スポーツの上達って不思議ですね。上手くいったり、いかなかったり。この謎多い宇宙のようなカラダは、どうしたら思い通りに動いてくれるのか。そういうスポーツ上達の謎に迫るブログです。
逆立ちと砂時計 勉強会で逆立ちについての話があった。 僕らの身体は時間と共に硬くなっていく。生まれた時はお餅み
町の中心部から少し離れた自然広がるのどかな町。そこに小さな少年サッカークラブがあります。決して強いチームではあ
町の中心部から少し離れた自然広がるのどかな町。そこに小さな少年サッカークラブがあります。決して強いチームではあ
町の中心部から少し離れた自然広がるのどかな町。そこに小さな少年サッカークラブがあります。決して強いチームではあ
居心地の良い場所で花開く 市の中心部から少し離れた自然広がるのどかな町。そこに小さな少年サッカークラブがある。
相撲の知恵 勉強会で ”相撲” についての話があった。 ”時は昔、民の願いは「おなかいっぱい食べたい」。「神様
相撲の知恵 勉強会で ”相撲” についての話があった。 ”時は昔、民の願いは「おなかいっぱい食べたい」。「神様
上手くなるには 勉強会で『緊張』についての研究が紹介された。 『緊張は決して悪者ではない。むしろ緊張は高い集中
上手くなるには 「どうしたらスポーツはもっと上達するのですか」 先生にそんな質問をした。たぶん、”いい大人”
『新インナーゲーム』の著者ティモシー・ガルウェイは、テニスのコーチングを通して、言葉で動きを伝えると生徒が上手にプレーできないことに気がつきました。頭では理解しているのに、カラダは上手に動いてくれない。でも本当のところは、「頭が理解しようと動き出すと、カラダは邪魔をされて上手に動けなくなる」ということだったのです。
両手を挙げると背中が緩み、肩甲骨が自由になります。肩甲骨はカラダに備わった翼です。肩甲骨が自由になると、カラダはより自由自在に動かせるようになります。ただ、ぼくらのカラダは平穏な日常でだいぶなまってしまっています。丸まったポスターみたいに、伸ばしたてもまたすぐに丸まってしまう。ではどうするか。
両手を挙げると背中が緩み、肩甲骨が自由になります。肩甲骨はカラダに備わった翼です。肩甲骨が自由になると、カラダはより自由自在に動かせるようになります。ただ、ぼくらのカラダは平穏な日常でだいぶなまってしまっています。丸まったポスターみたいに、伸ばしたてもまたすぐに丸まってしまう。ではどうするか。
試合や大会になると、なぜか身体が思うように動いてくれない。そんなことがあります。まるで子泣き爺を背負っているかのように、身体が重くなってしまう。でも、背中を振り返ってよく見てみると、子泣き爺は自分だったのです。だから自分を透明にしていく。自分を薄めれば薄めるほど、身体は軽くなり、能力は存分に発揮されるのです。
実はぼくらのカラダには、電動アシスト自転車のようなアシスト機能が備わっています。それを使うと、少ない力で大きなパワーを出すことができる。それは、すべての人に備わっています。ただ、少しコツがいる。別に難しいことではありません。そのコツというのは『片足に体重を乗せる』ということなのです。
実はぼくらのカラダには、電動アシスト自転車のようなアシスト機能が備わっています。それを使うと、少ない力で大きなパワーを出すことができる。それは、すべての人に備わっています。ただ、少しコツがいる。別に難しいことではありません。そのコツというのは『片足に体重を乗せる』ということなのです。
同じように練習をしていても、なぜか急に伸びる子供たちがいます。反対に、飛び抜けていた才能が次第に目立たなくなる、ということもよくあります。実は『上達の道』というのは ”大人”にならないと進めないのです。子供がつたない足取りで、ヨタヨタとどこかに向かって歩いていく。あれは大人に向かって歩いているんです。
「太古の昔、人間には翼が生えていた」。その話の真偽は置いといて、もし私たちの身体に翼が生えていたとしたら、それはおそらく肩甲骨から生えていたでしょうね。肩甲骨で空は飛べないけど、飛ぶように舞うことは出来るようです。肩甲骨が自由に動くと、身体は自由になる。どうやら肩甲骨は、現代の”翼”だったのです。
市の中心部から少し離れた自然広がるのどかな町。そこに小さな少年サッカークラブがあります。特段強いチームではありません。むしろなかなか勝てない。でも不思議なことに、毎年とても素晴らしい選手が出てくるのです。そのチームの中心だった子供たちは、どこのチームに行ってもみんな活躍する。そんなチームがあります。
逆立ちはカラダの情報にアクセスするための、数少ない方法の一つなんです。逆立ちをすると、カラダの中をタイムマシンで旅するように、過去の叡智に触れることができる。すると、自分でも驚くような動きが自然と出来てしまう。カラダの中に眠っていた才能を、逆立ちが呼び起こしてくれるのです。
小さい子供が自転車に乗っていたりすると、たまに面白い光景に出くわします。子供がシャカシャカとペダルを勢いよく回
小さい子供が自転車に乗っていたりすると、たまに面白い光景に出くわします。子供がシャカシャカとペダルを勢いよく回
