還暦前後から老後の暮らしを豊かにするための東洋、西洋、仏典などの古典の紹介。
2024年5月
「黄帝はある時、昼寝をして夢をみた」 十八史略卷一 第6回目
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「ついに黄帝は炎帝とその子孫による統治を終えさせ、自ら天子となった」 十八史略卷一 第5回目
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「黄帝は公孫を姓とする、または姫姓とも言われている」 十八史略卷一 第4回目
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「臨済録」原文全文とその現代語訳を紹介しました。 仏教や禅に関する書籍ですが、純粋に東洋思想の書物としても読むことができます。 そこに書かれている言葉は、現代に生きる私たちにとって、自信を持ち、より心穏やかに暮らすための導きとなるものばかりです。 「臨済録」が、より多くの人たちに読まれることを
臨済は、自らの法を伝えた慧然に、最後の問いかけをします。 それに対し、慧然は一喝で答えます。 臨済はその答えに満足したのでしょうか。 それとも大いに不満だったのでしょうか。 自分の法は、目の見えない驢馬のところで滅んでしまう。 そう言って亡くなりました。 臨済が亡くなった後、慧然らは師の
金牛和尚は臨済の振る舞いを無礼であると咎めます。 しかし臨済はまったく構いません。 そして、さらになにか言おうとする金牛和尚に一棒を加えます。 溈山に、さてこの二人、どちらが勝ったのだろうかと問われた仰山は答えます。 勝ったとしたらどちらも勝ち、負けたとしたらどちらも負け。 勝ち負けは、こ
溈山は、古人たちの教えは電光石火のようなもの、誰も追い切れないが、そもそもそんな言葉には意味などなかったのだ、と言います。 それに対し、仰山は言います、表向きには誰も通さないが、裏ではこっそりと馬も車も通り抜けています。 言葉の上での厳しさはあっても、通り抜ける術はあるものだ。 そう言っている
明化は臨済に、どうして歩き回っているのかと尋ねます。 臨済は、ただ歩いて草鞋をすり減らそうとしているだけです。 あるいは、ただ草鞋がすり減ってしまうまで歩いているだけです、ということかもしれません。 明化はさらに問います。 それはどういうことか、と。 臨済はそれに答えるのではなく、ただつぶ
臨済は凡でもなく聖でもないところを象田に尋ねます。 それに対し象田は、まあ自分は見たままの、このままのものだよ、と答えます。 臨済は一喝して、ここに集まっている僧たちは、象田から何を学ぼうとしているのか、と言います。 その言葉の意味は、何通りかに解釈できるかと。 ここには学ぶべきものはない。
翠峰の問いかけに対して、臨済は、黄檗には特別な言葉などありません、と答えます。 そうだとしても、何か言ってごらんと翠峰はさらに問いかけます。 それで、臨済は、矢のように、あっという間に西に向かって飛び去った。 もうここには痕跡も残っていないのだ、と言います。
とても短いやり取りの中で、華厳和尚と臨済はお互いの力量を計りあっています。 そしてそれぞれを認めているのでしょう。 臨済録の中に出てくる人たちは、懸命に経典を読むことよりも、むしろ居眠りをするような状況を評価しているようです。 そこから私たちはどのようなことを読み取るべきでしょうか。
大慈和尚は臨済に答えて言います。 冬の寒さの中でも松は変わらず、千年経とうとも他のものとは同じではない。 しかし、世の中も春ともなれば、老人は花を手にもて遊ぶのだ。 それは大慈和尚のそのままの現状を言ったものかもしれません。 それに対して臨済は言います。 古くから完成された知恵といわれてい
臨済は、師である黄檗の教えを、その痕跡を見ることもできない、と言います。 それは形を変え、臨済自身の中に流れ込んだものということかもしれません。 黄檗の教えが、笛に流れ込む爽やかな風であれば、きっと清々しい音を出すはず。 その笛の音を聞いている者はどこにいるのか、と平和尚は尋ねます。 その問
剣先を交えることなく勝ちを得るにはどうしたらよいか、どうかその方便を示してほしい。 臨済はそう問います。 それに対して龍光は剣で相手に切り掛かるときのかけ声を発します。 咄嗟の方便ではなく、追い詰められたときに発する一声のように聞こえます。 臨済は遠慮することなく言います。 龍光は負けた、
住職は、仏陀のお墓に礼拝しますか、それとも祖師のお墓を先にしますか、と聞きます。 臨済は、どちらにも礼拝しない、と言って、立ち去ってしまいます。 では臨済は何をしにそこに行ったのでしょうか。 仏教や禅の修行者を縛り付けているものの張本人たちを確認しに行ったのかもしれません。 そして、それらの
黄檗は、自らのもとから独立しようとする臨済に、百丈和尚から受け継いだ禅板と机案を渡そうとします。 しかし臨済はそれを燃やしてしまおうとします。 臨済は、物を受け取ることを法の伝授の証にするようなことはしたくなかったのかもしれません。
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還暦前後から老後の暮らしを豊かにするための東洋、西洋、仏典などの古典の紹介。日記や昔の思い出など。
