渡辺津(わたなべのつ)
前回の記事で「地図の上方の「難波津」を玄関口とする都市国家が存在したそうです。その都市国家が河内王朝と呼ばれる存在だったそうです。」と書きましたが、この「難波津」と呼ばれる存在は、実際は「渡辺津」と呼ばれていたそうです。渡辺津渡辺津(わたなべのつ)は、摂津国の旧淀川河口近くに存在した、瀬戸内海沿岸で最大級の港湾。「窪津(九品津)」とも呼ばれる。現在の大阪市の中心部、旧淀川にかかる天満橋から天神橋の間くらいの位置にあり、ここを中心とした北船場一帯が入り江で、上町台地の北端の西部一帯に街が栄えていたと見られる。古代の難波津が中世に機能し続けたものである。概要[編集]瀬戸内と京の間の水運の拠点で、海上・河川の船の積替え場であり、淀川を南北に渡る渡し場でもあった。また、交通や経済のみならず、宗教的にも重要な場所で...渡辺津(わたなべのつ)
2023/01/28 08:13