chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
寿太郎
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2021/12/20

arrow_drop_down
  • 雑記

  • 鶴鷗記事再公開に向けて

    二人の衣装は双方がヨーロッパ留学中に撮影した写真を参考にしています。明治軍装の資料集に賀古の襟章は同じものがあったんですが、(まさしく一等軍医正のもので)鷗外の方は同一の意匠が見つからず…あの時代は今の名刺交換みたいな感じで写真の交換をしていたので、名刺大の自分の写真を何枚か携帯していたそうです。鷗外のはその写真を見ながら書いたので間違ってはいないと思うのだが…ヰルケたちと撮影した有名な写真も襟章はこ...

  • 鶴鴎らくがき帳

    敬老の日のgoogleトップが可愛すぎた。鶴鷗と言えばげんげの花。想像してたより随分綺麗な手してて驚きました。かこつるどさん爪の形が整っているなあ。野猪狩りに一人で出かける野生児なので深爪っぽいとか勝手に妄想巡らせていてごめんなさい。日本初の耳科のお医者様の手です。前の記事で載せた学生時代の写真と偶然同じポーズをしていたので流れる時間に思いを馳せ大変感慨深く眺めていました。老年の賀古さんずっと眼鏡を掛け...

  • 漱石と鴎外の関係

    賀古鶴所の奥さんの姉の娘(ひさ)の旦那が加藤恒忠(拓川)で加藤拓川は正岡子規の叔父に当たる。(加藤拓川の実姉の息子が子規)つまり賀古鶴所と正岡子規は親類賀古は常規くんと呼んでいました鷗外と漱石といえば書簡や著書の贈呈をし合うなどの些少の交流はあったものの対面の交際は皆無に等しく、学生の頃の漱石が鷗外作品を高く評価していたこと(子規は酷評)、鷗外が『三四郎』に触発されて『青年』を書いたこと、子規庵の句会で初...

  • 山嵐と坊っちゃんと清の話 (4、5年後)

    【すっごい雑な補足説明】明治36年8月東京電車鉄道 開通東京初の電車明治36年9月東京市街鉄道 開通(街鉄)明治37年2月日露戦争開戦明治37年5月馬場先門事故明治37年12月東京電気鉄道 開通(外濠線)東京市電三社が出揃う明治38年1月~旅順陥落、戦勝ムードに明治38年9月ポーツマス条約調印坊っちゃんの四国赴任(推定)明治38年10月坊っちゃん東京へ帰る(推定)明治39年2月清の逝去明治39年3月~東京市電値上げ反対運動明治39年4月『坊っ...

  • 英雄たちの選択

    賀古が小池で小池が賀古で賀古さんお誕生日おめでとうございます。(2月9日説)昨年末に参加した某講演会で、ymzk先生が「来年年初に放送される英雄たちの選択に出演しますので、ぜひ見てください」とおっしゃっていて、わーい見ます見ますと録画予約はしたものの、仕事の都合でなかなか家に帰ることができず、やっと見られたのが1月の末。リアルタイムで見ていた家族から「あんたが追っかけてる人も出てたよ」と連絡が入っていて、...

  • 東京旅行 子規命日:糸瓜忌

    子規は死ぬ時に糸瓜の句を咏んで死んだ男である。だから世人は子規の忌日を糸瓜忌と称え、子規自身の事を糸瓜仏となづけて居る。余が十余年前子規と共に俳句を作った時に 長けれど何の糸瓜とさがりけりという句をふらふらと得た事がある。糸瓜に縁があるから「猫」と共に併せて地下に捧げる。 どつしりと尻を据えたる南瓜かなと云う句も其頃作ったようだ。同じく瓜と云う字のつく所を以て見ると南瓜も糸瓜も親類の間柄だろう...

  • 100年忌と房総半島 日記

    今年は運良く土曜日でしたね。という訳で今年の7月9日はTOKYOにいました。満喫した。いやしかし一年経つのが早すぎる。先生の頭から先生の頭が生えてるみたいになっちゃった。めちゃ可愛かったので写真撮らせて頂きました。門前の石畳がちゃんと再現されてるのいいなーと思って見てたのですが(数少ない観潮楼当時のもの)サーベルが杖になってて笑ってしまった。おじいちゃん度マシマシです。サーベル作るのは流石に難しいか。パシ...

  • 津和野藩と亀井家と森林太郎少年

    面白い話聞いたのでメモあくまで伝聞です、ちゃんと調べてないので間違っていることもあるかも。【津和野が生んだ偉人】津和野が西周、森鴎外を筆頭とする著名人を多く生んだ訳藩主亀井家の学問を重んじた政策もあるが、関ヶ原合戦から賊軍となった長州藩は江戸幕府時代もずっと倒幕を志していた。それは江戸幕府発足当初からのものでかなり根強く、津和野藩は毎年長州藩主に今年は討幕のために挙兵するのかとこっそりお伺いを立て...

  • 森鴎外の癖

    ...

  • 既読現代語訳版比較

    既読の現代語訳版を比較してみました。個人的ハイライト部分の比較何富貴は豊太郎くんの決め台詞なので組み入れました。原文1「何、富貴。」2「相沢は跡より来て余と午餐を共にせんといひぬ。」3「本国に帰りて後も倶にかくてあらば云々」4「さることなしと聞きて落居たり」5「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり。」...

  • 相沢謙吉の二面性

  • 急ぎコメント返信 なるみ様

    なるみさんはじめまして~!こんな辺鄙なところへようこそ。寿太郎です。コメントとても嬉しいです。ありがとうございます。(*´`*)古賀しずいいですよね。本当に素敵な関係の二人です。なるみさんの萌えるきっかけとなったようで大変嬉しく思います。ヰタは今描きかけの記事があるのでよければまた寄って下さい。山坊もですか!わー!めちゃ嬉しいです。自己消費用にしか書いてないので、お眼鏡に適うか分かりませんがまた何か書...

  • パッパとあまいもの

    ...

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、寿太郎さんをフォローしませんか?

ハンドル名
寿太郎さん
ブログタイトル
むろじ
フォロー
むろじ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用