どうしたらもっと上手くなるのか。どうしたらもっと良い記録が出るのか。もしみなさんが、そんな”スポーツの奥義”を
『弓と禅』は”スポーツの奥義”として読み継がれています。師の伝える ”それ” とはいったい何なのか。そして、どうしたら現れるのか。この謎を自らに抱え込んだ時、私たちは ”スポーツの奥義” に初めて触れられるのです。
どうしたらもっと上手くなるのか。どうしたらもっと良い記録が出るのか。もしみなさんが、そんな”スポーツの奥義”を
裸足は、身体のバランスを整えてくれる最高のトレーニングです。靴を履いて、イビツな動きを受け入れてきた身体は、次第に歪んでいきます。裸足は、そんな歪んだ身体を、元々の動きやすい、柔らかい身体に戻そうとしてくれるのです。
裸足は、身体のバランスを整えてくれる最高のトレーニングです。靴を履いて、イビツな動きを受け入れてきた身体は、次第に歪んでいきます。裸足は、そんな歪んだ身体を、元々の動きやすい、柔らかい身体に戻そうとしてくれるのです。
スポーツも、本家SDGsに倣って、スポーツSDGs宣言します。『スポーツは辛くて苦しいという考えに終止符を打ち、身体を保護し、すべての人が身体を動かす喜びを享受できるようにすることを目指す普遍的な行動』。結局のところ、”持続可能である”ということが、スポーツの幸せにつながるのです。
居心地が良い。そう感じる場所があります。それは少し曖昧な感覚で、あまり重要には思われていないかもしれません。でも、その”居心地の良さ”こそが、才能を開花させる最高の環境なのです。上達の道は、”何を学ぶか”よりも、”どういう場所にいたか” が大切だったのです。
一生懸命、頑張って走ると、能力は少し上がって止まります。でも、ゆっくり走ると、もっともっと能力が上がっていきます。ゆっくり走って”気持ちいい”と感じると、カラダの中に眠っていた才能たちが、どんどんと表に出てくるのです。
カラダは自動運転で動いてくれます。だから、私たちが操縦席に座って、カラダを操ろうとすると、カラダは逆に上手に動けません。カラダを上手に操るには、操縦席から降りて、ただ寝転んでいればいいんです。カラダの自動運転にお任せすれば、あとは勝手に上手に、やってくれます。
上達の道を登り続けられないのは、途中で道が途切れてるからです。断崖絶壁の崖がある。そこは飛び越えるしかないんです。両手を上げて、”とぅ!”と飛び立つ。両手を上げると、身体は自由になります。そして、ぶら下がるともっと自由になる。ぶら下がると、崖を飛び越えて行けるのです。
緊張は、無くそうと思っても無くなりません。だから体の外に出してあげる。家電製品がアース線で静電気を地球に逃すように、体に溜まった緊張を、人に触れることで体の外に逃してあげる。人に触れたり、触れてもらったりすると、緊張は体から外に出ていってくれます。
大きな力といのは、「カラダの中にあってそれを出す」というわけではありません。大きな力は、「地球からカラダを通して表に出る」のです。ケンケンは、地球からより大きな力をもらえるようになる、『カラダの才能を開花させてくれる運動』なのです。
カラダが辛いと感じた時、それは進む道が間違っているサインです。カラダが”気持ちいい”と感じる方に動いてあげる。そうすると、カラダは上達していきます。”気持ちいい”が、私たちを上達の道に案内してくれるのです。
カラダと自然は、”よくわからない、おそろしいもの”という点で似ています。そんな”よくわからない、おそろしいもの”から豊かさを受け取るためにはどうしたら良いのか。先人たちは、自然に対して「敬意」を持って接するというやり方で乗り切ってきました。そしてそれは同じように、カラダとの最良な接し方でもあったのです。
肩甲骨。それは現代の翼です。私たちの背中には、翼が生えているんです。その翼を羽ばたかせると、身体は自由に動いてくれる。でも多くの人が、翼を背中の中にしまったままにしています。翼を広げて、自由な身体で、大空へ。
カラダはあなたの奴隷やモノではありません。ぞんざいに扱っていると、『上手に動きたい』という気持ちが伝わらない。それどころか、やがてあなたに牙をむきます。大切なのは、”伝えたい”というあなたの想いなのです。
カラダがうまく動けないのは、私たちが邪魔をしているからなんです。『どうしたらうまく動けるか』。それを、私たちは本当はよくわかっていない。だからカラダに任せてしまっていいんです。だって、カラダには生命の叡智が受け継がれているんですから。
カラダはいつも私たちを健康でハッピーにしようと、陰ながら働いてくれています。私たちの知らないところで、勝手に上手いことやってくれている。でも、だからと言って、こちらの思い通りに動いてくれるわけじゃない。自分とは別の、”謎”の存在。カラダはそんな、不思議な存在なのです。
カラダはいつも私たちが知らないところで、私たちを健康でハッピーにしてくれている。そう、勝手に上手いことやってくれている。それなのに、こちらの思い通りに動いてくれるわけじゃない。あなたのカラダはあなた自身ではなく、そんな不思議な存在だったのです。
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