエリアも狭まかったと思われるし 情報不足を不足と考えなかった部分
昨日出来た事が、今日も変わりなく出来るという保証は無い。 経験豊か十言われても、柳居子の仕事は 喉元に鋭利な刃物を突きつける仕事 仕事の出来る限界年齢と言うもの当然有ると思う、 手や指は長年使い
今から六十六年前、柳居子が十三歳の時の 四月十三日頃 曜日が定かで無いが、父に連れられ 嵯峨の虚空蔵法輪寺に、十三参りに連れて行って貰った事を想いだす。店の仕事を休んでまで出掛ける人では無かったから
AI(人口知能)の世界とか 其の領域が、どんどん拡大されつつあると云う。 人口知能と言われても もう我々の世代は、理解出来ないし 判ろうと思う気分にもならない、 取れ残されているというのは スマホの
『よくブログ記事ネタが続きますね、何かこつがるのですか?』と聞かれる事がある。 先日も朝の珈琲屋で其の話しが出た時、「何か気になる言葉・覚えて置いたら良いと思う言葉を、頭の中から消え去らぬ内に 手帳
小・中学校の同窓会は、古稀を契機に 案内状を出して 出欠を取る会は もう止めにしようと決めた。何時までも若い時の様に頑張っている人と そうでない人との個体差が増々大きくなる年代 元気・そうでないは
二週続けて日曜日 ご高齢で柳居子の店までお越し頂けない方の散髪に出掛けた。馬町に次いで松ヶ崎呼返町 散髪の道具類一式持参は 結構嵩張って重いので 電動補助の三輪自転車が重宝する。 出掛け先の邸内に
朝の珈琲屋で出てくる話題は、席に座る人の平均年齢を考えると、当然の事ながら 若い人には入り込む余地が無い事や 専門職的な話題も多いから 若者に敬遠される席でもある。 話題だけでは無く 使われる言
小・中の同級生は、誕生日を迎える毎 八十歳の大台に乗る。三桁の百才迄二十年を切った。八十路の旅は。冥土への一本道とも言えるか。 今朝も同級生だったT君にばったりと出逢った。 細君を介護施設に送り
今朝は、自宅を出るのを三十分程遅らせ 陽が昇りかけ 周囲が明るくなってから家を出た。 毎年、この時期のある朝 満開の桜頼りが溢れるころ 通勤路 自転車だから 逍遥では無いのだが、気になるお気に
先日 九十六歳の ご老人の散髪に、東山馬町の東 お寺の近くのご自宅にお伺いした。一月一回の散髪は 色々と旧いお話を聞かせて頂く場でもある。 奥さんが先に亡くなって、孤老と言ってよい生活。サポート
『柳居子徒然』表題 名乗りの由来は、何度か書いているのだが、 父が柳居を名乗っていた事 俳句や歌を詠むという雅の人では無かったが、同じ町内に住む 羅紗屋(服地商)の御主人が、自宅店舗前の柳馬場通りに
エイプリルフール 本当の話し? と、云うような店の展開となった。前日朝は何時から開店ですか? 拙い日本語の電話が入ったのだが 本当に来るか 来ないかは 判らなかった。一応 直ぐに仕事が取り掛かれるよ
一年の 四分の一が、あっと言う間に過ぎた昨日の陽気には吃驚した。 朝 出掛けに羽織ったジャンパーは、自転車の荷台に置いたまま セーター一枚でも暑い位。季節の移り変わりを、昨日の様に激越に感じる日は
昨日は土曜日の営業日。来客の多い曜日では有ったが、午後三時間程店を閉じて 『泉孝英先生を偲ぶ会』に参加した。 三百四十人程が参加 献花が終わって立食形式のパーティ会場 大勢の人 懐かしい顔とか 何故
昨夜は、朝の珈琲屋仲間で 柳居子より一世代か 半世代若いメンバーのお祝いの会を開いた。 十人程の人数だったが、おおいに盛り上がった。 社会の第一線から ほぼ退いている世代が、これから大変な仕事を