近年では紅茶離れが進んでいるなんて話も出ていますが、紅茶はイギリス文化を語る際になくてはならない存在でしょう。 ボストン茶会事件、アヘン戦争といったイギリスと紅茶にまつわる歴史的なエピソードに加え、第二次世界大戦中の配給品の一つに紅茶の茶葉
このブログでは、日本史・世界史の簡単な流れから、事柄を掘り下げた記事を書いています。また、歴史と言う科目を好きになってもらえるように、歴史の小ネタなども取り入れて、大河ドラマを追ったネタも書いています。
これまで日本のお札には18人の偉人たちが採用されました。時代を象徴する人物や偉業成し遂げた人物ばかりです。 今回の記事には兌換券(だかんけん)という言葉が出てきます。 正規の通貨との兌換(引き換え)が保障
ハプスブルク家の最盛期を作ったカール5世(カルロス1世)の華麗なる経歴<人物伝②>
1500年2月24日、ブルゴーニュ公フィリップ美公とスペイン王女フアナの長男としてブルゴーニュ公の居城ガンでカール(カルロス)は誕生し、その宮廷で成長します。ところが、その成長の過程で幼少期に父を亡くし、母が病を発症して...と子ども時代か
ハプスブルク家の最盛期を作ったカール5世(カルロス1世)の華麗なる経歴<人物伝①>
ヨーロッパ史でよく名前の出てくるハプスブルク家の最盛期を築いた人物として知られているのが神聖ローマ帝国の皇帝カール5世です。神聖ローマ皇帝だけでなくスペイン国王カルロス1世としても有名です。 カール5世(wikipedia)より 1500年
ヨーロッパの転換期!三十年戦争とは?結末まで詳しく解説<1618-1648年>
大航海時代からの好景気が止まり、間の悪いことに地球規模の寒冷化が到来。寒いために作物が育たず飢饉となり、栄養不足がたたって疫病(ペスト)が流行するという負のループに入っていた17世紀のヨーロッパ。 人々の気持ちも荒れ、治安が悪化。反乱等が増
徳川家康が江戸幕府を開くにあたり織田信長と豊臣秀吉から何を学んで活かしたのか?
織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食らう徳の川 この歌は江戸時代に作られ、信長・秀吉・家康をうまく表現していると思います。 信長は桶狭間の戦いで勝利したのち、破竹の勢いで天下統一目前まで勢力を伸ばしました。しかし、1582年に本能
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近年では紅茶離れが進んでいるなんて話も出ていますが、紅茶はイギリス文化を語る際になくてはならない存在でしょう。 ボストン茶会事件、アヘン戦争といったイギリスと紅茶にまつわる歴史的なエピソードに加え、第二次世界大戦中の配給品の一つに紅茶の茶葉
『光る君へ』では物腰が柔らかく美しい文字を書き、藤原道長の良き友人として描かれている藤原行成。一条天皇下では蔵人頭にも抜てきされ、持ち前の人柄と実務能力を発揮して政権を支えました。 行成は日本書道界ではレジェンドとして、平安時代に最も活躍し
以前の記事でクロムウェルを中心とした独立派が派閥争いを制し、議会をないがしろにしていたチャールズ1世を処刑した『イギリス革命(ピューリタン革命/清教徒革命)』を起こしたところまでお話ししました。 独立派は
幕末から明治(1867~1885年)にかけて、王政復古の大号令の際に定められた三職制の採用から始まり、七官制、二官六省制、三院制、内閣制度と次々と中央官制は変化していきました。 ここでは、組織がどう変わっていったのか?どんな仕事があるのか?
主権国家とは、国境に囲まれた国土を持ち、自分の国を自分達で決定できる権利を持つ国のことです。 近世以前のヨーロッパでは領土を持つ者として国王以外に領主もいましたし、ローマ教皇の権威も強く国家運営に口出ししてくるような重層的な支配が確立してい
戊辰戦争に勝利した新政府は、その戦いの最中から既に新しい政権発足に向けた動きを活発化させていました。五か条の御誓文の公布や五榜の掲示で今後の基本方針を明らかにし、新たな官制を組織したり東京遷都したりと次々に新たな時代に向けた大変革を実行。そ
イギリスでは絶対王政の全盛期を築いたテューダー朝最後の女王エリザベス1世がスコットランド王のジェームズ6世を次期国王に指名。エリザベス1世が亡くなった後はジェームズ1世(1603-25年)として即位し、新たにステュアート朝が開かれました。
幕末の混乱を経て1867年には徳川慶喜が政権を朝廷に返上する大政奉還が行われた後、天皇の下で新たな政府が出来上がります。 最初は徳川慶喜中心の政府になりかけたのですが、討幕しようと動いていた者達にとっては面白いはずもなく、徳川家を潰そうと動
近世ヨーロッパ各国ではイタリア戦争や17世紀の危機や三十年戦争を経験し、主権国家体制が本格的に始まりました。 ※イタリア戦争については第一次イタリア戦争に触れた記事とカール5世の人物伝に詳しく乗っています。 主権国家とは自分たちの国のことを
「神聖ローマ帝国の死亡証明書」と言われたウェストファリア条約を結んで終結した三十年戦争後に成長したのは、神聖ローマの辺境にあったプロイセンやロシアでした。 今回は、この東ヨーロッパで台頭し始めた両国についてまとめていきます。 https:/
