ベースは愛なのだ
肉体を離れて、いわゆる死の後で「どれだけ愛したか」を問われると聞いたことがあるこれ、だれかにではなく、きっと自分自身で問うんだどれだけ愛したかというのはどれだけ愛情を注いだかともとれるけど「どれだけ味わったか」ではないかなーと思っていたそして今思うのはどれだけ愛したかの問い自体まだ肉体のある人間的な感覚が強く残るこの問いも答えもきっとどんな風に愛したか、どんな風に生きたかの自己満足度に他ならないのではないかな?そして、フィジカルなエネルギーから完全に離れた時(この表現が適切かわかんないけど)全ては愛だから全ての土台は愛だからそもそもぜんぶまるで全部オッケーなのだとわかるのだと思う志半ばでも、中途半端でも自分が好きになれなくてもたとえ人生に満足できなくったってその体験もまた宝これは、死後の魂たちとの交流で愛...ベースは愛なのだ
2022/09/11 11:11