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の47回目です。 語り続けた臨済の言葉が、ここで一旦終了します。 さて、どのような言葉で終わるでしょうか。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に響いた 臨済の生きた時代 ...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の46回目です。 臨済の言葉の真意をいまだ理解できない様子の修行僧たちに、それでも臨済は語り続けます。 自分も修行を始めた頃はなにもわかっていなかった、と。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の45回目です。 自分たちがこれまで一所懸命に学んできたことや、自分の身分などにすがり続ける僧たちに、臨済はさらに語り続けます。 そんなものは、私は認めない、と。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の44回目です。 臨済の下に集まった修行僧たちへの言葉が続きます。 いつまでも自分自身を認めることができない人たちに向かって語ります。 無駄なことはするな、と。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の43回目です。 ここでは臨済は修行僧の問いに答える形で「五無間業」を説明しています。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に響いた 臨済の生きた時代 問、如何是...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の42回目です。 祖師達の言葉や経典の文字を学ぶことで、その先に何かが得られるという修行僧達の思い込みはなかなか解けません。 臨済は言葉を続けます。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が戦乱と混沌の...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の41回目です。 修行僧たちは、相変わらず修行の先に自分たちの思い描く何かが得られると思っています。 そしてそれをなんとかして確かめようと問い続けます。 しかし、臨済は繰り返し、そんなものは無いのだと説きます。 臨済録の原文全文は...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の40回目です。 修行僧たちと臨済との対話は続きます。 僧たちは繰り返し、修行で得られるものは何かを確かめようとします。 それに対して臨済はどのように答えるでしょうか。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の39回目です。 ここでは、改めて「真の仏、真の法、真の道とはどのようなものでしょうか」と修行僧が問います。 それに、臨済はどのように説くでしょうか。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が戦乱...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の38回目です。 「心心不異處(心と心が異ならないところ)」とはどのようなものか。 その問いに答える臨済の説明の、終わりの部分になります。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の37回目です。 師や先達のもとを訪れる修行僧たちは、誰もが彼らの様子であったり、言葉であったりするようなものに捕らわれてしまいます。 そんなものはどれも無意味だと臨済は言います。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の36回目です。 臨済はここで、自らの修行で学んだ教えがどのように形作られてきたものかについて述べています。 それは臨済自身の修行の道筋でもありました。 どのように臨済の修行は遍歴していたでしょうか。 臨済録の原文全文は以下のリン...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の35回目です。 臨済はこの部分で、生き生きとしている私たちの本体について説いています。 そして、無駄な苦労ばかりするな、と繰り返し話しかけています。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が戦乱...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の34回目です。 ここでは根器(根は感覚器官。眼、耳、鼻、下、身、意の六根)の使い方について説かれています。 臨済は、これらをうまく使いこなすことができるとはどういうことだと説明しているでしょうか。 臨済録の原文全文は以下のリンク...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の33回目です。 ここでは臨済は「動くもの、動かないもの」について説いています。 これらのどちらにも実体はないと言います。 そのことを用いて、臨済はどのようなことを教えようとするのでしょうか。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の32回目です。 ここでまた、臨済は師と呼ばれる者と修行僧との対話の場面を四通り語ります。 コミカルな場面のようにも読むことができますが、私たちが何かを学ぼうとしている時の姿にも見えてきます。 四通りのものとはどのようなものでしょう...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の31回目です。 臨済は、三界にありながら、何ものにも囚われない在り方について説いています。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に響いた 臨済の生きた時代 大德...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の30回目です。 ここでは三界について語られます。 三界 とは欲界、色界、無色界のこと。 人はその三界で迷い、苦しみ、そこから逃れようとしています。 その三界はなぜあると言われるのか。 臨済はどのように説くでしょうか。 臨済録の原...