ペリーの来航を機に日本では幕末の動乱期に移行し、尊攘運動が討幕運動にかわったのは時間の問題でした。そんな中で時代の潮流に乗ったのは江戸幕府ではなく討幕を目指した新政府です。 やがて最後の将軍だった徳川慶喜は大政奉還で政権を朝廷に返上していま
ハプスブルク家の家族関係をまとめた記事と幼少期から神聖ローマ皇帝・スペイン国王の即位までの経緯をまとめた記事を前回まで紹介しました。 カール5世と言えばヨーロッパのサラブレットであったのと同時に、生涯戦いに明け暮れた君主だったこともわりと有
17世紀後半に市民革命を達成し、18世紀後半には綿糸紡績業を中心に産業革命が始まっていたイギリスをはじめヨーロッパ諸国では蒸気を動力とする機会の利用によって工業生産力が飛躍的に高まっていました。 この革命により大量生産大量消費の時代に移行す
NHK大河ドラマ『光る君へ』では、平安時代中期を舞台に主人公・まひろ【紫式部】を中心に物語が展開します。この時代には、女流作家たちが活躍し清少納言・和泉式部・など多くの才女たちが登場しました。 その一人として、一条天皇の中宮(藤原)定子も負
これまで日本のお札には18人の偉人たちが採用されました。時代を象徴する人物や偉業成し遂げた人物ばかりです。 今回の記事には兌換券(だかんけん)という言葉が出てきます。 正規の通貨との兌換(引き換え)が保障
1500年2月24日、ブルゴーニュ公フィリップ美公とスペイン王女フアナの長男としてブルゴーニュ公の居城ガンでカール(カルロス)は誕生し、その宮廷で成長します。ところが、その成長の過程で幼少期に父を亡くし、母が病を発症して...と子ども時代か
ヨーロッパ史でよく名前の出てくるハプスブルク家の最盛期を築いた人物として知られているのが神聖ローマ帝国の皇帝カール5世です。神聖ローマ皇帝だけでなくスペイン国王カルロス1世としても有名です。 カール5世(wikipedia)より 1500年
大航海時代からの好景気が止まり、間の悪いことに地球規模の寒冷化が到来。寒いために作物が育たず飢饉となり、栄養不足がたたって疫病(ペスト)が流行するという負のループに入っていた17世紀のヨーロッパ。 人々の気持ちも荒れ、治安が悪化。反乱等が増
織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食らう徳の川 この歌は江戸時代に作られ、信長・秀吉・家康をうまく表現していると思います。 信長は桶狭間の戦いで勝利したのち、破竹の勢いで天下統一目前まで勢力を伸ばしました。しかし、1582年に本能
平安時代の女性たちは基本的に外出を避け部屋の奥で生活をしていました。 立ち歩くことも良しとせず、座っていることが多かったといいます。 数少ない外出の際には、牛車などのり扇子や袖を使って顔を隠していました。一般庶民はわかりませんが、光る君へで
徳川家康にも酒井忠次・榊原康政・本多忠勝・井伊直政と言った四天王が居ましたが、甲斐国・武田信玄にも有能な四人の重臣がいま
カトリック両王とは、スペイン王国の基礎を築いたフェルナンド2世とイサベル1世の国王夫妻のこと。 以前、イサベル1世がカス
今回、解説していく王政復古の大号令は、討幕派にとって非常に厄介な一手である『徳川慶喜による大政奉還(1867年10月14
大河ドラマ・どうする家康でもタイミング的に前半のメインとなるであろう信康事件は、徳川家の嫡男と家康の正室が切腹・処刑され
wikipedia『イサベル1世』より イサベル1世は、夫でアラゴン王フェルナンド2世との共同統治によりレコンキスタを完
前回はクーデターにより即位した永楽帝とその系譜の皇帝たちが黄金時代を築くも、そのクーデターの間に北方でモンゴル勢力が再拡
徳川家康の天下取りの過程で、常にそばで助けていたのが後の徳川四天王と呼ばれる酒井忠次、本多忠勝、榊原康政と井伊直政でした
明の初代皇帝・洪武帝は新たに明を建国し、皇帝に権力を集中させる形の国家を樹立。光武帝の26人の男子が生まれていますが、彼
大政奉還とは、江戸幕府第15代将軍の徳川慶喜(在位1867年1月~1868年1月)が政権を朝廷へ返還した出来事を指してい
1726年の江戸では人口が100万人を超え、ロンドンの63万人を超え世界一の町として栄えました。内訳は、職人や商人などの
元の政治が乱れて紅巾の乱が発生、群雄割拠になるパターンかと思われた中で紅巾軍の武将の一人・朱元璋が明を成立させたのは以前
現在の内閣には【内閣官房参与※】と言う役職があります。※以下参与 メンバーも、元大物秘書や元外交官、その道に精通した教授
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13世紀のユーラシア大陸はモンゴル帝国がその存在感を放っていた時代でしたが、14世紀に入ると天災が続き、各地で政治的に大
戦国時代の武士たちの働く場は主に戦場。 武士を大雑把に分ければ、雑兵と武将がいます。武士が支配する領地には、主君からのル
徳川家康の天下統一の偉業を陰ながら支えたのが、三河武士と呼ばれる譜代の家臣達。 忠義に厚く主君のために命を張る、戦闘民族
前回、オスマン帝国以前のアナトリア半島にあった国々の変遷をまとめてみました。そこでも少し触れていますが、トルコ系民族はず
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安土桃山時代のポルトガル宣教師・ルイス=フロイスは、母国に報告をするために日本の事について書いています。その中に、織田信