40代・既婚・子持ちの私の、機能不全家族である実家にまつわる出来事を綴ったブログです。 もし同じような悩みを抱える人がいて、このブログを読むことで、 「私だけじゃないんだ」と孤独感や虚無感が少しでも薄らいでくれたら幸いです。
担当医との面談話が前後しますが、8月頭に帰省したときに、母の担当医と面談をしました。担当医が言うには、もはや電気けいれん以外打つ手なしというところまで行って、その前に試験的に使用した湿布のような張り薬が予想以上に効き、母が劇的な回復を見せた
母への報告葬儀を終えた翌日に、弟とともに母の病院に出向き、父が亡くなり、葬儀を終えお骨が家に帰ってきたことを、直接報告したと思います。母は、弟が母に面会に行っているときに、父の病院からの呼び出し電話を受け、慌てて帰っていったことから、察して
弟と二人での葬儀私はまた帰省することになりました。葬儀をしなくてはなりません。母は精神病院に入院中です。頼れる親戚も他になく、ほぼ未経験の私と弟のふたりで何とかしなければいけません。こうなる前に、母の病院には父の死の可能性を伝え、その場合外
ブログを再開しましたずいぶん間が空いてしまいました。子供の受験に集中するために、ブログを一度中断しました。受験自体は子供が頑張ってくれて、無事いい結果で終わりほっとしたのですが、終わると同時に、相続やら何やら、先送りにしていたことを一気に片
父は終末医療の病院へ。
もう元には戻らないだろう・・・。そう諦めていた私にとって、それはまさに奇跡でした。
精神病院への入院から1か月。母の様子に嬉しい変化が見られました!
入院後の母の様子。改善の兆しは見受けられませんでした。
重度の鬱病と診断された母と、誤嚥性肺炎を繰り返す父。どちらが先に逝くのか・・・。苦しい日々が続きました。
母はどんどん手の付けられない状態になっていきました。そして・・・。
毒親は毒親のまま死んでいく・・・家族への「ありがとう」も「ごめん」も言うことなく。
容体が悪化していく父、どんどんおかしくなっていく母。もう一刻の猶予もありませんでした。
父の病状に加え、母には別の大きな心配事がありました。そのことが徐々に母の精神を蝕んでいったのです。
今年初めから実家を襲った数々の出来事。事の発端となったのは父の急変でした。
子供を持つことに興味も自信もなかった私が、子供を望み、妊娠出産し、現在に至るまでの心の推移について書きました。
飲まずにいられない理由をぶちまける父。それは驚くほど自分本位の言い訳でした。
死を前に家族にできる限りのことをしようと力を尽くした義父。それを見たあとだけに許せなかった父の愚行。 家を出て初めての大ゲンカとなりました。
長年に渡るアルコール依存症の当然の結果としての、アルコール性認知症。 こうなると分かっていても、老いてなお飲み続けた父の有様について書きました。
本来楽しいはずの家族を連れての帰省。でも私の場合はそうではありませんでした。
不仲なのに実家で暮らし続ける3人の関係性。それは三者共依存以外のなにものでもありませんでした。
老いた毒親を持つ多くの人が抱えていると思われるこの問題。我が家の場合はこうでした。
ブログを始めて間もなく2週間経ち、今思うこと。こんなこと書いていて大丈夫なの?私。
大学進学とともに親元を離れた私と父のその後の関係。それは意外と悪いものではありませんでした。
普通の家族には決してないであろう悩み。でも我が実家はいつもその危険と隣り合わせでした。
引きこもりを脱して働き始めた弟のその後~最近まで。
私とは対称的に自信満々の夫。その理由はやはり育った環境にありました。
機能不全家族育ちで、幸せな家庭を知らない私でも結婚したいと思った理由について。
機能不全家族で育ったことによる弊害について書いています。自信が持てず、愛情表現ができません。
親元を離れてもなお付いて回る機能不全家族であることの重荷。 そのことに徐々に気づき始めた私の話です。
毒父の支配下の家で、母がどのように過ごし、問題にどう対応してきたのか。 背景となる、母の生い立ちや考え方も含め綴っています。
教師からのいじめに加えて、毒父からの精神的虐待ともいえる仕打ちを受け、引きこもりとなってしまった弟の話です。
アルコール依存症で気性の荒い毒父の下での生活と、そこからの脱出について書いています。
これは40代・既婚・子持ちの私の、機能不全家族である実家にまつわる出来事を綴ったブログです。
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