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寛政宝剣額に書かれた「神社」という称号は江戸時代にはなかった
図は、最初に東日流外三郡誌として製本化された市浦村版にある宝剣額の写真である。ここには写真の掲示と簡単な説明があるだけであった。そこには、寛政元年八月に秋田孝季と和田長三郎が祈願したことが記されている。 しかし、和田喜八郎は、この本の「薦言」で、和田長
2025/06/30 21:04
東日流外三郡誌の図版詐称の元ネタ
津軽外三郡誌の和田喜八郎は、他人の写真を詐称して自分の著作に掲載し、裁判で慰謝料40万円の支払いを命じられたが、他にも悪用されているものがいくつもあるようだ。 『東日流外三郡誌. 補巻』 北方新社版 グラビア写真最初の図①降魔弥陀図(天真名井家関係遺品)
2025/06/25 17:23
宝剣額の発見の経緯などの奇妙な食い違い
藤本光幸の「反証」記事 『「古史古伝」論争』別冊歴史読本1993 前回、宝剣額は神社に早くから飾られていた、との証言に疑問があることを説明したが、他にも奇妙な点があることを付記させていただく。⑴宝剣額の発見の経緯は奇妙 以下は、古田がこの寛政の宝剣額
2025/06/22 20:06
逆襲にはならず、寛政の宝剣額をめぐるあやしい証言
右端の奉納は天保14年とある。 多数の剣の奉納額がある不動尊が現在も東北には残っている 宝剣額とは、東日流外三郡誌の著者とされる秋田孝季の実在を証明するものとして喧伝されたものだ。日吉(日枝)神社に奉納された額で、そこに寛政元年や秋田孝季の名が書か
2025/06/17 09:19
戦後の知識で書かれた、東日流外三郡誌のフェイク
既に、縄文時代の遮光器土偶や三内丸山六本柱について述べてきたが、他にも、明治時代以降の知識がないと書けないものが散りばめられた、およそ史書などというものではなく漫画のような創作であることをいくつか紹介する。実際の遺跡、遺物やアイヌ文化などが悪用されてい
2025/06/13 07:54
東日流外三郡誌の逆ギレ 繰り返された六本柱の後出しジャンケン
この絵図は、三内丸山遺跡の六本柱建物の復元案が発表されてから、和田喜八郎が古田武彦氏に送付したもの。 以前に、三内丸山遺跡六本柱の高層建物の復元が虚構であることを説明していたが、これに関して古田史学の会員の方から、ご質問を受けた。それは、復元された六本
2025/06/08 21:35
東日流外三郡誌の逆ギレ アラハバキと遮光器土偶は無関係
左は明治時代に画家佐藤蔀(しとみ)が描いた『考古画譜』の亀ヶ岡遮光器土偶 右は『東日流六郡誌絵巻』(1986発刊)のアラハバキの神像とされた遮光器土偶の絵図 和田喜八郎は土偶のレプリカは所有していたが、立体的なものを絵にするのは簡単ではないので左の図を参考
2025/06/03 09:00
2025年6月 (1件〜100件)
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